はじめに
「年収を上げているのは、学歴か、勤続年数か、業種か」 「幸福度を高めているのは、収入か、人間関係か、健康か」 「離職率を上げているのは、給与か、上司との関係か、業務量か」
社会の現象には、ほとんどの場合、複数の要因が同時に絡んでいます。 それぞれの要因が、どの程度効いているかを数式の形で見える化する道具──それが、今回取り上げる重回帰分析(multiple regression analysis)です。
1. 重回帰分析とは何か
重回帰分析は、ひとことでいえば、
ある被説明変数を説明する際に、関連する複数の説明変数のうち、どの変数がどの程度、結果を左右しているのかを関数の形で数値化し、両者の関係を表し、それを元にして将来の予測を行う統計手法。
を指します(吉岡のノートより)。
名前の由来は、
- 重 = 複数(の説明変数)
- 回帰 = 因果関係(の数値化)
ふたつの変数の関係を見る単回帰分析を、3つ以上の変数に拡張したものが、重回帰分析です。 社会学・経済学・経営学・心理学・医学など、さまざまな分野で、もっとも基本的かつ強力に使われている手法のひとつです。
2. 数式の形で書くとどうなるか
重回帰分析の核心は、現象をひとつの数式で表すことにあります。
たとえば、年収を予測するモデルを考えると、
年収 = a + b1 × 学歴 + b2 × 年齢 + b3 × 勤続年数 + b4 × 業種ダミー + ε
のような数式になります。
- a:切片(すべての説明変数が0のときの値)
- b1, b2, b3, b4:各説明変数の係数(その変数が1単位上がると、被説明変数が何単位変わるか)
- ε:誤差項(モデルで説明しきれない部分)
データから、a と b1, b2, b3 …の値を推定する。 そして、各説明変数の係数(b)が、「他の条件が同じなら、その変数が1単位変わると、結果がどれくらい変わるか」を示してくれる。
これが、重回帰分析の基本構造です。
3. 「他の条件が同じなら」が、決定的に重要
重回帰分析の決定的な強みは、
他の説明変数を一定にしたうえで、各変数の影響を取り出せる
ことにあります。
たとえば、学歴と年収を単純に2変数で比較すると、「学歴が高い人は年収が高い」と見えます。 ですが、これは、
- 学歴が高い人は、特定の業種に就きやすい
- 学歴が高い人は、長く働ける環境にいる
- 学歴が高い人は、出身家庭の経済力が高い
──といった第三・第四の変数の影響が混ざっている可能性があります。 重回帰分析を使えば、これらの変数を同時にモデルに入れて、「業種・勤続年数・出身家庭の経済力を一定にしても、学歴は年収にこれだけ影響している」と言える形になります。
これがエラボレーション(→ #59)や多変量解析(→ #58)の発想を、もっとも明示的に実装している手法です。
4. ステップワイズ法と変数選択
重回帰分析を行うとき、説明変数をどう選ぶかは大事な問題です。 変数を増やしすぎても、減らしすぎても、よい分析結果は得られない、と一般に言われています。
そこで使われる手法のひとつが、ステップワイズ法です。 候補となる説明変数を、ひとつひとつ加えたり減らしたりしながら、データの精度を高めていく方法。 研究分野や目的によって異なりますが、社会調査ではおおむね7個程度の説明変数で扱われるケースが多いです。
ただし、ステップワイズ法は便利な反面、
- データに過剰に適合してしまう
- 理論的に重要な変数を不当に外してしまう
- 結果が偶然に左右されやすい
──といった批判もあります。 変数の選び方には、統計的な技術だけでなく、研究者の理論的な判断が常に求められます。
5. 重回帰分析の落とし穴
重回帰分析にも、いくつかの落とし穴があります。
ひとつ目は、因果関係と相関関係の混同。 重回帰分析で「学歴が年収に影響している」と出ても、それが本当に「学歴 → 年収」の因果なのか、別の方向の関係なのかは、分析だけでは決まりません。
ふたつ目は、多重共線性。 説明変数同士が強く相関していると、それぞれの係数を正確に推定できなくなります。
三つ目は、外れ値・非線形性への弱さ。 一部の極端な値に係数が引っ張られたり、本当は曲線的な関係を直線で近似してしまったりすることがあります。
これらを避けるためには、
- データの分布を確認する
- 説明変数同士の相関をチェックする
- 必要に応じて変数変換や、別の手法を使う
──といった、地味な作業が欠かせません。
6. インタビュー研究と、重回帰分析の精神
TSIR のインタビュー研究では、重回帰分析を直接使うことはありません。 ですが、「複数の変数を同時に意識する」という発想は、質的研究にも生きます。
ある語り手の経験を聴くとき、
- 性別
- 年代
- 業種
- 地域
- 家族構成
- 健康状態
- 経済状況
──こうした複数の要因を、絡まりとして捉える。 ひとつの軸で「だから、こうだ」と単純化しない姿勢が、重回帰分析の精神と通じます。
数式は使わなくても、「他の条件が同じなら」と頭の中で補助線を引きながら聴く。 これは、質的研究にとっても、ひとつの作法です。
結び
重回帰分析は、社会調査の世界で、もっともよく使われる多変量解析のひとつです。 ニュースや論文で「学歴が年収に与える影響」「収入が幸福度に与える影響」などの分析結果を見るとき、その多くが重回帰分析の結果です。
数式そのものは難しく見えますが、考え方はシンプル。 「他の条件を一定にしたら、その変数はどれくらい効くのか」を見える化する道具です。
このシンプルだけれど強力な発想を、自分の思考のなかにも取り込んでおくと、世のなかの「数字」と「因果」の話に、より精密に向き合えるようになります。
参考資料
- 吉岡詩織の社会学用語ノート「重回帰分析」
- 関連:多変量解析(#58)、エラボレーション(#59)、統計的検定(#50)
【執筆:吉岡詩織 / 編集:qbc(栗林康弘)】