はじめに
社会学の本を読むと、二種類のものに出会います。
- 「社会全体を説明する壮大な理論」(パーソンズの構造機能主義、マルクス主義の歴史観など)
- 「特定の現場の細かな観察」(ある街、ある職場、ある集団の事例研究)
両方とも価値がありますが、両極端だけでは、社会学は窮屈になります。 壮大すぎる理論は、現実のデータでは検証できない。 細かすぎる観察は、一般化が難しい。
この両極のあいだに、もうひとつのアプローチを置こうとしたのが、アメリカの社会学者ロバート・K・マートンでした。 それが、今回取り上げる中範囲の理論(middle-range theory)です。
1. 中範囲の理論とは何か
中範囲の理論は、ひとことでいえば、
理論と実証研究とを統合することを目的とする、社会学理論へのアプローチ。
を指します(吉岡のノートより)。
マートンは、20世紀半ばに、社会学に蔓延していたふたつの傾向を批判しました。
ひとつは、「壮大な理論」(grand theory)。 タルコット・パーソンズに代表される、社会全体を体系的に説明しようとする抽象度の高い理論。 ですが、抽象的すぎて、データで検証できない。
もうひとつは、「抽象化されていない経験主義」(abstracted empiricism)。 細部のデータだけをひたすら集めるが、理論的な意味づけに乏しい研究。
この両極を批判し、その中間にあるアプローチを、マートンは提案しました。 それが、中範囲の理論です。
2. 中範囲の理論の特徴
中範囲の理論は、次のような特徴を持ちます。
ひとつ目は、経験的な現象から始まる。 社会システム全般のような抽象的な存在ではなく、現実に起きている特定の現象を出発点にする。
ふたつ目は、データで検証可能な一般的記述を作る。 完全に抽象的な理論ではなく、ある程度の一般性を持ちながら、データで確かめられる範囲の主張をする。
三つ目は、他の中範囲理論との連結。 複数の中範囲理論を組み合わせて、より大きな理論的な見取り図を作っていける。
吉岡のノートでは、
このアプローチは、機能主義や多くの紛争理論のような以前の社会理論の「壮大な」理論化とは対照的なものであった。
と整理されています。
3. 中範囲の理論の具体例
マートン自身が作った中範囲の理論として、有名なものをいくつか挙げてみます。
- 準拠集団(→ #29):人がどの集団を参照して行動するか
- 順機能と逆機能:ある制度の効果を、望ましい/望ましくないで区別
- 顕在的機能と潜在的機能:意図された機能と、意図されない機能の区別
- 予言の自己成就(→ #115):根拠のない予言が、現実を生む
- アノミー=緊張理論(→ #108):文化的目標と制度的手段のギャップが、逸脱を生む
これらは、いずれも、
- 経験的な現象から出発している
- データで検証可能
- 一般化できる範囲を持っている
──という中範囲理論の条件を満たしています。 そして、現代社会学のさまざまな研究で、いまもよく参照される基本概念になっています。
4. 「中範囲」の意味するもの
「中範囲」(middle-range)という言葉のニュアンスを、もう少し丁寧に整理しておきます。
- 大きい範囲:社会全体、歴史全体を説明する壮大な理論
- 小さい範囲:ひとつの現場、ひとつのケースの細部の記述
- 中範囲:その中間、ある程度の一般性を持ちつつ、検証可能な範囲
たとえば「準拠集団」という概念は、特定の事例だけにあてはまる話ではないし、「人間社会の全体」を説明する話でもありません。 ある程度幅広く使えるが、データで検証もできる──そんなちょうどよい広さを持っています。
これが、中範囲の意味です。
5. 「他の科学は『理論』と呼ぶもの」
中範囲の理論への批判もあります。 イギリスの社会学者レイモンド・ブードン(Raymond Boudon)は、
「中範囲」理論は、他のほとんどの科学が単に「理論」と呼んでいるのと同じ概念である。
と指摘しました。 つまり、自然科学でいう「理論」は、もともと壮大すぎず、現場すぎず、データで検証可能な中範囲のもの。 社会学だけが、なぜか「壮大すぎる理論」を理想にしてきたから、「中範囲」とわざわざ名付けなければならない、ということです。
これは厳しいけれど、的を射た批判です。 社会学が、ようやく「他の科学並み」になるためのステップとして、中範囲の理論はあった、とも言えます。
6. 分析社会学への展開
近年では、分析社会学(analytical sociology)と呼ばれる潮流が、中範囲の理論をさらに発展させています。 スウェーデンの社会学者ピーター・ヘッドストロム(Peter Hedström)らが中心となって発展させた研究プログラムです。
分析社会学は、
- 社会現象を、メカニズム(mechanism)として説明する
- ミクロな個人の行為から、マクロな社会パターンへの橋渡しを、明示的に書く
- 中範囲の理論を、より首尾一貫したパラダイムに統一することを目指す
──というアプローチです。
つまり、マートンの中範囲の理論は、20世紀半ばに提示されたものですが、いまも現代社会学のなかで、新しい形に磨かれ続けています。
7. インタビュー研究と、中範囲の理論
TSIR のインタビュー研究は、典型的には「特定の現場の細かな観察」の側にあります。 ですが、その観察を、社会学のなかでどう位置づけるか──ここで、中範囲の理論の発想が役に立ちます。
ひとりひとりの語りを聴いて、
- 「これは、ある程度ほかの人にも当てはまる経験だろうか」
- 「特定の社会的位置の人々に共通する経験ではないか」
- 「どんな理論的概念で説明できるだろうか」
──と考えるとき、私たちは中範囲の理論と対話しています。 完全に個別の経験として閉じてしまうと、研究としての一般性を失う。 ですが、安易に「みんな同じ」と一般化すると、語りの細部が消える。
このバランスを取るための補助線として、マートンの中範囲の理論の発想は、いまも有効です。
8. なぜ「中範囲」が大事か
中範囲の理論の意義を、もう一度整理しておきます。
ひとつ目は、社会学を検証可能な学問にしたこと。 壮大な理論だけでは、科学としての社会学は弱い。 中範囲の理論は、社会学を経験的な学問として鍛え上げる土台になりました。
ふたつ目は、実証研究と理論研究の橋渡し。 理論だけ、データだけ、と分断されがちな社会学の世界を、つなぐ役割を果たしました。
三つ目は、実用的な応用。 予言の自己成就、準拠集団、順機能と逆機能──。 これらは、政策、組織運営、教育、メディア研究などで、いまも実用的に使われています。
結び
「壮大な理論」と「現場の事例」のあいだに、もうひとつの場所を作る。 マートンが提示した中範囲の理論は、社会学にとって、極めて重要な方法論的な提案でした。
社会を理解しようとするとき、巨大な絵を一気に描こうとせず、また個別の点だけにとどまらず、その中間の地形を丁寧に描いていく──。 このバランスが、社会学の地に足のついた仕事を、今日まで支えてきました。
TSIR のインタビュー研究も、この中範囲のなかで、自分たちの場所を探しながら歩んでいきます。
参考資料
- ロバート・K・マートン『社会理論と社会構造』(1949)
- レイモンド・ブードンの中範囲理論批判
- 分析社会学(ピーター・ヘッドストロム他)
- 吉岡詩織の社会学用語ノート「中範囲の理論」
- 関連:予言の自己成就(#115)、準拠集団(#29)、アノミー(#108)、方法論的個人主義(#104)
【執筆:吉岡詩織 / 編集:qbc(栗林康弘)】