はじめに
「経済は経済の論理で動く」「市場は市場のメカニズムで動く」──。 こんな表現を、私たちは日常的に耳にします。 経済は、政治や文化や人間関係とは別の独立した領域だ、と考える発想です。
ですが、これは本当でしょうか。 そもそも、人と人の関係や信頼がなければ、市場での取引なんて成立しないはずです。
この、「経済は社会のなかに埋め込まれている」という発想を、社会学のことばで整理したのが、今回取り上げる埋め込み(embeddedness)という概念です。
1. ポランニーの埋め込み
埋め込み概念を最初に提示したのは、ハンガリー系の経済人類学者カール・ポランニー(Karl Polanyi)でした。 彼は1944年の著作『大転換』のなかで、こう論じました。
人間の経済は、経済的な制度と非経済的な制度に埋め込まれ、編み込まれているのである。非経済的な制度を含めることが肝要である。
つまり、経済活動は、それ単独で独立しているのではなく、
- 政治制度
- 法制度
- 宗教
- 道徳
- 家族・親族
- 地域共同体
- 文化的慣行
──といった、広い社会制度のなかに「埋め込まれて」初めて成り立つ。 そうポランニーは主張しました。
近代以前の経済は、明らかに社会のなかに埋め込まれていました。 たとえば、贈与や互酬性に基づく交換、共同体内の労働交換、宗教的な儀礼としての交換──。 これらは、純粋な「市場交換」ではありません。
ポランニーは、近代経済学が経済の社会関係への埋め込みを無視し、経済交換を常に市場交換と考えるのは間違いだ、と痛烈に批判しました。
2. 「大転換」と擬制商品
ポランニーが『大転換』で警告したのは、近代社会が経済を社会から引きはがそうとしていることの危うさでした。
完全に自己調整的な市場経済を作り上げるには、
- 労働(=人間)
- 土地(=自然)
- 貨幣
──を、純粋な商品へと転換させる必要がある。 ですが、これらは本来、商品として作られたものではない。 それを商品化すること(擬制商品化)は、社会と自然環境を確実に破壊する、というのが、ポランニーの警告でした。
このポランニーの議論は、後に脱商品化(→ #47)の議論にもつながっていきます。
3. グラノヴェッターによる再解釈
ポランニーの埋め込み概念は、戦後しばらく忘れられていました。 それを蘇らせたのが、アメリカの社会学者マーク・グラノヴェッター(Mark Granovetter)です。
グラノヴェッターは、1985年の論文「経済行為と社会構造:埋め込みの問題」で、埋め込み概念を新しい経済社会学の中心概念として復活させました。
ただし、彼はポランニーの議論を一部修正します。
ポランニーは、
「埋め込み」概念が当てはまるのは、近代以前の非市場社会だけ。市場社会では、経済は社会から引き離されている。
と整理しました。 これに対して、グラノヴェッターは、
いや、市場社会の経済分析にも埋め込み概念は適用できる。 実際の経済生活では、社会的影響と需要供給の影響が混在している。
と主張しました。 現代の市場経済も、たんなる「合理的な計算」では動いていない。 信頼、ネットワーク、義務、評判、共有された価値──こうした社会的なものが、経済活動の底で動いている。 これがグラノヴェッターの埋め込み論です。
4. 「経済関係の基礎には、社会的つながりがある」
吉岡のノートでは、埋め込みのポイントを次のように整理しています。
経済関係の基礎には、社会的つながりの確認、信頼、連帯が不可欠であり、ネットワーク、価値、道徳性、伝統、義務、勢力関係を通じて経済関係が成立する。
たとえば、
- ベンチャー投資は、創業者個人への信頼関係が決定的に重要
- 中小企業の取引は、長年の人間関係に支えられている
- フリーランスの仕事は、紹介ネットワークで回っている
- 国際取引は、文化的・政治的な背景に大きく依存している
