はじめに
「経済が発展すれば、国民の暮らしも豊かになる」──。 20世紀半ばまで、これは多くの国の政策の前提でした。 ですが、経済が発展しても、貧困、教育格差、医療アクセス、ジェンダー格差が解消されない国も少なくない。
この事実を踏まえて、20世紀後半に立ち上がってきたのが、今回取り上げる社会開発(social development)の概念です。
1. 社会開発とは何か
社会開発は、ひとことでいえば、
社会生活に関わる開発全般。
を指します(吉岡のノートより)。
経済開発(economic development)と対置される概念です。 具体的には、
- 貧困層の生活水準の向上
- 識字率の向上
- 乳児死亡率の低減
- 健康・医療の改善
- 教育機会の拡大
- ジェンダー平等の推進
- 社会的包摂の実現
──といった、人々の社会生活そのものの質を高めることを目指す開発の領域です。
経済開発が「GDPや所得を伸ばす」ことを目指すなら、社会開発は「人々が、人として豊かに生きられるための条件」を整えることを目指します。
2. 1960年代の開発経済学への反省
社会開発の概念が立ち上がってきた背景には、1960年代の開発経済学への反省があります。
1960年代、世界銀行やIMFなどの国際機関は、開発途上国の経済成長を最優先の目標として、
- 産業の振興
- 都市開発
- インフラ投資
- 工業化
──を、開発援助の中心に据えました。 GDPを増やせば、自然に貧困は減るし、教育も医療も向上するはず──そう考えられていたのです。
ですが、現実はそう単純ではありませんでした。
- 経済成長しても、その恩恵は一部の人々にしか届かない(格差の拡大)
- 都市は栄えても、農村は取り残される(地域間格差)
- 識字率や乳児死亡率が改善しない地域がある
- 環境破壊が進む
これらの問題を見て、開発の研究者たちは「経済開発だけでは、人々の生活は良くならない」という認識に至りました。 そこから、社会開発の概念が重要視されるようになっていきます。
3. 1970年代以降の重視
社会開発の議論は、1970年代から徐々に開発援助の中心テーマになっていきました。
- 1960年代初め:バランスある経済社会の開発が、国連などによって目標として掲げられる
- 1970年代中ごろ:開発機関が、社会開発を目標実現のために不可欠なものとして重視し始める
特に、国連、世界銀行、UNICEF、UNESCOなどの国際機関が、社会開発のための様々なプログラムを展開していきます。 教育の普及、母子保健の改善、貧困削減、ジェンダー平等──こうした領域に、開発援助の重心が移っていきました。
4. 「人間開発」という発想
社会開発の議論を、さらに体系化したのが、1990年代に国連開発計画(UNDP)が打ち出した人間開発(human development)の概念です。
経済学者アマルティア・セン(Amartya Sen)のケイパビリティ・アプローチを基盤として、UNDPは「人間開発報告書」を毎年発表しています。
人間開発の基本的な考え方は、
開発の目的は、所得や経済成長そのものではなく、人々が自分の人生を選び取り、生きる能力(capability)を広げることである。
というものです。
具体的な指標として、人間開発指数(HDI: Human Development Index)が使われます。 HDIは、
- 平均寿命
- 教育(成人識字率、就学率)
- 一人当たりGDP
──の3つを組み合わせた指標で、各国の「人間開発」の水準を測ろうとしています。
GDPだけでは見えない、人々の暮らしの質を、いくつかの指標で可視化する──。 これは、社会開発の発想を実証的に展開する試みです。
5. SDGs ── 社会開発の現代版
2015年に国連が採択した持続可能な開発目標(SDGs: Sustainable Development Goals)も、社会開発の系譜のうえにあります。
SDGsの17の目標は、
- 貧困をなくす
- 飢餓をゼロに
- 健康と福祉
- 質の高い教育
- ジェンダー平等
- 安全な水とトイレ
- エネルギー
- 働きがいと経済成長
- 産業と技術革新
- 不平等の是正
- 持続可能な都市
- 責任ある消費
- 気候変動への対策
- 海の豊かさ
- 陸の豊かさ
- 平和と公正
- パートナーシップ
──と、極めて広範な領域をカバーしています。 これらは、経済開発と社会開発と環境保全を統合して扱うものとして、設計されています。
社会開発の発想は、現代では、SDGsという形で世界の共通言語になっています。
6. 開発と「上から目線」の問題
社会開発を語るとき、注意しておきたいのが、「上から目線」になりやすいことです。
「開発援助」という言葉には、「進んだ国が、遅れた国を助ける」という前提が、しばしば染み込んでいます。 これは、社会進化論(→ #74)的な発想とも、深くつながっています。
近年の開発研究では、
- 援助される側の主体性を尊重する
- 現地の文化や知恵に学ぶ
- 「援助」ではなく「協力」「連帯」と呼ぶ
- 先進国の側も、開発途上国から学ぶことが多い
──といった、対等な関係を作る姿勢が重視されるようになっています。 ポストコロニアル研究の蓄積もあって、開発のあり方そのものが問い直されているのです。
7. インタビュー研究と、社会開発
TSIR がインタビューを通して聴く語りのなかにも、社会開発的な視点は、しばしば必要になります。
- 「経済的に豊かでも、地域から人がいなくなって寂しい」
- 「医療には恵まれているけど、心の支援は手薄に感じる」
- 「教育の機会はあったが、それを生かせる場が地元になかった」
- 「収入は増えたが、家族との時間が減った」
これらの語りは、GDPでは測れない「人々の暮らしの質」を映しています。 社会開発の補助線を持っていると、こうした語りを、たんなる「個人の不満」ではなく、社会の開発のあり方の問題として読みほぐすことができます。
結び
「開発」とは、GDPを伸ばすことだけではありません。
人々が、自分の人生を選び取り、健康で、教育を受け、尊厳をもって生きられる条件を整えること──。 これが、社会開発の核心です。
経済開発と社会開発のバランス、そして環境保全との統合。 SDGsのもとで、世界はこのバランスを探っています。
「自分の住む社会は、どんな開発を進めているのか」──。 ニュースで「経済成長」「GDP」「貧困率」「ジェンダーギャップ指数」などの言葉に出会ったとき、社会開発の補助線で見直してみる。 社会のかたちを考える、ひとつの基本姿勢です。
参考資料
- 国連開発計画(UNDP)「人間開発報告書」
- アマルティア・センのケイパビリティ・アプローチ
- 国連「持続可能な開発目標(SDGs)」(2015)
- 吉岡詩織の社会学用語ノート「社会開発」
- 関連:相対的貧困と絶対的貧困(#37)、福祉国家の収斂理論(#57)、社会進化論(#74)
【執筆:吉岡詩織 / 編集:qbc(栗林康弘)】