はじめに
税金、社会保険料、給付金──。 私たちは毎月、何かを払い、何かを受け取っています。 このお金は、いったい誰から誰へ流れているのでしょうか。
社会全体での所得の動き方を、福祉社会学では再分配(redistribution)と呼びます。 そして、その再分配には、性質の異なるふたつのかたちがあります。 それが、今回取り上げる水平的再分配(horizontal redistribution)と垂直的再分配(vertical redistribution)です。
1. 水平的再分配とは何か
水平的再分配は、ひとことでいえば、
社会において、同一所得間、同一職種間などで、稼得能力のある人からない人に所得が再分配されること。
を指します(吉岡のノートより)。
「水平的」という言葉が示すのは、「同じ所得層・同じ階層のなかで」という意味です。 所得の上下を問わず、人生のフェーズや状況の違いによって、稼げる人から稼げない人へとお金が流れる仕組みのことです。
具体例:
- 医療保険:健康な人から、病気の人へ
- 失業保険:働いている人から、失業した人へ
- 介護保険:介護を要しない人から、介護を要する人へ
- 育児休業給付:子どもがいない人や育休を取らない人から、育休を取る人へ
- 年金(賦課方式の側面):現役世代から、退職した世代へ
これらの保険は、ふつう同じ職種・同じ所得水準の人の中でも、「いま元気な人」と「いま困難に直面している人」のあいだで、お金を動かす設計になっています。
水平的再分配の核心は、「いつ誰が困難に直面するかは分からない」という前提です。 だから、社会全体で支え合う仕組みを作っておく──。これが社会保険の根本思想です。
2. 垂直的再分配とは何か
垂直的再分配は、ひとことでいえば、
社会において、高所得層から低所得層への、所得の移転・再分配。
「垂直的」が示すのは、「所得階層を縦に貫いて」という意味です。 裕福な人から、貧しい人へ、お金を動かす仕組みのことです。
具体例:
- 累進課税(所得税の累進性):高所得層により高い税率を課す
- 生活保護:税金を原資として、低所得世帯に現金給付
- 住宅手当・就学援助:所得制限つきで、低所得者に給付
- 児童手当の所得制限つき部分:所得が一定以下の家庭に給付
ここで動いているのは、
- 累進課税で高所得層から税金を多めに集める
- それを原資にして、低所得層に現金やサービスを給付する
──という流れです。 社会全体の所得格差を、政策的に縮める方向に動く仕組みです。
3. ふたつの再分配の、思想的な違い
水平的再分配と垂直的再分配は、目的も思想もずいぶん違います。
水平的再分配は、
- 万人がリスクに備える、保険的な発想
- 普遍主義(→ #20)と親和的
- スティグマが小さい
- 「みんなで支え合う」という連帯感
垂直的再分配は、
- 不平等を是正する、正義論的な発想
- 選別主義(→ #20)的な側面を持つ(給付に所得制限があるため)
- スティグマが伴いやすい
- 「持つ者から持たざる者へ」という社会正義の視点
どちらが正しいかではなく、どちらをどれくらい組み合わせるかが、福祉国家の設計の核心になります。
4. 北欧型 vs 英米型 ── 組み合わせの違い
各国の福祉国家を、再分配の組み合わせで比較すると、特徴がよく見えてきます。
北欧型(社会民主主義レジーム、→ #47): 水平的再分配と垂直的再分配の両方が強い。普遍主義的なサービスを充実させた上で、高い税で全体の格差を縮める。
英米型(自由主義レジーム): 両方とも比較的弱い。市場の働きを優先し、最低限の選別主義的給付を中心とする。
大陸ヨーロッパ型(保守主義レジーム): 職域ごとの社会保険が中心。水平的再分配は強いが、垂直的再分配は弱め。
日本型: 水平的再分配(国民皆保険・皆年金)は整っているが、垂直的再分配は弱め。所得税の累進性も比較的緩やか。
これらの違いは、その国の歴史・政治・労働運動・宗教・家族規範などが絡み合って作られてきました。 「経済が発展すれば収斂する」というウィレンスキー(→ #57)の予想に反して、各国の再分配のかたちは、いまも大きく異なります。
5. 「世代間再分配」という第三の側面
水平・垂直に加えて、近年では世代間再分配という側面も議論されています。
公的年金は、現役世代の保険料が、いまの高齢者の年金給付に回る仕組み(賦課方式)で動いています。 つまり、
- 現役世代 → 高齢世代
への、世代間の所得移転が起きている。 水平的再分配の一種でもありますが、世代間の問題として独立して論じられることが増えました。
少子高齢化が進むと、現役世代の負担が増えていく。 このことは、世代間の公正をめぐる議論を呼んできました。
6. インタビュー研究と、再分配
TSIR がインタビューを通して聴く語りのなかにも、再分配の手応えは、生活感覚として現れます。
- 「医療保険のおかげで、突然の病気でも乗り切れた」(水平的再分配を実感)
- 「年金は払い続けてきたけど、本当にもらえるのか不安」(世代間再分配への疑念)
- 「税金がもう少し下の世代に回るといいのに」(垂直的再分配への希望)
- 「累進課税がもっとあってもいいと思うけど、抜け穴も気になる」
これらの語りは、再分配の仕組みを「自分の暮らし」と結びつけて見ています。 水平的・垂直的の補助線を持っていると、こうした語りを政策設計の議論に翻訳することができます。
結び
「税金や保険料は、誰から誰へ流れているのか」──。
水平的再分配と垂直的再分配の区別を意識すると、福祉政策の議論が、急にクリアに見えてきます。
社会全体で支え合う仕組みを、どんな組み合わせで作っていくか。 これは、政治の問題であり、私たちの生活感覚にも直結する問いです。 ニュースで「税制改革」「年金改革」「給付金」という言葉に出会ったとき、「これは水平的か、垂直的か」と立ち止まる癖をつけてみてください。理解のレベルが、ぐっと変わります。
参考資料
- 吉岡詩織の社会学用語ノート「水平的再分配・垂直的再分配」
- 関連:福祉(#61)、社会保険(#62)、普遍主義と選別主義(#20)、脱商品化(#47)
【執筆:吉岡詩織 / 編集:qbc(栗林康弘)】