はじめに
「社会は、個人の集まりにすぎない」 「いや、社会は個人の総和を超えた、それ自体ひとつの実在である」
このふたつの見方は、社会学にとって、根本的な対立軸です。 今回取り上げるのは、後者の立場、方法論的集団主義(methodological holism)です。
1. 方法論的集団主義とは何か
方法論的集団主義は、ひとことでいえば、
全体は構成要素に還元できない独自の創発特性を持つ、客観的実在であり、全体そのものを包括的に捉えるべきだとする立場。
を指します(吉岡のノートより)。
社会学のこの立場の根っこには、シンプルですが力強い直観があります。
社会は、個人の単なる足し算ではない。 個人を全部足し合わせても、社会という現象は説明できない。 社会には、社会そのものの特性がある。
これに対立するのが、方法論的個人主義(methodological individualism)。 社会学のなかでは、ウェーバーの理解社会学などがこちらに近く、社会現象を最終的に個人の行為に還元して説明しようとします。
2. コントの社会有機体説
方法論的集団主義の出発点のひとつが、社会学の創始者オーギュスト・コント(Auguste Comte)の社会有機体説です。
コントは、社会を生物の有機体になぞらえて理解しようとしました。
- 個々の細胞が、それ自体としては生物ではない
- ですが、細胞が集まると、それを超えた「生物」という存在が立ち上がる
- 生物は、細胞の総和を超えた、それ自体ひとつの実在である
これと同じ関係が、個人と社会のあいだにもある、というのがコントの直観でした。 社会は、個人の総和を超えた、ひとつの生きた全体だ──。 これが、社会有機体説の中核です。
3. デュルケームの社会的事実
方法論的集団主義をもっとも明確に体系化したのが、フランスの社会学者エミール・デュルケーム(Émile Durkheim)です。 彼は、社会的事実(→ #02)の独自性を強調し、それを分析する社会学を作り上げました。
デュルケームの中心命題は、
社会的事実は、個人の心理や意識に還元することのできない、独自の実在である。
というものでした。
例えば、自殺率(→ #05)。 個々の自殺は、個人の心理的な動機で起きるように見えます。 ですが、社会全体としての自殺率は、年や地域、宗教、職業によって、驚くほど安定したパターンを示します。 これは、個人の心理だけでは説明できない、社会という全体の性質が、自殺率を形作っていることを示している──。 これがデュルケームの議論でした。
このように、デュルケームは社会的事実の独自の特性を強調し、それを分析することを社会学の任務として位置づけました。 社会学が、心理学や個人主義的な経済学から独立した学問領域として確立されたのは、この方法論的集団主義の打ち出しがあったからこそです。
4. 個人主義 vs 集団主義 ── 方法論の対立
方法論的集団主義の対概念は、方法論的個人主義(methodological individualism)。 両者の対立を整理すると、
方法論的個人主義:
- 社会現象は、最終的には個人の行為に還元して説明できる
- 個人の合理的選択、意図、信念から、社会のパターンを導き出す
- ウェーバーの理解社会学、合理的選択理論、新古典派経済学などが代表的
方法論的集団主義:
- 社会は、個人の総和を超えた独自の実在である
- 個人を集めても説明できない、創発特性を持つ
- 社会的事実を、社会的事実によって説明する
- デュルケーム、コント、構造主義、機能主義などが代表的
このふたつの立場は、いまも社会学のなかで対立しつつ、互いを補完し合っています。 どちらが正しい、というよりは、現象によって使い分けるのが現代的な姿勢です。
5. 「創発特性」とは何か
方法論的集団主義の核心にある言葉が、創発特性(emergent property)です。
創発特性とは、
個々の要素にはない性質が、それらが組み合わさったときに、新しく立ち上がる性質。
たとえば、
- 水素原子と酸素原子をいくら見ても、「水の冷たさ」「液体の流れ」は説明できない。これらは原子レベルにはない、水の創発特性
- ニューロンを一個ずつ調べても、「意識」や「思考」は出てこない。これらは脳のシステムの創発特性
- ひとりひとりの市民を観察しても、「世論」「市場価格」「文化」は出てこない。これらは社会の創発特性
社会的事実は、こうした創発特性のひとつである──というのが、方法論的集団主義の立場です。 だから、社会を理解するには、個人を見るだけでは足りない。社会という全体そのものを、独自の研究対象として扱う必要がある。
6. 現代社会学における議論
方法論的集団主義と方法論的個人主義の対立は、現代の社会学でも続いています。 ですが、近年では、「両者の橋渡し」を試みる研究も盛んです。
- 構造化理論(アンソニー・ギデンズ):構造と行為は、相互に作り合う関係にある
- ブルデューの場の理論:個人の実践と、社会的構造が、ハビトゥスを通じて結びつく
- 創発主義(emergentism):全体は部分から創発するが、部分には還元できない
これらの立場は、「個人か、社会か」という二者択一を超えて、両者の絡まりをどう捉えるかを問題にしています。 方法論的集団主義の伝統は、こうした現代的な議論のなかで、引き続き重要な役割を果たしています。
7. インタビュー研究と、方法論的集団主義
TSIR がインタビューを通して聴く語りは、一見、個人の経験に閉じているように見えます。 ですが、その語りを丁寧に聴いていくと、
- その人を取り囲む社会の規範
- 世代に共有された経験
- 業界・地域・家族の文化
- 制度や政策の影響
──といった、社会という全体が、語りのあちこちに染み込んでいることが見えてきます。
ひとりの語りを「個人の話」として閉じずに、社会的事実の現れとして読みほぐす。 これは、デュルケームの方法論的集団主義の精神を、質的研究のなかに引き継ぐ作業です。
結び
「社会は、個人の総和を超える」──。 このシンプルな直観こそが、社会学を独自の学問として成立させてきました。
ひとりひとりの個人を見るだけでは説明できないこと。 個人の心理だけでは届かない、社会のパターン。 こうした層を、社会的事実として丁寧に分析するのが、社会学の仕事です。
個人を消すのでも、社会を消すのでもない。 ふたつのあいだの絡まりを、解きほぐしていく。 方法論的集団主義は、その仕事の重要な出発点です。
参考資料
- オーギュスト・コントの社会有機体説
- エミール・デュルケーム『社会学的方法の規準』(1895)
- 吉岡詩織の社会学用語ノート「方法論的集団主義」
- 関連:社会的事実(#02)、機械的連帯(#28)、道徳的連帯(#45)、相対主義 vs 相関主義(#86)
【執筆:吉岡詩織 / 編集:qbc(栗林康弘)】