はじめに
「あの国は福祉が手厚いから、いい国だ」 「うちの国は、もう少し経済が発展すれば、福祉も整うはず」
こうした素朴な発想を、社会学・社会政策論のことばで体系化したのが、今回取り上げる福祉国家の収斂理論(convergence theory of welfare states)です。
アメリカの社会学者ハロルド・ウィレンスキー(Harold L. Wilensky)が、1975年の『福祉国家と平等』で展開しました。
1. 福祉国家の収斂理論とは何か
福祉国家の収斂理論は、ひとことでいえば、
どんな国でも経済成長が促されれば、福祉事業への公的支出が増え、長期的には経済水準が福祉国家の発展をもたらす根本的原因であるとする理論。
を指します(吉岡のノートより)。
「収斂」とは、いろいろなものが似た方向に集まっていくこと。 ウィレンスキーの主張は、ひとことで言えば「経済発展が進めば、各国の福祉国家は似てくる」というものでした。
2. ウィレンスキーの実証研究
ウィレンスキーがこの主張を出した背景には、彼自身の精密な実証研究がありました。
彼は、多くの国を対象に、福祉事業への公的支出と、さまざまな要因の関連を統計的に検証しました。 そして、次のような結論を出しました。
イデオロギーや政治体制は、福祉事業への拠出において大きな説明力を持たない。 経済水準のみが、説明力を持つ。
つまり、「右派政権だから福祉が手薄」「社会民主主義政権だから福祉が手厚い」というような、政治体制やイデオロギーで福祉国家の規模を説明する見方は、長期的なデータからは支持されない。 むしろ、経済発展のレベルが、福祉支出を最もよく予測する──。
これは、当時の福祉国家論にとって、なかなか衝撃的な主張でした。
3. 経済発展は、どう福祉国家を生むのか
ウィレンスキーが描いた、経済発展→福祉国家の因果メカニズムは、次のように整理できます。
ひとつ目に、経済水準の発展は、人口構造の変化をもたらす。 具体的には、出生率の低下と高齢化です。 豊かになると、人々は子どもを少なく持ち、長く生きるようになる。
ふたつ目に、人口構造の変化は、福祉ニーズを作り出す。 高齢者が増えれば、年金・医療・介護のニーズが増える。 共働きが増えれば、保育のニーズが増える。
三つ目に、こうしたニーズに対応して、福祉プログラムが作り出される。
四つ目に、ひとたび福祉プログラムが作られると、それは成熟し、適用範囲を拡大し、給付の増額を図る動きが始まる。 官僚組織は、自分の領域を広げていく傾向を持つから、福祉プログラムは自己増殖的に拡大していく。
このように、経済発展は、
- 直接ではなく、長期的には
- 人口構造変化の圧力と
- 福祉事業を主管する官僚制の自己増殖を介して
福祉国家の発展に結びついていく──というのが、ウィレンスキーの図式でした。
4. 「収斂」批判 ──エスピン=アンデルセンの登場
ウィレンスキーの収斂理論は、福祉国家論の重要なベンチマークですが、その後の研究者から強く批判されました。
代表的な批判者が、デンマークの社会学者ヨスタ・エスピン=アンデルセン(Gøsta Esping-Andersen)です。 彼は1990年の『福祉資本主義の三つの世界』で、経済発展のレベルが似ている国々のあいだでも、福祉国家のかたちが大きく違うことを示しました。
- 自由主義レジーム(英米型)
- 保守主義レジーム(大陸ヨーロッパ型)
- 社会民主主義レジーム(北欧型)
これらは、どれも経済発展した国々ですが、福祉国家のかたちは大きく異なります。 このことから、エスピン=アンデルセンは、「経済発展だけでは福祉国家は説明できない。歴史、政治、労働運動、宗教、家族規範などが、福祉国家の形をかたちづくっている」と論じました(→ #47 脱商品化)。
つまり、「収斂」ではなく「分岐」を強調する見方です。
5. 現代の事例 ── 収斂しない世界
エスピン=アンデルセン以後、福祉国家研究は「収斂」よりも「多様性」を中心に展開されてきました。
ウィレンスキーの議論が想定したように経済発展していけば、各国の福祉国家は似てくるはずです。 ですが、現実には、
- 同じ高所得国でも、福祉支出の規模に大きな差がある
- 急速に発展した東アジアの国々(韓国、日本、台湾、中国都市部)で、福祉の整備が必ずしも追いついていない
- 権威主義体制の国々では、経済発展しても福祉を整えない選択が取られることがある
- 新興国の急速な高齢化に、福祉制度の整備が追いついていない
──こうした現象は、「経済発展すれば福祉国家になる」という単純な収斂モデルでは説明しきれません。
それでも、ウィレンスキーの議論は、福祉国家論の出発点のひとつとして、いまも研究の参照点になっています。
6. インタビュー研究と、福祉国家のかたち
TNN がインタビューを通して聴く語りのなかにも、その国・地域の福祉国家のかたちは、しばしば顔を出します。
- 「親の介護が始まったとき、行政の支援は本当に限られていた」
- 「保育園に入れるかどうかで、人生がずいぶん変わった」
- 「失業した時の公的支援が、思っていたほどなかった」
- 「医療費が安いから、何とか生きていけている」
これらの語りは、その人が住んでいる国の福祉国家がどんなかたちか、を映し出しています。 ウィレンスキー的に言えば「経済発展に応じて福祉が整うはずだ」と素朴に信じる前に、その国の歴史・政治・文化が、どんなかたちの福祉国家を作ってきたかを丁寧に見る必要があります。
結び
「経済が発展すれば福祉国家ができる」というウィレンスキーの収斂理論は、福祉国家論のひとつの古典です。 その後の研究は、この見方を乗り越えながら、福祉国家の多様性を描いてきました。
経済発展は、福祉国家を支える条件のひとつではあります。 ですが、それだけでは決まらない。 歴史、政治、運動、文化、家族のあり方──これら多様な要因が絡み合って、いまの福祉国家のかたちが作られています。
「うちの国の福祉は、なぜこの形なのか」を問い直すこと。 これは、社会のかたちを考えるための、ひとつの大事な入口です。
参考資料
- ハロルド・L・ウィレンスキー『福祉国家と平等』(1975)
- ヨスタ・エスピン=アンデルセン『福祉資本主義の三つの世界』(1990)
- 吉岡詩織の社会学用語ノート「福祉国家の収斂理論」
- 関連:脱商品化(#47)、普遍主義と選別主義(#20)、新しい社会的リスク(#56)
【執筆:吉岡詩織 / 編集:qbc(栗林康弘)】