はじめに
このシリーズで何度が登場している、社会学の創始者のひとりエミール・デュルケム。
#02 で取り上げた「社会的事実」と並んで、デュルケムが残した重要な仕事のひとつが、自殺の社会学的研究です。 個人がもっとも個人的な選択をするように見える「自殺」を、デュルケムは社会と個人の関係の問題として捉え直しました。
それが、有名な自殺の3類型です。
1. 「自殺」をなぜ社会学が扱うのか
自殺を語るとき、現代の私たちは多くの場合、精神医学的・心理学的なフレームで考えます。 うつ、孤独、絶望、衝動──個人の内側の問題として扱われがちです。
ですが、デュルケムは19世紀末の時点で、こう問いを立てました。 自殺率は社会によって、時代によって、職業によって、宗教によって、はっきりと異なる。 それなら、自殺は個人の心理の問題だけで説明できるはずがない。社会の側に、その人を死へと向かわせる構造があるのではないか、と。
そして、自殺を社会と個人の関係の濃度・度合いから、3つに分類しました。
2. 自殺の3類型
(1) 自己本位的自殺
社会(宗教、家族、政治)の凝集度が低くなり、常軌を逸した個人化が進むことで起こる自殺。
社会との結びつきが薄くなったとき、個人は自分自身だけを存在の対象とするようになります。 そのなかで思索的な知性が過度に肥大し、自分の生に存在理由を見いだせなくなる──というのが、自己本位的自殺です。
社会と個人の結びつきが「弱すぎる」ことから起きる自殺、と整理できます。
(2) 集団本位的自殺
逆に、社会の凝集度や統制度があまりにも高いときに起こる自殺。
個人が社会のなかにほとんど埋没してしまい、個人にかんするものが一切尊重されない。生の存在理由が、生そのものの外部にあるかのように感じられる。 そんなとき、人は集団のために、義務として、あるいは喜びとして、自らの生を投げ出してしまう、というものです。
デュルケムはここに、義務的・随意的・激しい、の三つの変種があるとしていますが、共通するのは「徳」という社会全構成員を覆う考え方に基づいている、という点です。
社会と個人の結びつきが「強すぎる」ことから起きる自殺、と整理できます。
(3) アノミー的自殺
社会が危機的状況(経済的破綻、急激な繁栄、家族秩序の破綻など)に直面し、社会の統制度が失われたときに起こる自殺。
統制が失われると、個人の欲望に際限がなくなります。 ですが欲望は常に満たされず、苦悩はつのる一方──。そのことが個人を駆り立てて起きる自殺が、アノミー的自殺です。
「アノミー(anomie)」は、デュルケムが鍵概念のひとつとして打ち出した言葉で、「無規範状態」を意味します。
社会と個人の結びつきの「規範が失われた」ことから起きる自殺、と整理できます。
3. 個人の選択を「社会の関数」として読む
この3類型でデュルケムが示したのは、自殺という極めて個人的な行為が、社会と個人の関係のあり方の関数として動いている、という見立てでした。
- 結びつきが弱すぎても、強すぎても、人は死に向かう。
- 結びつきの規範が失われても、人は死に向かう。
これは、現代の私たちの生きづらさの議論にも通じる発想です。 孤独死、過労死、SNSでの炎上後の自死──いずれも、ひとりの心の問題だけでは説明しきれない側面があります。デュルケムの3類型は、ここに社会学的な補助線を入れてくれます。
4. Tapi在野研究ネットワークと、自殺の3類型
Tapi在野研究ネットワークが「子どもを持つ理由・持たない理由」のインタビューで聴いている語りのなかにも、
- 社会との結びつきが薄くて感じる生きにくさ
- 期待や役割に縛られすぎたしんどさ
- 規範が崩れて指標がなくなった戸惑い
──といったものが、たびたび顔を出します。
これらをひとりひとりの心の問題として個別に扱うのではなく、社会と個人の関係のあり方として読み解く視点が、社会学のインタビュー研究には必要です。 そのときの補助線として、デュルケムのこの古典は、いまも有効です。
結び
自殺の3類型は、もう120年以上前に提示された分類です。 ですが、ひとりの選択を「社会の関数」として読む発想そのものは、いまも色あせていません。
社会学的にインタビューをするとは、こうした補助線を持ったうえで、ひとりひとりの語りを聴くことでもあります。
参考資料
- エミール・デュルケム『自殺論』(1897)
- 吉岡詩織の社会学用語ノート「自殺の3類型」
※本コラムは、社会学の古典的議論を整理したものです。自死や心の悩みについてご自身またはお身近で気になることがある方は、各地のいのちの電話など専門の窓口にもご相談ください。
【執筆:吉岡詩織 / 編集:qbc(栗林康弘)】