はじめに
前回のコラムでは「社会学的想像力」をご紹介しました。
ひとりの語りを社会と結びつけて考えるための翼でした。
ですが、では「社会」とは、いったい何なのでしょう。
人々の集まりのことなのか、制度や法律のことなのか、それとも雰囲気や空気のことなのか。
社会学が答えを与えようとしてきたこの問いに対して、もっとも古典的で、いまでも基礎になっている概念のひとつが、エミール・デュルケムの社会的事実(social fact)です。
今回は、この概念について整理しておきます。
1. 社会的事実とは何か
社会的事実とは、ひとことでいえば、
個人の外にあって、個人の行動や考え方を拘束する、集団あるいは全体社会に共有された行動・思考の様式のこと。
を指します。
たとえば、私たちが朝、人とすれ違ったときに自然と発してしまう「おはようございます」という挨拶。
これを、ひとりひとりが自由意思で選んでいる、と考えるのは、たぶん正確ではありません。
挨拶という様式は、私たちが生まれる前からそこにあり、私たちの行動を方向づけている。
言ってみれば、社会の側にあらかじめ用意されているものに、個々人が乗っかっている。
デュルケムは、こうした「個人の外にあって、個人を拘束する」働きをする様式を、「集合表象」「集合意識」とも呼びました。
人間の行動や思考は、個人を超越した集団や社会のしきたり、慣習などによって支配されている。
これがデュルケム社会学の出発点となる立場です。
2. デュルケムの方法論的決意:「物のように観察する」
デュルケムの有名な命題に、
社会的事実を、物のように観察せよ。
というものがあります。
ここでいう「物のように」とは、社会的事実を、私たちの意識や感情とは独立したものとして、客観的に外側から扱え、ということです。
なぜそんなことを言ったのでしょうか。
19世紀末から20世紀初頭にかけて、社会現象を「個人の意識」や「心理」に還元して説明しようとする立場(たとえば、ガブリエル・タルドの心理学的社会学)が一定の影響力を持っていました。
デュルケムは、この立場を厳しく批判します。
社会の動きは、個々人の意識の足し算では説明できない。
個人の意識を源としながらも、それとはまったく独立した「社会の意識」が、諸個人を束縛し続けているのだ。
この主張をすることで、デュルケムは「社会学」を、心理学とも経済学とも違う、独自の学問領域として立ち上げようとしました。
社会学が独立した科学になるためには、社会には個人とは独立した実在性がある、と宣言する必要があった。
それが、社会的事実という概念だったのです。
3. インタビュー研究と、社会的事実
ここで気になるのは、社会的事実という、ある意味マクロな概念と、私たちが日々おこなっているようなひとりの語りを聴くインタビュー研究との関係です。
一見、両者は対極にあるように見えます。
社会的事実は「個人の外」にあるもの、インタビューは「個人の内」を聴く営みだからです。
ですが、実際にインタビューをしていると、こう気づきます。
ひとりの語りのなかには、必ず社会的事実が折り込まれている。
たとえば、「子どもを持たない」と決めた女性の語りのなかには、
「いまの日本では、こう考えるのが当たり前」「親の世代は、こう言ってくる」「友人たちは、こんな選択をしている」──といった社会の側の様式が、つねに参照されています。
語り手は、社会的事実とのあいだで対話しながら、自分の選択を編んでいる。
その編まれかたのなかから、社会的事実そのものの輪郭も浮かび上がってくる。
つまり、ひとりの語りを丁寧に聴くことは、その人の主観に寄り添うことであると同時に、その背後にある社会的事実を観察することでもあります。
これが、Tapi在野研究ネットワークが「社会学的にインタビューする」ことの、もう一つの意味です。
4. Tapi在野研究ネットワークにとっての社会的事実
Tapi在野研究ネットワークの研究プロジェクトはどれも、特定のテーマについてのひとりひとりの語りを集めます。
集まった語りの束を読み返すと、「ある時代・ある社会のなかで、人びとが共有している様式」が、徐々に立ち上がってきます。
それは、デュルケムが「物のように観察せよ」と言った社会的事実そのものです。
統計やアンケートでは捉えにくい、けれど確かに存在する社会の様式を、ひとりひとりの語りの厚みを通じて描き出すこと。
それが、Tapi在野研究ネットワークが引き受けている仕事の一つの輪郭だと、私は考えています。
結び
社会的事実は、社会学の出発点を作った概念です。
個人の自由な選択のように見えるものの裏側には、社会の側があらかじめ用意した様式が、ほぼ必ず存在しています。
その様式の働きかたを、ひとりの語りから読み解くこと。
Tapi在野研究ネットワークのインタビュー研究の根っこには、デュルケムから受け継いだこの問いがあります。
参考資料
- エミール・デュルケム『社会学的方法の規準』(1895)
- 吉岡詩織の社会学用語ノート「社会的事実」
【執筆:吉岡詩織 / 編集:qbc(栗林康弘)】