はじめに

「誰一人取り残さない」──SDGsのスローガンとして広く知られる言葉です。

この理念の社会学的な土台になっているのが、今回取り上げる社会的包摂(social inclusion)と、その対概念である社会的排除(social exclusion)です。

ふたつはセットで考える必要のある言葉なので、まとめて整理しておきます。

1. 社会的包摂とは何か

社会的包摂は、ひとことでいえば、

誰もが社会に参画する機会を持ち、排除されないこと。

を指します(吉岡のノートより)。

SDGsの「誰一人取り残さない」という理念と、共通する思想です。 誰もが、経済・教育・労働・医療・福祉といった社会の基本的な機会にアクセスできて、参加できる──という状態を指します。

2. 社会的排除とは何か

その反対の状態が、社会的排除です。

弱い立場に置かれた人は、教育・雇用・就業の機会が制限されたり、社会のなかでも少数派とみなされたりして、必要な支援や制度が整備されず、社会的に受け入れられにくい状態のこと。

「貧困」と似ているけれど、少し違います。 貧困は主に経済的な不足を指す概念であるのに対し、社会的排除は社会のさまざまな領域からのアクセスの困難を指す、より広い概念です。 ある人が、経済的にギリギリやっていけるとしても、医療にアクセスしにくい、教育を受けにくい、政治参加しにくい、近所と関係を作りにくい──こうした状態の重なりを、社会的排除と呼びます。

3. なぜ「排除」をわざわざ社会学が扱うのか

排除を社会学的に扱う意義は、ふたつあります。

ひとつ目は、排除は個人の問題ではなく、社会のしくみの問題だと見えてくることです。 「努力が足りない」「自己責任」という説明では捉えきれない、社会の側の構造的な要因が見えてくる。

ふたつ目は、排除は多次元的に重なって起きることが明確になることです。 低所得 × 低学歴 × 健康問題 × 孤立 × 不安定就労──こういった困難が複数重なる人ほど、社会的排除の度合いは深まる。 ひとつだけの問題なら回復可能でも、重なると抜け出しにくい。これを「累積的不利」と呼ぶこともあります。

4. 日本における議論の文脈

吉岡のノートにもあるとおり、日本では、特に震災のあとに、被災者の社会的排除が大きな論点になりました

家を失い、仕事を失い、地域コミュニティから引き剝がされた人びとが、復興のプロセスのなかでさらに孤立していく──という事態が、社会的排除という言葉で議論されるようになりました。

そこから、日本でも社会的包摂の必要性が政策のなかでも明確に位置づけられるようになっていきました。 社会保障審議会の議論なども、この方向の延長線上にあります。

5. インタビュー研究と、社会的包摂・排除

Tapi在野研究ネットワークがインタビューで聴く語りのなかにも、社会的包摂と排除のテーマは、たびたび顔を出します。

これらの語りは、社会的包摂と排除の輪郭を、ひとりひとりの人生の側から見せてくれます。 統計データだけでは見えてこない、「排除されている感覚」「それでもどうにか繋がろうとしている工夫」を、私たちは語りから受け取ります。

6. 「包摂」のしかたにも、丁寧さがいる

注意したいのは、「包摂すればいい」という単純な構図にとらわれないことです。

包摂する側が一方的に「受け入れてあげる」立場に立ってしまうと、それは新たな上下関係を作り出します。 本当の包摂は、包摂される側の声が反映される設計であり、包摂のしかた自体を、当事者と一緒に作り直す作業を含むはずです。

Tapi在野研究ネットワークのインタビュー研究が、語り手の言葉を「データ」としてではなく「ともに考える相手」として聴こうとしているのも、ここに連なる姿勢だと、私は考えています。

結び

社会的包摂と社会的排除は、現代社会の課題を捉えるうえで、不可欠な言葉のセットです。

「誰一人取り残さない」を理念ではなく現実にしていくためには、まず誰がどう取り残されているかを、ひとりひとりの語りから具体的に知ることが要ります。 それが、社会学的にインタビューする仕事の、もうひとつの輪郭です。

参考資料

内閣官房「社会的包摂」関連資料

Plan International ジャパン「社会的包摂とは」

【執筆:吉岡詩織 / 編集:qbc(栗林康弘)】

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