──こうした「経済の現場」は、純粋な需要と供給だけでは動いていない。 社会的なつながりが、経済を底から支えている。
5. 4タイプの埋め込み
埋め込み概念は、しばしば曖昧と批判されてきました。 そこで、社会学者ポール・ディマジオとシャロン・ズーキンが、埋め込みを4つのタイプに整理しました。
ひとつ目は、認知的埋め込み。 人間の心理的・認知的な過程が、経済合理性を制限すること。 たとえば、行動経済学が扱う「人間は完全に合理的ではない」という側面。
ふたつ目は、文化的埋め込み。 経済に対する文化のインパクト。 共有された信念、態度、規範、価値、論理、役割関係、自明視されている前提などが、経済行為を方向づける。 たとえば、贈答品の習慣、給料交渉のしにくさ、起業文化の有無など。
三つ目は、構造的埋め込み。 経済行為が、社会関係のネットワークのなかで起こること。 誰と知り合いか、どんなネットワークに所属しているかが、経済機会に直結する。 グラノヴェッターの弱い紐帯の強さ(→ #27)も、この構造的埋め込みの議論です。
四つ目は、政治的埋め込み。 経済行為における勢力の役割に注目する。 経済制度や意思決定が、政治的な力関係によって形作られていること。 たとえば、業界団体のロビイング、規制の作られ方、独占禁止法の運用など。
この4分類により、埋め込み概念は、ぼんやりした「経済と社会のつながり」ではなく、精密に分析可能な道具になりました。
6. 埋め込み論の含意
埋め込み論は、現代社会学にとって、いくつかの重要な含意を持ちます。
ひとつ目は、経済学と社会学の関係を問い直すこと。 経済は経済学の専売特許ではない。社会学も、経済の核心にアプローチできる。
ふたつ目は、市場万能論への対抗。 「市場に任せれば、すべてうまくいく」という新自由主義的な発想は、経済が社会に埋め込まれているという事実を見落としている。 信頼、規制、文化、共同体がなければ、市場は機能しない。
三つ目は、経済政策の見直し。 経済政策を、純粋な経済学だけで設計すると失敗する。 社会的な信頼やネットワーク、文化的な背景を踏まえた政策設計が必要になる。
7. インタビュー研究と、埋め込み
TSIR がインタビューを通して聴く語りのなかにも、埋め込みの手応えは、しばしば登場します。
- 「仕事は、紹介で決まることがほとんど」(構造的埋め込み)
- 「業界の慣習があって、お金の話を直接できない」(文化的埋め込み)
- 「お得意さんとの長年の信頼で、取引が成り立っている」
- 「規制の作られ方が、特定の業界に有利になっている」(政治的埋め込み)
これらの語りは、経済活動が、純粋な「合理的計算」ではなく、社会的なつながりのなかで営まれていることを示しています。 埋め込みの補助線を持っていると、こうした語りを、経済の現場を社会学的に読みほぐすための材料として扱うことができます。
結び
「経済は経済の論理で動く」──。 この素朴な見方を、埋め込み論は根本から問い直します。
ポランニーが警告したように、経済を社会から引きはがすことは、社会と自然を破壊するリスクを持ちます。 グラノヴェッターが示したように、現代の市場経済も、社会的なつながりのなかにしか存在しません。
経済を、もう一度社会のなかに置き直す視点。 これは、これからの経済政策・社会政策・私たちの暮らしの設計に、欠かせない補助線です。
参考資料
- カール・ポランニー『大転換』(1944)
- Mark Granovetter "Economic Action and Social Structure: The Problem of Embeddedness" (1985)
- ポール・ディマジオ、シャロン・ズーキンの埋め込み分類
- 吉岡詩織の社会学用語ノート「埋め込み」
- 関連:脱商品化(#47)、弱い紐帯(#27)、市場化(#82)
【執筆:吉岡詩織 / 編集:qbc(栗林康弘)】