はじめに
「福祉」と聞くと、まず思い浮かべるのは、社会保障や生活保護、介護保険のような公的な制度かもしれません。 ですが、私たちの生活を支えている福祉は、それだけではありません。 税金の控除でも、企業の福利厚生でも、私たちは「福祉」を受け取っています。
この、福祉の重層的な構造を整理したのが、今回取り上げる福祉の社会的分業(Social Division of Welfare)です。 イギリスの社会政策学者リチャード・ティトマス(Richard Titmuss)が提唱しました。
1. 福祉の社会的分業とは何か
福祉の社会的分業は、ひとことでいえば、
福祉は「社会福祉」「財政福祉」「企業福祉」という3つの方法によって実施されているという論。
を指します(吉岡のノートより)。
ティトマスは、戦後イギリスの福祉国家を分析するなかで、この3分類を提示しました。 私たちが「福祉」と呼んでいるものは、ひとつの仕組みではなく、性質の違う3つの仕組みの組み合わせでできている、という見方です。
2. ひとつ目:社会福祉(social welfare)
社会福祉は、
税金や保険料などを財源として制度化された、公的な施策。
を指します。
具体的には、医療、教育、住宅、対人援助サービス、ソーシャルワーク、生活保護、年金、失業給付など、極めて広い範囲を包含しています。
私たちが「福祉」と聞いてふつう思い浮かべるのは、たいていこの社会福祉です。 ナショナル・ミニマム(→ #72)や、社会保険(→ #62)、公的扶助は、いずれもこのカテゴリに入ります。
3. ふたつ目:財政福祉(fiscal welfare)
財政福祉は、
税金の控除等による、財政上の福祉施策。
を指します。
これは見落とされがちですが、極めて重要です。
たとえば、
- 障害者控除(障害者本人や、扶養している家族の所得税が軽減される)
- 扶養控除、配偶者控除
- 医療費控除
- 住宅ローン減税
- 寄付金控除(ふるさと納税を含む)
──こうした、税金を軽減することによる支援は、すべて財政福祉に含まれます。
財政福祉は、お金を「給付する」のではなく、「徴収しない」かたちで行われる福祉です。 だから、表面的には「給付」として可視化されにくく、福祉統計にも出てきにくい。
ですが、その規模は決して小さくありません。 高所得層に有利になりやすい仕組みでもあるので、社会的な不平等を考えるときには、財政福祉も視野に入れる必要があります。
4. 三つ目:企業福祉(occupational welfare)
企業福祉は、
企業として独自で提供する、福祉。
を指します。
具体的には、
- 企業年金(厚生年金とは別の、会社独自の年金)
- 健康保険組合の付加給付
- 福利厚生施設(スポーツ施設、保養所など)
- 社宅、独身寮、家賃補助
- 通勤手当
- 退職金
- 育児・介護休業中の独自上乗せ給付
──など。 これらは、所属する企業によって提供される福祉です。
5. ティトマスの問題提起 ── 企業福祉と不平等
ティトマスは、企業福祉に一定の役割があることを認めつつ、同時に強い批判もしました。
彼の指摘は、こうです。
企業が個別に企業福祉を実施することで、社会的不平等が拡大し固定化することによって、新たな不平等が生まれる危険性がある。
なぜなら、企業福祉は、
- 大企業の正社員には手厚く提供される
- 中小企業の社員、非正規労働者、フリーランス、自営業者には届きにくい
- 退職した後、転職した後は、その恩恵を失う
──という性質を持つからです。
つまり、企業福祉が拡大すればするほど、
- 大企業正社員と、それ以外の働く人々のあいだの格差が広がる
- 福祉が雇用先によって決まるため、転職や独立が抑制される
──といった、社会の硬直化を生む可能性があります。
6. 3つの福祉のバランス
福祉の社会的分業の補助線が示してくれるのは、ある国の福祉が、
- 社会福祉が中心か(公的制度型)
- 財政福祉が大きいか(税控除型)
- 企業福祉が中心か(雇用関連型)
──のどれを重視しているか、を見ることができる、ということです。
国によって、また時期によって、この組み合わせは大きく違います。
- 北欧型:社会福祉が突出して大きい
- アメリカ型:財政福祉と企業福祉の比重が高い
- ドイツ型:社会福祉(職域別保険)の比重が大きい
- 日本型:社会福祉と企業福祉の組み合わせ。終身雇用が前提だった頃は、企業福祉の比重が大きかった
そして、日本では近年、終身雇用と企業福祉のモデルが崩れつつあります。 非正規雇用の拡大、フリーランスの増加、転職の一般化──。 こうしたなかで、企業福祉の社会的役割を、どう社会福祉や財政福祉に置き換えていくかが、大きな政策課題になっています。
7. 「見えない福祉」を見えるようにする
ティトマスのこの3分類が画期的だったのは、見えにくい福祉を、社会学のことばで可視化したことです。
社会福祉だけを「福祉」と呼んでいたら、
- 税控除という形で、特定の層が受けている恩恵
- 企業福利厚生という形で、特定の労働者が受けている恩恵
──が、公的議論の対象になりません。 結果として、これらが密かに社会の不平等を強化する仕組みになってしまいます。
福祉の社会的分業の議論は、私たちに「福祉とは、もっと広い範囲で捉えるべきものだ」と思い起こさせてくれます。 そして、その全体像を見ることで、社会の不平等の構造をより精密に分析できるようになる。
8. インタビュー研究と、福祉の社会的分業
TSIR がインタビューを通して聴く語りのなかにも、3つの福祉のかたちは、生活感覚として現れます。
- 「社会保障があるから、なんとか生活している」(社会福祉)
- 「医療費控除で、家計が助かった」(財政福祉)
- 「会社の社宅で、若い頃は住居費がほとんどかからなかった」(企業福祉)
- 「退職後、企業福祉から外れたら、生活感覚が一変した」
これらの語りは、福祉が私たちの暮らしのあちこちに、姿を変えて入り込んでいることを教えてくれます。 ティトマスの補助線を持っていると、「個人の生活水準」を、3つの福祉の組み合わせとして読みほぐすことができます。
結び
「福祉」と一口に言っても、それは社会福祉だけのことではありません。
財政福祉と企業福祉も、私たちの暮らしを支える、もうひとつの福祉のかたち。 そして、この組み合わせの違いが、社会の不平等の構造を作り出しています。
「見える福祉」だけでなく、「見えない福祉」も視野に入れる。 ティトマスの福祉の社会的分業論は、福祉を考えるときの、いまも有効な基本のレンズです。
参考資料
- リチャード・M・ティトマス『社会福祉政策』
- 吉岡詩織の社会学用語ノート「福祉の社会的分業」
- 関連:福祉(#61)、社会保険(#62)、ベヴァリッジ報告(#72)、普遍主義と選別主義(#20)
【執筆:吉岡詩織 / 編集:qbc(栗林康弘)】