はじめに

「個人の自由」を強調する社会のなかで、ふとした瞬間に「でも、それだけでいいのかな」と感じることはないでしょうか。

家族・地域・宗教・文化──個人の前提となる共同体の存在を、もう少し大事に考えたい。 そんな感覚を、政治哲学のことばで整理した立場が、今回取り上げるコミュニタリズム(communitarianism/共同体主義)です。

1. コミュニタリズムとは何か

コミュニタリズムは、ひとことでいえば、

20世紀後半のアメリカを中心に発展してきた、共同体(コミュニティ)の価値を重んじる政治思想。

を指します(吉岡のノートより)。

ハーバード大学の政治哲学者マイケル・サンデル(Michael Sandel)が、その代表的論客のひとりです。 他にも、アラスデア・マッキンタイアチャールズ・テイラーマイケル・ウォルツァーなどが、コミュニタリズムの議論を作ってきました。

2. なぜリベラリズムを批判したのか

コミュニタリズムは、リベラリズム(→ #41)への批判から出発しました。

リベラリズムの中心概念は、負荷なき自我(unencumbered self)です。 特定の家族、伝統、文化、宗教から自由な「個人」を出発点として、社会を組み立てる発想。 ジョン・ロールズの『正義論』が、その代表例とされます。

コミュニタリストは、ここに違和感を持ちました。

「特定の共同体や伝統から切り離された、抽象的な個人なんて、本当にいるのか?」 「人は、家族・地域・文化・歴史のなかで初めて『私』になっているのではないか?」

サンデルやマッキンタイアは、自我(self)は共同体に埋め込まれていて、そこから完全に自由になることはできない、と主張しました。 個人を共同体から切り離して論じる近代政治哲学のあり方そのものに、コミュニタリズムは異議を申し立てたのです。

3. ただし、共同体への服従を求めるわけではない

ここで誤解されがちなのですが、コミュニタリズムは、

「個人を共同体に隷属させ、共同体のために個人の自由や権利を犠牲にしてよい」

という主張ではありません。 全体主義や国家主義とは、はっきり区別されます。

具体的な理想政体のレベルでは、コミュニタリズムは、自由民主主義の枠を出ない。 共同体の価値を重んじるとはいえ、自由民主制を破壊するようなラディカルな主張をすることはありません。

コミュニタリズムが自由主義に批判的なのは、より根源的な、存在論レベルにおいてです。 「人間とは何か」「自我とは何か」を考えるとき、リベラリズムが想定する負荷なき自我は不十分だ──。これがコミュニタリストの問題提起です。

その上で、政策レベルでは、自由民主制に留まりつつ、自由主義とは異なる側面(共同体の価値)を尊重するものを提唱する。 このバランスが、コミュニタリズムの基本的な姿勢です。

4. サンデルの議論 ──「これってフェアか?」

サンデルは、抽象的な議論だけでなく、具体的な社会問題を題材に、コミュニタリズム的な視点を提示してきました。

たとえば、

リベラリズム的に「個人の自由な選択」と言ってしまえば、これらはすべて「やってもいい」ことになります。 ですが、サンデルは、これらは社会の道徳的価値を腐食させる、と論じます。

兵役は、市民として共同体に貢献するという意味を持っていたはずなのに、お金で代替できると、その意味が壊れる。 共同体が共有してきた「これは大事だ」という感覚を守ること──ここに、コミュニタリズムの問題関心があります。

5. 日本社会と、コミュニタリズム

日本の文化や社会には、もともとコミュニタリズム的な感覚が深く根を張っています。

ですが、戦後の日本社会は、急速に個人主義化・市場化・グローバル化を経験してきました。 そのなかで、共同体の感覚が薄れ、孤独や孤立が社会問題として浮上しています。

「孤独・孤立担当大臣」が設置されるような状況のなかで、リベラリズム的な「個人の自由」と、コミュニタリズム的な「共同体の支え」をどうバランスさせるかは、ますます大事な問いになっています。

6. インタビュー研究と、コミュニタリズム

TNNがインタビューを通して聴く語りのなかにも、コミュニタリズム的な感覚は、いろいろなかたちで顔を出します。

これらの語りは、リベラリズムが提供する「自由な個人」というモデルだけでは、人の生はうまく描けないことを示しています。 人は、共同体のなかで、文化のなかで、伝統のなかで、自分を形作っていく。 そのことを、コミュニタリズムは政治哲学のことばで再認識させてくれます。

結び

リベラリズムが「個人の自由」を中心に据えるのに対して、コミュニタリズムは「共同体の価値」を取り戻そうとします。

ただし、コミュニタリズムは、個人を共同体に従属させる立場ではありません。 リベラリズムの一方的な強調が見落としてきた、人間のもうひとつの側面──「私たちは、つねに何かのなかで生きている」という事実を、政治哲学の地平に引き戻す試みです。

このふたつのあいだの緊張感を持ち続けることが、現代社会を考えるための、ひとつの基本姿勢だと思います。

参考資料

【執筆:吉岡詩織 / 編集:qbc(栗林康弘)】

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