はじめに

「同じ患者でも、どの病院にかかるかで、回復しやすさが変わる」 「同じ生徒でも、どの学校に入るかで、進学率が変わる」 「同じ働き手でも、どの国に住むかで、生活満足度が変わる」

これらの観察に共通しているのは、個人の状態が、所属する集団の影響を受けていることです。 個人を分析するときに、集団のレベルを無視すると、結果は歪んだものになる──。

このことを精密に扱う統計分析の手法が、今回取り上げるマルチレベル分析(multilevel analysis)です。

1. マルチレベル分析とは何か

マルチレベル分析は、ひとことでいえば、

階層構造を持つデータの分析手法。

を指します(吉岡のノートより)。

別名として、

──といった用語でも呼ばれます。

階層構造を持つデータとは、たとえば、

──というような、データに多層的な構造があるケースです。 こうしたデータでは、同じ集団に属する個人同士のデータが、似通った傾向を持ちます。 これを、級内相関(intra-class correlation, ICC)と呼びます。

マルチレベル分析は、この階層構造を加味してデータの相関を分析する手法です。

2. なぜ通常の回帰分析では不十分か

「全部一緒に分析すればいいんじゃないか」と思うかもしれません。 ところが、それでは問題があります。

通常の回帰分析(→ #70 重回帰分析)は、標本間の独立を前提にしています。 つまり、データのひとつひとつが、互いに独立に集められたものだと仮定する。

ですが、現実のデータの多くは、独立ではありません。

これらは、集団内で相関を起こしやすい。 病院、学校、会社、国──といった「集団」が、その内側の個人に共通の影響を与えるからです。

この階層構造を無視して通常の回帰分析を使うと、

──といった問題が起きます。

3. 病院内クラスタリングの例

具体例として、医療研究の場面を考えてみます。

ある研究で、「ある治療法が、患者の回復にどう影響するか」を調べたいとします。 データは、複数の病院から集められた、数千人の患者です。

通常の回帰分析で「治療法 → 回復率」を見ようとすると、ある問題に直面します。

これらの状況を「病院内クラスタリング」(within-hospital clustering)と呼びます。 病院ごとに、患者のデータが似通った「クラスタ」を作っているわけです。

これを無視して分析すると、「治療法そのものの効果」と、「病院ごとの違い」が混ざってしまう。 だから、研究者は次のような問いを立てる必要があります。

これに精密に答えるのが、マルチレベル分析です。

4. マルチレベル分析が扱う典型例

マルチレベル分析が活躍する場面は、医療だけではありません。

最後の例は、「繰り返し測定」というかたちでの階層構造です。 同じ個人が、何回も測定されているデータは、その個人内で時点ごとのデータが相関しています。 こうしたデータも、マルチレベル分析で扱えます。

5. 国際比較研究と、マルチレベル分析

マルチレベル分析の応用として、特に重要なのが国際比較研究です。

ISSP(International Social Survey Programme)やWVS(World Values Survey)のような大規模国際調査では、

──というデータ構造を持っています。

ある変数の「効果」が、国によってどう違うかを調べたい。 そして、その違いが、

──を分離して分析したい。 こういう問いに、マルチレベル分析は強力な道具になります。

たとえば「教育が幸福度に与える影響は、福祉国家のレジームによって違うのか」「ジェンダー平等の制度が、女性の労働参加にどう効くのか」といった研究で、マルチレベル分析は欠かせません。

6. インタビュー研究と、マルチレベル的なまなざし

TSIR のインタビュー研究は、量的なマルチレベル分析は使いません。 ですが、その発想は、質的研究にも生きます。

ひとりの語り手の経験を、

──という、複数のレベルで読みほぐす。 これは、まさにマルチレベル的なまなざしです。

「個人の語り」だけでも、「社会全体」だけでも、捉えきれない。 そのあいだの中間レベル(家族、職場、地域、業界)の影響を意識すること。 これは、ライフヒストリー研究にとって、決定的に大事な作法のひとつです。

7. インタビュー研究と、級内相関

統計的な「級内相関」に相当することを、質的研究では、

──といった形で、観察します。

語り手の話を、その人個人のものとしてだけ読むと、こうした集団的な影響を見落としてしまいます。 逆に、すべてを集団的な影響に還元すると、その人の個別の経験が消えてしまう。 このバランスを取りながら聴くのが、ライフヒストリーの作法です。

結び

マルチレベル分析は、社会調査の世界における、極めて精密な分析手法です。 個人と集団のレベルを、同じモデルのなかで分離して扱える──。 これは、20世紀後半に確立された、社会学のひとつの大きな成果です。

数式は難しく見えますが、考え方はシンプルです。 個人は、何らかの集団のなかで生きている。 だから、個人を見るときには、その人を取り囲む集団も一緒に見る。

このシンプルな発想を、量的にも質的にも保ち続けることが、社会を立体的に理解するための、ひとつの基本姿勢です。

参考資料

【執筆:吉岡詩織 / 編集:qbc(栗林康弘)】

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