はじめに
近代以前の村落、宗教共同体、伝統的な親族集団──。 そこに生きていた人々は、いまの私たちとは違うやり方で結びついていました。
このつながり方を、社会学のことばで描いたのが、フランスの社会学者エミール・デュルケーム(Émile Durkheim)でした。 今回取り上げる機械的連帯(mechanical solidarity)です。
1. 機械的連帯とは何か
機械的連帯は、ひとことでいえば、
個人が社会に従属するような連帯のあり方。ただ似ているという理由で集まった均質的な人々によって構成された、単純な結びつきしか持たない連帯。
を指します(吉岡のノートより)。
「機械的」と聞くと、冷たい・無機質なイメージを持つかもしれません。 ですが、デュルケームがここで言いたかったのは「歯車のように一体になっている」というニュアンスのほう。 ひとりひとりが同じ価値・同じ信念・同じ生活様式を共有していて、その均質性によって社会が成り立っている──そんな連帯のあり方を、機械的と呼びました。
2. 機械的連帯が優位な社会 ──「環節的社会」
デュルケームは、機械的連帯が優位になっている社会を、環節的社会(segmentary society)と呼びました。
環節とは、ミミズの体節のような、似たユニットがつながって構成されている形のことです。 ひとつの村と、隣の村と、その隣の村が、それぞれ自己完結的に同じ機能を持っている。 全体としては大きな社会だけれど、内側は同じユニットの繰り返しでできている──そんなイメージです。
伝統的社会、未開社会、近代化以前の地域共同体は、おおむねこの機械的連帯/環節的社会のかたちで動いていました。
3. もうひとつの連帯 ── 有機的連帯
デュルケームは、機械的連帯と対になる概念として、有機的連帯(organic solidarity)も提示しています。
有機的連帯は、近代社会において優勢になっていく連帯のかたちです。 ここで人を結びつけているのは「似ていること」ではなく、「お互いに違っていて、補い合っていること」。 分業が進み、農家、職人、医者、教師、行政官、研究者がそれぞれの役割を担う。 ひとりではどうにもならないから、お互いに依存しあうことで全体が回る──。これが有機的連帯です。
機械的:均質性による連帯(伝統社会) 有機的:分業と補完による連帯(近代社会)
デュルケームは、近代化のプロセスを、機械的連帯から有機的連帯への移行として描きました。
4. 機械的連帯は消えたわけではない
ただし、近代化したからといって、機械的連帯がきれいに消えたわけではありません。 私たちの日常のあちこちに、機械的連帯の痕跡は残っています。
- 同じ会社の制服、同じ部活のユニフォーム
- 「うちはこうやって生きてきたんだ」という家族の規範
- 同郷・同窓の絆
- 宗教共同体や地域コミュニティの強い一体感
- SNS上で同じ価値観の人だけで集まるコミュニティ
これらは、機械的連帯の現代版とも見えます。 似ていることで安心し、似ていることで結束する。 私たちは、有機的連帯(分業)に乗りながら、同時に機械的連帯(均質性)も求めて生きている、というのが実情でしょう。
5. インタビュー研究と、機械的連帯
Tapi在野研究ネットワークがインタビューを通して聴く語りのなかにも、機械的連帯と有機的連帯のせめぎあいが、しばしば顔を出します。
- 「実家のまわりは、みんな同じような価値観で動いている」
- 「都会に出てきて、ようやく自由になれた」
- 「会社の同期は、みんな同じような考え方をする」
- 「SNSのフォロワーは似た人ばかりだけど、それがほっとする」
これらの語りは、人が均質性のなかの安心と、差異のなかの自由のあいだで揺れている瞬間を映しています。 機械的連帯/有機的連帯という補助線があると、その揺れがよりはっきり言語化できます。
結び
「みんな同じだから安心」と「みんな違うから補い合える」──。 このふたつの連帯のかたちは、どちらか一方が正しいというものではありません。 社会も、個人の人生も、両方を行ったり来たりしながら成り立っています。
デュルケームが100年以上前に整理したこの対概念は、いまの私たちの暮らしを見直す上でも、ちゃんと使える道具です。
参考資料
- エミール・デュルケーム『社会分業論』(1893)
- 吉岡詩織の社会学用語ノート「機械的連帯」
- 関連:ゲマインシャフトとゲゼルシャフト(#16)
【執筆:吉岡詩織 / 編集:qbc(栗林康弘)】