はじめに

法律で決まっていなくても、私たちはふだん、たくさんの「やってはいけないこと」「やったほうがいいこと」を、自然に守っています。

電車で席をゆずる。困っている人に声をかける。約束を破らない。 これらを守らせているのは、警察ではありません。 社会のなかで、私たちが内面化している道徳です。

この道徳が社会を結びつけている力を、社会学のことばで道徳的連帯(moral solidarity)と呼びます。 エミール・デュルケーム(Émile Durkheim)の中心的な概念のひとつです。

1. 道徳的連帯とは何か

道徳的連帯は、ひとことでいえば、

責任感や規範によって結びついた連帯。

を指します(吉岡のノートより)。

ここでの「道徳」は、ふだん私たちが使う「いいこと/悪いこと」のニュアンスより、もう少し広く、社会学的に整理されています。

道徳は、法律と違って、外側から強制されるものではありません。 内面的で、自発性を伴うもの。 「やらないと逮捕される」からではなく、「やってはいけないと自分が感じる」から守る──そんな性質を持っています。

2. デュルケームの問い:なぜ社会はバラバラにならないのか

デュルケームの根本的な問いは、ひとつでした。

なぜ、それぞれの人が自分の利益を追求しているのに、社会全体としては秩序が保たれているのか?

これは、#19で扱ったホッブズ問題とも響き合います。 デュルケームの答えは、ひとことで言えば、人々の内面に共有されている道徳が、社会を結びつけているからでした。

ですが、道徳の質は、社会のタイプによって違う。 このことを彼は、機械的連帯と有機的連帯のふたつのモデルに整理しました(→ #28)。

そして、このふたつを底で支えているのが、社会で共有された道徳的連帯だ、というのがデュルケームの見方でした。

3. 道徳と、自発性の関係

ここで強調したいのは、デュルケームが言う「道徳」が、

──という、微妙な位置にあることです。

人は、生まれた瞬間から、家族・学校・地域・宗教・国家を通じて、社会の道徳を内面化していきます。 やがて、それは「外側のルール」ではなく、「自分のなかの当たり前」になる。 電車で席を譲る習慣を、誰に言われたわけでもないのに自然にやるようになる──これが、社会化を通じた道徳の内面化です。

このプロセスを通じて、社会は法律や警察に頼らなくても、ある程度、秩序を保てるようになります。

4. 道徳的連帯が揺らぐとき ──アノミー

ところが、社会の変動が大きくなると、共有されていた道徳が揺らぎ、人々がよりどころを失ってしまうことがあります。 デュルケームは、この状態をアノミー(anomie)と呼びました(→ 関連:自殺の3類型 #05)。

産業化、都市化、近代化、グローバル化、SNSの登場──。 急激な社会変動のなかで、これまでの道徳がうまく機能しなくなる。 かといって、新しい道徳がまだ確立されていない。 このすき間で、人々は方向感覚を失い、孤独や苦しみを深めていきます。

道徳的連帯は、ふだんは見えないけれど、それが揺らぐと、社会はあちこちで軋み出します。 デュルケームは、こうしたアノミー的状態を、近代社会の最大の課題のひとつと見ていました。

5. 現代社会と、道徳的連帯

現代の私たちも、道徳的連帯の揺らぎを、いろいろな場面で感じています。

こうした感覚は、たんなる「世代間ギャップ」というよりも、共有されてきた道徳的連帯がほつれている状態を反映しています。

ただし、これを「昔は良かった」と懐古する話で済ませると、議論は痩せます。 重要なのは、新しい道徳的連帯をどう作り直すかという、前を向いた問いです。 リベラリズム、コミュニタリズム、ソーシャルキャピタル論──さまざまな思想が、この問いに答えを出そうとしています。

6. インタビュー研究と、道徳的連帯

TSIR がインタビューを通して聴く語りのなかにも、道徳的連帯への手応えや、その揺らぎを感じる瞬間が頻繁にあります。

これらの語りは、その人がどんな道徳的連帯のかたちのなかで生きてきたか、そしていま、その連帯がどう揺らいでいるかを示しています。

道徳は、変わらないものではありません。 変わっていく道徳を、誰がどう作り直していくか──そこに、社会の未来があると、私は思っています。

結び

道徳的連帯は、見えにくいけれど、社会を底から支えている力です。

法律や制度が機能するためには、その前提として、人々の内面に共有された道徳が必要です。 そして、その道徳もまた、時代とともに作り直されていく。

「道徳が壊れている」と嘆くだけでなく、「私たちはどんな道徳を、これから共有していけるか」を考えること。 これが、デュルケームから現代へとつながる、社会学のひとつの大きな問いです。

参考資料

【執筆:吉岡詩織 / 編集:qbc(栗林康弘)】

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