はじめに
朝のラッシュアワー、誰もが「自分にとっていちばん早いルート」を選んだ結果、道は大渋滞。 気候変動が深刻なのに、各国はそれぞれ「自国の経済を優先」して、削減目標が進まない。 ごみの分別がしんどいから手を抜く人がいて、町全体の処理コストが上がる。
「ひとりひとりは合理的に動いているのに、全体としては不合理な結果が出る」──。 この、社会のあちこちで起きている現象を捉えることばが、今回取り上げる社会的ジレンマ(social dilemma)です。
1. 社会的ジレンマとは何か
社会的ジレンマは、ひとことでいえば、
個々人が自己利益を追求する結果、社会的に不合理な結果が帰結してしまうこと。
を指します(吉岡のノートより)。
もう少し噛み砕くと、人々が協力行動か裏切り行動(非協力行動)かの選択を迫られる場面で、
- 協力行動を選ぶと、自分には個人的な不利益がある
- 裏切り行動を選ぶと、自分は得をするが、全員が裏切ると社会は破滅する
──そのため、結果的に全員が裏切り行動を選択し、破滅的な事態に陥ってしまう。 このメカニズムを社会的ジレンマと呼びます。
2. 「囚人のジレンマ」の拡張
社会的ジレンマは、ゲーム理論の有名な問題である囚人のジレンマ(prisoner's dilemma)を、社会レベルに拡張したものです。
囚人のジレンマでは、ふたりの容疑者が別々に取り調べを受け、互いに協力するか裏切るかを選ぶ。 全体としてはふたりとも黙秘するのが最善なのに、それぞれが「自分だけ自白したほうが軽い罪で済む」と考えると、結果として両方が自白し、より重い結果を招く──。
社会的ジレンマは、このロジックを2人から多数の人々に拡張したものです。 ふたりの場合は心理戦のような側面が大きいですが、何千万人が関わる社会のなかでは、また違う構造が見えてきます。
3. 社会的ジレンマの具体例
社会的ジレンマの典型例を、いくつか挙げてみます。
交通渋滞:誰もが「自分は早く着きたい」と思って同じ時間帯に同じ道路を走ると、結果として全員が遅くなる。
生活公害:自分ひとりがゴミをポイ捨てしても、町全体には影響がない。だから捨てる。みんなが同じことをすると、町は荒れる。
気候変動:自国だけCO2を削減すると、経済競争で不利になる。だから削減を遅らせる。各国が同じ判断をすると、地球全体が温暖化する。フリーライダーが得をする構造。
ワクチンの集団免疫:自分は接種しなくても、周りが接種してくれていれば自分は守られる。みんながそう考えると、集団免疫が崩れる。
──これらはすべて、ひとりひとりの合理的判断が、社会全体の不合理な結果につながる場面です。
4. 社会的ジレンマを、どう解くか
社会的ジレンマには、おおむね二種類の解決アプローチがあります。
ひとつ目は、システムや制度を新しく構築し、社会の構造を変えること。 具体的には、
- 渋滞税やCO2排出枠取引のような、裏切り行動にコストをかける仕組み
- 協力行動にインセンティブをつける補助金
- 監視や罰則を強化する規制
──など。 社会の構造そのものに手を入れて、個人の合理的選択が全体の合理性と一致するように設計し直すアプローチです。
ふたつ目は、教育によって個人の考え方や意識の変容を促すこと。 協力行動の意義や、社会的責任の自覚を、教育や啓発を通じて広めていく。 時間はかかりますが、内発的な変化を生み出すアプローチです。
実際には、このふたつを組み合わせて使うことが多い。 制度だけでは「監視のないところで裏切る」が起きるし、教育だけでは「真面目に協力する人が損をする」状態が解消されません。
5. ホッブズ問題との接続
社会的ジレンマは、#19 で扱ったホッブズ問題ともつながっています。
ホッブズは「個々人が利益を追求するなら、社会は崩壊するのではないか」と問いました。 社会的ジレンマの議論は、この問いに対する、現代的な定式化のひとつと言えます。
そして、その解決として「強い主権者」「共通の価値」「制度」「教育」が提案される。 これは、ホッブズ→パーソンズ→現代の制度設計論へと続く、社会学の長い問いの系譜のうえにあります。
6. インタビュー研究と、社会的ジレンマ
TNN がインタビューを通して聴く語りのなかにも、社会的ジレンマ的な状況が、しばしば語られます。
- 「みんなが我慢している場では、自分も我慢するしかない」
- 「ここでルールを破ったら得をするけど、それでいいのかと迷う」
- 「自分ひとりが声を上げても、何も変わらない気がする」
- 「真面目にやっている人が損をする職場で、続ける気力が落ちた」
これらの語りは、社会的ジレンマの経験的な手触りを伝えてくれます。 理論として知るだけではなく、人がそのジレンマの中でどう感じ、どう選び、どう傷ついているか──。 インタビューは、その肌感覚を聴き取る場でもあります。
結び
社会的ジレンマは、ニュースで読む大きな問題(気候変動、税金、ワクチン)から、毎日の小さな場面(職場のルール、ご近所のマナー)まで、私たちの生活のあらゆるところに埋め込まれています。
「自分にとっての合理性」と「全体にとっての合理性」がぶつかる場面で、私たちはどう選ぶか。 そして、社会としてどんな仕組みを用意するか。
このふたつを意識して暮らすことは、社会人としてのひとつの基本だと、私は思います。
参考資料
- 吉岡詩織の社会学用語ノート「社会的ディレンマ」
- 山岸俊男ほか『社会的ジレンマ』
- 関連:ホッブズ問題(#19)、集合行動(#21)
【執筆:吉岡詩織 / 編集:qbc(栗林康弘)】