はじめに

「自分の力で生活している人と、生活保護を受けている人は、暮らしぶりに差があるべきだ」 「働けるなら、まず働くべきだ」 「税金で支えるのだから、それなりの厳しさが必要だ」

──こうした言葉は、いまでも社会保障の議論のなかで聞こえてきます。 じつは、この発想には、200年近く前のイギリスの貧困政策に、はっきりとした起源があります。

今回取り上げるのは、その新救貧法(1834年)と、その中核にあった院外救済の禁止です。

1. 新救貧法とは何か

イギリスでは、16世紀末からエリザベス救貧法(1601年)など、共同体・教区を単位とした救貧制度がありました。 ですが、産業革命と都市化のなかで、貧困者が急増し、従来の制度では対応しきれなくなっていきます。

1834年、それらを大きく改正したのが新救貧法(Poor Law Amendment Act 1834)でした。 正式名称は「イングランドとウェールズにおける貧困者に関する法律の改正と運営のための法律」。 人口論で知られるマルサスの影響を受けていることから、「マルサス救貧法」とも呼ばれます。

新救貧法は、3つの基本原則を定めたことで知られています。

ひとつ目は、劣等処遇の原則(less eligibility)。 ふたつ目は、ワークハウス・テスト(workhouse test)。 三つ目は、全国的統一の原則

このうち、特に「院外救済の禁止」と結びついているのが、ワークハウス・テストです。

2. ワークハウス・テストと院外救済の禁止

ワークハウス・テスト、つまり院外救済の禁止は、

労役場(ワークハウス)以外での救済を認めない、という決まり。

を指します(吉岡のノートより)。

「院外救済」とは、貧困者が自分の家に住んだまま、公的扶助を受けること。 お金や食料などを、家にいながら受け取ることです。

新救貧法は、この院外救済を禁止しました。 公的な救済を受けたいなら、ワークハウスに入所しなさい──というのが、ルールでした。

ワークハウスは、いまの感覚では「労役場」とでも訳しますが、当時のイメージはほとんど監獄に近い施設でした。

──こうした条件のもとに、貧困者は置かれました。

3. 劣等処遇の原則

新救貧法のもうひとつの柱が、劣等処遇の原則(less eligibility)です。

これは、

被救済貧民の生活水準は、最低層の自立労働者以下の水準でなければならない、という規定。

を意味します。

自分で働いている貧しい労働者の生活水準よりも、救済を受けている貧民の生活水準のほうが低くなければならない。 そうしないと、人々は「働くより、救済を受けたほうがいい」と考えてしまう、と。

つまり、新救貧法は、

──というふたつの仕組みで、人々が公的救済を受けたがらないように設計されていました。

4. なぜ、こんなにも厳しくしたのか

新救貧法がこれほど厳しい設計になったのには、当時の思想と社会状況があります。

ひとつ目は、自助の倫理。 「自立労働者と被救済貧民との境界を明確にして、なるべく公的な救貧制度で救済せず、貧困問題を生活困窮者自身で解決させる」──という、自助を重視する思想です。

ふたつ目は、マルサスの人口論。 マルサスは、人口は幾何級数的に増えるが、食料は算術級数的にしか増えない、と論じました。 過剰な救済は、貧困者の人口を増やしてしまい、社会全体を貧しくする──というロジックが、当時広く信じられていました。

三つ目は、産業革命と労働力の動員。 産業革命は、工場に大量の労働力を必要としていました。 公的救済を厳しくすることで、人々を労働市場に向かわせる、という政策的意図もあったのです。

5. 新救貧法への批判と、福祉国家への道

新救貧法は、当然のことながら、激しい批判を受けました。

これらの問題が、19世紀を通じて次第に明らかになっていきました。 そして、20世紀になって、ベヴァリッジ報告(→ #72)と戦後の労働党政権のもとで、新救貧法はついに廃止されます(1948年)。 これに代わって、福祉国家としての社会保障制度が整備されていきました。

ただし、新救貧法の発想は、完全には消えていません。

6. 現代に残る、新救貧法の発想

「自助が大事」「働けるなら、まず働け」「制度に頼らず、自分で何とかしろ」──。 こうした発想は、いまも社会保障の議論のなかで、しばしば聞こえてきます。

これらはすべて、新救貧法の発想の現代版とも言えます。

19世紀の極端な形は、いまではさすがにありません。 ですが、「救済を受ける人を、できるだけ少なくする」という発想は、いまも政策のあちこちに埋め込まれています。 これを意識化することは、現代の福祉政策を考えるための、重要なリテラシーです。

7. 「権利」としての福祉という対抗

新救貧法の発想に対抗するのが、福祉は権利だという発想です。

ベヴァリッジ報告以来の戦後福祉国家は、福祉を「慈善」ではなく「権利」として位置づけてきました。 日本国憲法第25条の生存権は、その典型です。

すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。

ここで福祉は、「与えてあげる」「もらわせてもらう」ものではなく、「請求する権利」として規定されています。 権利だから、ためらわずに行使できる。 これが、新救貧法の世界からの、大きな転換でした。

ですが、現実の運用では、いまも生活保護受給者がスティグマを負わされたり、申請をためらわされたりする場面が、たくさんあります。 新救貧法の発想と、福祉国家の発想は、いまも私たちの社会のなかで、せめぎあっています。

8. インタビュー研究と、新救貧法

TSIR がインタビューを通して聴く語りのなかにも、新救貧法的な発想は、しばしば顔を出します。

これらの語りは、新救貧法的な発想が、200年の時を超えて、私たちの感情と行動を縛っていることを示しています。 権利としての福祉を、ことばだけでなく、生活感覚として根づかせるには、まだ大きな道のりがあります。

結び

「院外救済の禁止」と「劣等処遇」──。 新救貧法の発想は、19世紀のイギリスで作られましたが、その影は、いまも私たちの社会のあちこちに残っています。

ベヴァリッジ報告以降の福祉国家は、福祉を権利として位置づけ直す試みでした。 ですが、その試みはいまも未完成です。

「自助でなんとかすべきだ」「公的救済はできるだけ少なく」という発想と向き合うこと。 そして、それを「権利としての福祉」に置き換えていくこと。 これは、福祉社会学のいまも続く課題です。

参考資料

【執筆:吉岡詩織 / 編集:qbc(栗林康弘)】

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