はじめに
「ゆりかごから墓場まで」──。 このフレーズは、戦後イギリスの福祉国家を象徴する言葉として、いまも世界中で参照されます。
その福祉国家の青写真を描いた、1冊の報告書がありました。 1942年、第二次世界大戦のさなかに発表されたベヴァリッジ報告(Beveridge Report、正式名称『社会保険および関連諸サーヴィス』)です。
20世紀の福祉国家のあり方を、世界規模で方向づけたこの報告書を、社会学のことばで整理しておきましょう。
1. ベヴァリッジ報告とは何か
ベヴァリッジ報告は、ひとことでいえば、
1942年に、戦後イギリスの福祉国家形成の基本骨格を提示した、王立委員会の報告書。
を指します(吉岡のノートより)。
委員会の委員長を務めたのが、イギリスの経済学者・社会改革者ウィリアム・ベヴァリッジ(William Beveridge)。 彼の名にちなんで、報告書は「ベヴァリッジ報告」と呼ばれるようになりました。
報告書は、戦後の社会保障制度のあるべき姿を、極めて体系的に整理した文書でした。 その提言の多くが、戦後すぐの労働党政権のもとで実現に向かい、いまの「ゆりかごから墓場まで」と呼ばれるイギリスの福祉国家の基礎になりました。
2. 「5つの悪」と、それへの対応
ベヴァリッジは、戦後社会が克服すべき「5つの悪(巨人)」を、報告書で名指ししました。
ひとつ目は、窮乏(want)。 → 所得保障で対応する。
ふたつ目は、疾病(disease)。 → 医療で対応する。
三つ目は、無知(ignorance)。 → 教育で対応する。
四つ目は、不潔(squalor)。 → 住宅で対応する。
五つ目は、怠惰(idleness、ここでは無為・失業に近い)。 → 雇用で対応する。
これらを、国家による社会保険制度を整備することで克服し、それが不可能なケースには公的扶助で備える──というのが、報告書の基本構想でした。
注目すべきは、福祉を「所得保障」だけに閉じ込めず、医療・教育・住宅・雇用までを一体として捉えたことです。 人が「健康で文化的な生活」を送るためには、これらすべてが必要だ、という総合的な視野が、ベヴァリッジ報告の特徴でした。
3. ナショナル・ミニマムという思想
ベヴァリッジが目指したのは、
「完全な平等」ではなく、あくまでも最低限度(ナショナル・ミニマム)の保証。
「ナショナル・ミニマム」は、国家が国民に対して保障する生活の最低水準のこと。 イギリスのウェッブ夫妻(Sidney and Beatrice Webb)が、1897年の『産業民主制論』で先駆的に提唱した概念です。
ウェッブ夫妻は、
- 最低賃金
- 労働時間の上限
- 衛生・安全基準
- 義務教育
──の4項目をナショナル・ミニマムの内容として挙げました。 これは生存権概念の先駆としても重要であり、もともとは19世紀末イギリス経済衰退への処方箋として、貧困者への人的資本投資の側面も持っていました。
ベヴァリッジは、このナショナル・ミニマムの思想を引き継ぎ、戦後の社会保障制度を組み立てる根本原理に据えました。
4. 完全雇用・家族手当・国営医療を前提に
ベヴァリッジ報告の社会保険構想には、いくつかの前提がありました。
- 完全雇用:政府が、失業をできる限り抑えることに責任を持つ
- 家族手当:子どもがいる家庭に、現金給付を行う
- 国営医療:医療サービスを、税で支える国営の仕組みにする
これらが揃ったうえで、社会保険による所得保障が機能する、という設計でした。 報告書は、当時のケインズ経済学の強い影響を受けていますが、ベヴァリッジ自身は新古典派経済学に近い立場でもありました。
5. 戦後の労働党政権による実現
ベヴァリッジ報告は、戦時中の発表でしたが、戦争が終わると一気に政治の中心に押し出されます。
第二次世界大戦末の選挙で労働党が大勝し、クレメント・アトリー労働党政権が成立しました。 これによって、「ベヴァリッジプラン」の構想は実現へと動き出します。
1946年には、
- 国民保険法
- 国民保健サービス法(NHS)
──が制定され、1948年には国民扶助法も整備されました。 こうしてイギリスは、世界に先駆けて「ゆりかごから墓場まで」と呼ばれる福祉国家への道を歩み始めます。
6. 限界と、その後の議論
ベヴァリッジ報告は、極めて画期的でしたが、いくつかの限界も指摘されてきました。
ひとつ目は、均一拠出・均一給付の原則の限界。 誰もが同じ保険料を払い、同じ給付を受ける、という発想は、所得格差が大きい社会では、現役世代の負担感に偏りを生みやすい。
ふたつ目は、男性稼ぎ主モデルを前提にしていたこと。 ベヴァリッジ報告は、夫が働き、妻が家事育児をする家族をモデルにしていました。 女性の社会進出、ひとり親、共働きなど、現代の家族のあり方には、対応しきれない部分が残りました。
三つ目は、人種・移民への配慮不足。 戦後の旧植民地からの移民増加に伴う、新しい貧困層への対応は、別の枠組みで考えなければなりませんでした。
それでも、ベヴァリッジ報告が示した「国家が市民の最低限の生活を、総合的に保障する」という発想は、いまも福祉国家の根幹を支えています。
7. 日本への影響
日本の戦後の福祉も、ベヴァリッジ報告の影響を強く受けています。
日本国憲法第25条は、
「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」
と定め、これがナショナル・ミニマムの法的根拠になっています。 生活保護法、国民健康保険法、国民年金法、義務教育の整備──これらは、ベヴァリッジ的な発想を日本流に翻案したものだと言えます。
日本では、地方自治体単位での最低限の生活水準をシビル・ミニマム(civil minimum)と呼ぶこともあります。 これも、ナショナル・ミニマムの応用版です。
8. インタビュー研究と、ベヴァリッジ報告
TSIR がインタビューを通して聴く語りのなかにも、ベヴァリッジ的な発想は、生活感覚として現れます。
- 「医療がほとんど無料で受けられるのは、本当にありがたい」
- 「年金だけでは不十分でも、それでもあるとないとでは大きく違う」
- 「教育費の負担で進学を諦めた経験は、いまも残っている」
- 「住まいを公的に支える仕組みがあれば、生活はもっと違うはず」
これらの語りは、ナショナル・ミニマムが実質化されているかどうかを、生身の生活レベルで教えてくれます。 ベヴァリッジ報告の補助線を持っていると、こうした語りを「個人の苦労」ではなく、福祉国家の設計の問題として読みほぐすことができます。
結び
ベヴァリッジ報告は、1942年の戦時下に書かれた、たった1冊の報告書でした。 ですが、それが20世紀の福祉国家の青写真になり、世界中の社会保障制度に影響を与えました。
「国家が、市民の最低限の生活を、総合的に保障する」という発想は、いまも生きている。 そして、その発想を21世紀のリスクと家族のあり方に合わせて更新していくことが、これからの福祉国家の課題です。
参考資料
- ウィリアム・ベヴァリッジ『社会保険および関連諸サーヴィス』(1942)
- シドニー&ベアトリス・ウェッブ『産業民主制論』(1897)
- 日本国憲法第25条
- 吉岡詩織の社会学用語ノート「ベヴァリッジプラン・ベヴァリッジ報告」
- 関連:福祉(#61)、社会保険(#62)、福祉国家の収斂理論(#57)
【執筆:吉岡詩織 / 編集:qbc(栗林康弘)】