はじめに
「弱肉強食」「適者生存」「自然淘汰」──。 こうした言葉は、いまでも日常会話に登場します。 そして、ときどき「だから競争は自然なんだ」「だから格差は仕方ない」という議論に、滑り込んできます。
この発想を、19世紀末から20世紀初頭にかけて思想として組み立て、世界に大きな影響を与えたのが、社会進化論(Social Darwinism)でした。 今回取り上げるのは、ダーウィン主義と、それを社会に拡張した社会進化論です。
1. 社会進化論とは何か
社会進化論は、ひとことでいえば、
人間社会が、進歩的に発展していくと考える思想。社会の発展段階は、宗教、生業形態、婚姻制度、経済制度などで決定される。
を指します(吉岡のノートより)。
19世紀後半、チャールズ・ダーウィン(Charles Darwin)の『種の起源』(1859)が世界に衝撃を与えました。 自然淘汰によって生物が進化する、という発想は、生物学を超えて、社会のさまざまな領域に影響を及ぼしました。
その影響を、人間社会の理論として体系化したのが、イギリスの社会学者ハーバート・スペンサー(Herbert Spencer)です。 彼は、ダーウィンの「進化」概念を、社会に適用しようとしました。 「適者生存」(survival of the fittest)という有名な言葉も、じつはダーウィンではなく、スペンサーが先に使ったものでした。
2. スペンサーの「進化」と、ダーウィンの「変化」
ここで、社会学的に重要な区別があります。
ダーウィンの自然淘汰は、本来は価値中立的な「変化」を指す概念でした。 ある環境に適した生物が、たまたま生き残る。それは「優れている」という意味ではなく、たんなる環境適応です。
ところがスペンサーの「進化」は、もう少し価値を帯びていました。 社会は、より単純なものから、より複雑なものへ、より発展した段階へと進む──。 そこには、暗黙のうちに「進歩」の価値観が織り込まれていました。
そして、この価値を帯びた「進化」概念のほうが、当時の社会に広く流布していきました。 ダーウィンの「変化」よりも、スペンサーの「進化」のほうが、政治的・思想的にずっと強い力を持ったのです。
3. 社会進化論が、実社会にもたらしたもの
社会進化論は、19世紀末から20世紀初頭にかけて、実社会のさまざまな場面で利用されました。
ひとつ目は、植民地や帝国主義の正当化。 西洋諸国がアジア・アフリカを植民地化することは、「進化のより進んだ社会が、未開の社会を導くものだ」と、自然の摂理として正当化されました。
ふたつ目は、人種差別の「科学的」根拠への利用。 寒冷気候で生きる白人は「強者」、温暖な気候で生きる黒人は「生存競争を勝ち抜いていない弱者」──こうしたエセ科学的な議論が、社会進化論によって権威を持ちました。
三つ目は、社会政策における自由放任の擁護。 貧困者を国家が救済するのは「自然の淘汰を妨げる」とされ、社会保障や福祉政策への抵抗の理屈に使われました。
四つ目は、優生学(eugenics)の理論的支柱。 「優れた人間を増やし、劣った人間を減らす」という発想が、社会進化論をベースに広まりました。 20世紀には、ナチス・ドイツの政策や、各国の強制不妊手術につながり、深刻な人権侵害を引き起こしました。
4. 社会進化論への批判
20世紀に入ると、社会進化論は厳しい批判を受けるようになります。 主な批判は、次のようなものです。
ひとつ目は、普遍化の誤り。 すべての社会が、同じ歴史段階を経て一直線に発展する──という前提は、後の人類学・歴史学の実証研究で否定されました。
ふたつ目は、自民族中心主義。 欧米社会を「進化の頂点」とする見方は、自分たちの基準で他文化を判断するエスノセントリズムにすぎません。
三つ目は、物質主義への偏り。 社会の発展段階の尺度が、技術・経済・物質に偏っていて、文化・宗教・芸術の多様性が捨象されている。
四つ目は、比較の前提の不適切さ。 ある社会から特定の習慣を抜き出し、別の社会と比較する──そのとき、比較される対象が「同じ性質」を持つことを前提にしているけれど、その前提自体が保証されていない。
これらの批判によって、社会進化論は、20世紀後半には学問的にはほぼ否定されるに至りました。
5. 形を変えていまも生き続ける
学問としての社会進化論は否定されましたが、その発想は、形を変えていまも生きています。
- 「市場での競争に勝ち残る者が、社会のリーダーになるべき」
- 「強い国が、弱い国を導くのは仕方ない」
- 「自然淘汰だから、格差は当然」
- 「努力した人だけが報われるのが、公平」
──こうした言い回しの根っこに、社会進化論的な発想がしばしば潜んでいます。 社会学的には、これらに対して「それは、自然の法則ではなく、特定の時代に作られた思想ですよ」と返すための補助線を持っておくことが大事です。
そしてもうひとつ、社会進化論の対抗概念として挙げられるのが、クロポトキンの相互扶助論(→ #63)です。 「生存競争」ではなく「相互扶助」こそが、生物界と人間社会を支えている──というクロポトキンの主張は、社会進化論への直接的な反論として登場しました。 このふたつの見方は、いまも社会の見方をめぐって対立し続けています。
6. インタビュー研究と、社会進化論
TSIR がインタビューを通して聴く語りのなかにも、社会進化論的な発想は、しばしば登場します。
- 「努力した人だけが残るのが、自然でしょう」
- 「競争についていけない人は、仕方ない」
- 「淘汰されないと、社会は強くならない」
- 「弱者を支えすぎると、社会全体が弱くなる」
これらの語りを「個人の冷たさ」と切り捨てるのは、社会学的にはもったいない。 これらは、19世紀末からの社会進化論的な発想が、現代の私たちの常識のなかに残り続けていることを示しています。
これらと向き合うとき、
- それは本当に「自然の法則」なのか
- 別の見方(相互扶助、社会的公正、ケアの倫理)はないのか
- どんな思想史的な来歴を持つ言い回しなのか
──と一拍置いて考えると、対話の質が変わってきます。
結び
社会進化論は、19世紀末に大きな力を持ち、植民地・人種差別・優生学を「自然の摂理」として正当化してきました。 学問としては否定されましたが、その発想は形を変えていまも生きています。
「強者が残るのは自然だ」と聞いたとき、その背後にある思想史を意識する。 それは、私たちが社会のなかで他者とどう関わっていくかを、冷静に問い直すための、ひとつの作法です。
参考資料
- チャールズ・ダーウィン『種の起源』(1859)
- ハーバート・スペンサーの社会進化論
- P・A・クロポトキン『相互扶助論』(1902)
- 吉岡詩織の社会学用語ノート「ダーウィン主義・社会進化論」
- 関連:相互扶助(#63)、社会的差異化(#22)
【執筆:吉岡詩織 / 編集:qbc(栗林康弘)】