はじめに

同じ出来事に出会っても、人によって「何が起きたか」の理解は違います。

ある人にとっては「重大な侮辱」、別の人にとっては「ちょっとした冗談」。 ある人にとっては「転機」、別の人にとっては「ただの偶然」。

私たちはいつも、目の前の状況を自分なりに解釈し、定義し直してから、行動しています。 このプロセスを、社会学のことばで状況の定義(definition of the situation)と呼びます。

シカゴ学派の社会学者W・I・トマス(William Isaac Thomas)が提唱した、極めて重要な概念です。

1. 状況の定義とは何か

状況の定義は、ひとことでいえば、

「社会的価値と個人的態度の組み合わせ」である状況において、行為を選択するために、自分自身を含む状況全体を意識的に再構成する反省過程。

を指します(吉岡のノートより)。

少し噛み砕いて言うと、

──このプロセスを、状況の定義と呼びます。

W・I・トマスは、フロリアン・ズナニエツキとの共著『ヨーロッパとアメリカにおけるポーランド農民』(1918〜1920)で、この概念を提示しました。

2. 「トマスの定理」──予言の自己成就の出発点

状況の定義の概念から、もっとも有名な命題が生まれます。

「もし人々が、状況を現実であると定義するなら、その結果においては、現実となる。」 (If men define situations as real, they are real in their consequences.)

これが、トマスの定理(Thomas theorem)と呼ばれるもので、社会学にとって決定的に重要な命題です。

つまり、

──という、社会学的な真実です。

このトマスの定理から、20世紀半ばにロバート・K・マートンが、予言の自己成就(→ #115)の議論を発展させました。 社会構築主義(→ #09)のルーツのひとつでもあります。

3. ポーランド農民の研究

トマスとズナニエツキは、なぜこの概念を提示したのでしょうか。 彼らの背景には、シカゴ学派の代表的なフィールド研究、『ヨーロッパとアメリカにおけるポーランド農民』がありました。

この研究は、

──を、手紙、日記、自伝、新聞記事、組織の記録などをもとに、丁寧に追跡したものです。

新しい環境のもとで、ポーランド農民の伝統的社会組織は解体し、別の形で再組織化されていきます。 その過程で、人々がどんな「状況の定義」を行うか──。これが、研究の中心テーマでした。

シカゴ学派の質的社会調査の原点として、いまも参照される古典です。

4. デュルケームへの批判

状況の定義の議論は、ある意味でデュルケームへの批判を含んでいました。

デュルケームは、

「社会的事実は、社会的事実によって説明されなければならない。」

と論じました(→ #02 社会的事実、#94 方法論的集団主義)。 社会現象は、個人の心理や意識に還元してはならず、それ自体として独立した客観的実在として扱うべきだ、というのが彼の主張です。

これに対して、トマスとズナニエツキは、

──と論じました。

これは、デュルケームの客観主義的な社会学に対する、シンボリック相互作用論的・解釈学的な社会学の側からの問いかけでした。

5. シンボリック相互作用論との関係

状況の定義は、その後のシンボリック相互作用論(symbolic interactionism)の中心概念のひとつになっていきます。

シンボリック相互作用論者たちは、トマスの命題をより主意主義的に解釈し、

──というアプローチを発展させました。

一方、マートンの予言の自己成就の議論では、

──という、より構造主義的な読み方もされます。

つまり、トマスの公理は、

定義のエージェントを個々人におくのか、それとも個人に還元し得ない社会・文化・慣習・構造などに求めるか

によって、まったく違う読解が可能な、極めて多義的な命題なのです。

6. フレーム分析との接続

状況の定義の議論は、その後、アーヴィング・ゴフマン(→ #17 儀礼的無関心)のフレーム分析(frame analysis)へとつながっていきます。

ゴフマンは、状況の定義のことをフレーム(frame)と呼びました。

フレーミングとは、問題を切り取る視点、知識を組織化するあり方、問題の語り方、状況の定義のことを指す。

科学と社会の接点で論争が起きるとき、しばしば、

ということがあります。 ひとつの出来事を、どんなフレームで切り取るかによって、解決のかたちは違ってくる──。 これは、現代の科学技術社会論や、コミュニケーション研究でも、極めて重要な視点です。

7. 「予言」と「状況の定義」のセットで

#115 予言の自己成就と、本コラム #131 状況の定義は、セットで読むと、より深く理解できます。

「状況を誤って定義すれば、その定義が、最初の誤った考えを現実のものとしてしまうような、新しい行動を引き起こす。」(マートン)

ここで、

という、社会構成のプロセスが見えてきます。

注意したいのは、「予言の内容に従って人々が行動するから、状況に変化が生じる」という点です。 たとえば、「来月10日に大地震が起きる」という流言の後、たまたまその日に大地震があっても、それは予言の自己成就ではない。 予言の内容自体が原因となって、命題内容が実現する──ここが、自己成就の核心です。

8. インタビュー研究と、状況の定義

TSIR のインタビュー研究は、まさに語り手の状況の定義を聴く作業です。

同じ出来事を、語り手はどう意味づけ、どう自分の人生のなかに位置づけているか。 これを丁寧に聴くことが、ライフヒストリー研究の核心にあります。

これらの語りは、トマスの命題の生身の現れです。 状況の定義の補助線を持っていると、こうした経験を、たんなる「個人の感じ方」ではなく、社会と個人をつなぐプロセスとして読みほぐすことができます。

結び

もし人々が、状況を現実であると定義するなら、その結果においては、現実となる」──。

このシンプルな命題が、社会学に与えた影響は、計り知れません。 予言の自己成就、シンボリック相互作用論、社会構築主義、フレーム分析──。 いずれも、トマスの公理の延長線上にあります。

そして、私たち自身の日常も、

──このループのなかで動いています。 自分の見方が、現実を作っている。 そのことを意識することが、自分の言葉と判断に責任を持つ作法のひとつです。

参考資料

【執筆:吉岡詩織 / 編集:qbc(栗林康弘)】

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