はじめに
「内閣支持率45%」と聞いて、私たちは「日本の有権者の45%が支持している」と理解します。 ですが、その調査は日本の有権者全員に聞いたのでしょうか。 たいてい、1,000〜2,000人くらいに聞いた結果です。
なのに、なぜそれを「日本の有権者全員の支持率」として読めるのでしょうか。
ここに、社会調査の基本概念のひとつが関わっています。 今回取り上げるのは、母集団(population)です。
1. 母集団とは何か
母集団は、ひとことでいえば、
調査や研究の対象となるものの全体。標本を抽出するための母体となる、統計量の集まり。
を指します(吉岡のノートより)。
少し言葉を整理すると、
- 母集団:調査で本当に知りたい集団全体(例:日本の有権者全員)
- 標本:母集団から実際に抽出した、調査対象となる一部の人々(例:無作為抽出された1,500人)
社会調査の基本構造は、
母集団 → 標本を抽出 → 標本に調査 → 結果から母集団を推測
という流れになっています。 この「標本から母集団を推測」の部分が、社会調査の核心です。
2. 母集団は、しばしば「理論的に想定されたもの」
ここで大事なのは、母集団がたいてい「理論的に想定された集団」だということです。
たとえば、世論調査で「日本の有権者全員」を母集団とする場合。 実際には、
- 海外在住者
- 戸籍上の住所と実際の住所が違う人
- 引っ越し直後で住民票が動いていない人
- 高齢者施設や病院に長期入院している人
──など、捕捉するのが難しい人々が含まれます。 これらをすべて完璧に網羅した母集団リスト(サンプリング・フレーム)は、実際には作りにくい。
ですから、現実の調査では「母集団を完璧に対応するリスト」を持っているわけではなく、ある程度の近似(電話番号リスト、選挙人名簿、住民基本台帳など)を使って、抽出を行います。 ここに、調査の精度にかかわる根本的な限界があります。
3. なぜ全員に聞かないのか
「母集団全員に聞けばいいじゃないか」と思うかもしれません。 ですが、これにはいくつかの問題があります。
ひとつ目は、コスト。 日本の有権者全員に質問するには、莫大な人員と費用と時間が必要です。
ふたつ目は、実施可能性。 何千万人もの人に、漏れなく質問できる現実的な方法は、ほとんどありません。
三つ目は、標本でも十分。 無作為抽出(→ #32)された標本データは、適切な方法で集めれば、母集団全体をかなり正確に推測できます。 だから、わざわざ全員に聞かなくても、必要な精度の情報が得られる。
調査の世界は、この「全員に聞かなくても、全体が分かる」という、ある種のマジックの上に成り立っています。 そして、そのマジックが成立するためには、無作為抽出と統計的検定(→ #50)の理論が必要なのです。
4. 母集団の定義は、研究者の選択
母集団は、機械的に決まるものではありません。 研究者が、自分の研究目的に合わせて、慎重に定義するものです。
たとえば、「日本の若者の意識調査」を行う場合。
- 母集団は「日本の20代全員」なのか
- 「20代〜30代の全員」なのか
- 「20代の若年労働者だけ」なのか
- 「20代の大卒だけ」なのか
それぞれ、研究の主張範囲が変わります。 母集団を狭くすれば、結果は限定的になるが、精度の高い主張ができる。 広くすれば、より幅の広い主張ができるが、抽出と分析の負荷が大きくなる。
このトレードオフを、研究者は最初の段階で決めなければなりません。
5. 結果の読み方 ──「母集団に対する一般化可能性」
統計的検定や調査結果の解釈では、つねに「この結果は、どの母集団に対して一般化できるのか」を意識する必要があります。
たとえば、東京の大学生300人に対する調査結果を、
- 「日本の大学生全員」に一般化していいのか
- 「日本の若者全員」に一般化していいのか
──これは、サンプルの取り方と母集団の定義によって、大きく変わります。 東京の大学生だけを調査しているなら、「全国の大学生」に対する主張は慎重にする必要があります。
ニュースや調査結果を読むとき、「この結果は、誰について語っているのか」を一拍置いて考えてみる。これは社会調査リテラシーの基本です。
6. 質的調査と「母集団」
質的調査(インタビュー、フィールドワーク)では、量的調査ほど明確な母集団の定義は、必要ありません。 ですが、母集団の発想は、質的研究でも大事です。
TNN のインタビュー研究は、たいてい少人数を対象にしています。 そのとき、
- この10人の語りは、どんな範囲の人々の経験を映していると言えるか
- この経験は、特定の世代・地域・属性に限定された経験なのか
- それとも、もっと広い範囲の人に共通する経験なのか
──こうした問いを、研究者は常に背負います。 これは、質的研究における「母集団的な意識」と言えます。
10人の語りから「日本の◯◯」を一般化することは、原則できません。 ですが、10人の語りが、社会のある層の経験を深く照らすことは、できる。 そのバランスを、研究者は意識し続けなければなりません。
結び
母集団は、社会調査でいちばん基礎的な、しかし極めて重要な概念です。
「全員に聞かなくても、全体が分かる」というマジックは、母集団と標本を慎重に区別し、無作為抽出と統計的検定の理論を背景に持つことで、初めて成り立ちます。
ニュースで「◯◯%」という数字を見たとき、
- 母集団は何か
- 標本はどう取られたか
- 結果はどこまで一般化できるのか
──を考えてみる。 このひと手間が、数字に振り回されない読み手を作っていきます。
参考資料
- 吉岡詩織の社会学用語ノート「母集団」
- 社会調査の入門書一般(サンプリングの章)
- 関連:有意抽出法と無作為抽出法(#32)、統計的検定(#50)
【執筆:吉岡詩織 / 編集:qbc(栗林康弘)】