はじめに
廊下を走ってはいけない、決められた時間に決められた場所にいる、髪を黒く染めなおす、決められた列で給食を待つ──。 学校という空間には、教科書には書かれていないけれど、なぜかみんなが守っているルールがたくさんあります。
私たちは長い年月をかけて、こうした「学校での当たり前」を身につけてきました。 そのプロセス全体を、教育社会学のことばで学校文化(school culture)と呼びます。
1. 学校文化とは何か
学校文化は、ひとことでいえば、
主に義務教育などの学校教育の中にある、特有の文化。
を指します(吉岡のノートより)。
学校文化には、2つの大きな層があります。
ひとつ目は、教科書やカリキュラムに明文化された文化。 教えるべき教科、評価の方法、年間スケジュール、教科書の内容──。 これらは「正規のカリキュラム」として、はっきり書かれています。
ふたつ目は、明文化されていない文化。 生徒と教師の関係性、学校生活を送る上での規範やルール全般(性別規範も含む)、伝統的価値観と学校での価値観の関係性──。 これらは、教科書には書かれていないけれど、子どもたちが日々の生活のなかで身につけていきます。
この後者を、教育社会学では隠れたカリキュラム(hidden curriculum)と呼びます。 学校文化を考えるうえで、決定的に重要な概念です。
2. 隠れたカリキュラム
隠れたカリキュラムは、学校で意図せずに教えられていることを指します。
たとえば、
- 「みんなと同じであることが大事」
- 「先生の言うことには従うべき」
- 「男の子は元気に、女の子はおしとやかに」
- 「列を作って静かに待つことが、いい子」
- 「成績の順位で価値が決まる」
- 「ふつう」と違うことは、目立たないようにする
──こうしたメッセージは、教科書には書かれていません。 ですが、日々の学校生活のなかで、子どもたちはこれらを身体的に学習していきます。 そして、卒業後の社会生活のなかでも、その影響は長く残ります。
隠れたカリキュラムは、社会の規範を子どもたちに内面化させる、強力な装置です。 ジェンダー規範、階級規範、人種規範──。 これらが、教科書に書かれていない場所で、確実に伝達されていく。 学校社会学は、この見えない伝達を可視化することを、ひとつの中心課題にしてきました。
3. 学校文化の長所
学校文化には、もちろん見るべき長所もあります。
- 子どもが集団生活を送り、社会に適合していく上で、効率的に振る舞いを学べる
- 共通の経験を持つことで、世代としての連帯感が生まれる
- 一定のルールのもとで、学習が秩序を持って進められる
- 社会の基本的な規範を、世代を超えて伝達できる
特に、子どもが他者との関わり方を身につける場として、学校文化は重要な役割を果たしています。 全くルールのない空間では、子どもが集団生活を学ぶことは難しい。
4. 学校文化の問題
しかし、現代社会では、学校文化に対する反発も強まっています。
- 細かすぎる校則:髪色の地毛登録、下着の色の指定など、合理性が説明しにくいルール
- 自主性の抑圧:みんなと違うことを許さない雰囲気
- 多様性理解の遅れ:ジェンダー、性的指向、家族のかたちなどへの硬直した対応
- デジタル化への遅れ:教師の能力や学校設備が、世の中のデジタル化に追いついていない現状
吉岡のノートでも、
自主性や多様性理解、ジェンダー平等が求められる現代において、細かすぎる校則などの文化に反発が起こることも多々ある。
と整理されています。 現代社会の価値観の変化と、学校文化の伝統的な慣習のあいだに、大きなずれが生じてきているのです。
5. イリイチの「脱学校の社会」
学校文化を、もっとも徹底的に批判したのが、思想家イヴァン・イリイチ(Ivan Illich/→ #53 ヴァナキュラー)でした。
イリイチは『脱学校の社会』(Deschooling Society、1971)のなかで、学校が、
- 学習を「学校で教えられたもの」に限定する
- 学習を、専門家による証明書付きの活動に変える
- 個人の自律的な学びを抑圧する
- 学校外での学びを「価値の低いもの」として周辺化する
──という機能を持っている、と批判しました。 彼が提案したのは、
- カリキュラムのオープンソース化
- 各家庭での自主学習
- 学校に縛られない教育のあり方
- 「学習ネットワーク」と呼ぶ、より自由な学びの形
──など、学校制度そのものを問い直す方向です。
イリイチの議論は当時、極めてラディカルでしたが、ホームスクーリング、オンライン学習、リカレント教育などの広がりのなかで、いまも示唆を与え続けています。
6. 現代の学校文化の見直し
近年、日本でも、学校文化への見直しが少しずつ進んでいます。
- 不合理な校則の見直し(ブラック校則問題)
- 制服のジェンダーレス化
- 性別関係なく選べる選択肢の増加
- いじめや不登校への対応の改善
- オンライン授業、デジタル教材の導入
- 個性や多様性を尊重する教育の試み
これらは、学校文化を現代社会に合わせて更新していく動きとして読めます。 ただし、まだ道のりは長く、各地域・各学校の取り組みには大きな差があります。
7. インタビュー研究と、学校文化
TSIR がインタビューを通して聴く語りのなかにも、学校文化の影響は、しばしば登場します。
- 「学校では、みんなと同じであることが何より大事だった」
- 「自分の特性が、学校文化のなかでは『問題』とされた」
- 「先生に従うことが、いい子の条件だった」
- 「自分の個性が認められたのは、卒業してから」
これらの語りは、学校文化が個人の人格形成に、深く影響を与えてきたことを示しています。 そして、ある人にとって「ふつう」と感じられたものが、別の人にとっては「しんどさ」だったことも見えてきます。
学校文化の補助線を持っていると、こうした語りを、たんなる「個人の学校時代の思い出」ではなく、社会の規範が個人に染み込んでいく過程として読み直すことができます。
結び
学校は、たんに知識を教える場ではなく、社会の規範を伝達する装置でもあります。
その伝達は、教科書に書かれた内容よりも、書かれていない「隠れたカリキュラム」のほうが、しばしば強力です。 私たちが「ふつう」と感じているものの多くは、学校文化を通じて身についた感覚です。
その学校文化を、現代社会の価値観に合わせて、どう作り直していくか──。 これは、子どもたちのためであると同時に、私たち自身が何を当たり前としてきたかを問い直す作業でもあります。
参考資料
- イヴァン・イリイチ『脱学校の社会』(1971)
- 吉岡詩織の社会学用語ノート「学校文化」
- 関連:ヴァナキュラー(#53)、第一次集団・第二次集団(#34)、社会的差異化(#22)
【執筆:吉岡詩織 / 編集:qbc(栗林康弘)】