はじめに

「会社の同期がみんな結婚してるから、自分も焦る」 「親世代が見たらどう思うだろう」 「業界の人たちにどう評価されるかな」

私たちは、自分の判断をしているつもりでも、じつは誰かの目を強く意識しています。 その「誰か」は、上司だったり、親戚だったり、SNSのフォロワーだったり、もう亡くなった祖父母だったりする。

社会学はこの現象を、準拠集団(reference group)という言葉で捉えてきました。

1. 準拠集団とは何か

準拠集団は、ひとことでいえば、

他者の視点や価値観において、個人が従い内面化するような他者の集団。

を指します(吉岡のノートより)。

もう少し丁寧に言うと、自分の行動・信念・価値観について、自分自身の価値観ではなく、周囲の他者の視点や価値観を意識して行動するときに、参照する集団のこと。

「世間」「世間体」という日本語に近い概念ですが、社会学はこれをもっと精密に分節していきました。

2. 起源 ── ハイマン、ケリー、マートン

準拠集団という言葉は、1942年、アメリカの社会心理学者ハーバート・H・ハイマン(Herbert H. Hyman)の論文「地位の心理学」で初めて使われました。

ハイマンは、人々の「主観的地位」── 自分が他の人々との関係でどんなポジションにいると思っているか──を調べるなかで、ある人が自分自身を比較する集団を準拠集団と呼びました。

その後、社会心理学者ハロルド・H・ケリー(Harold H. Kelley)が、態度決定の場面での準拠集団の機能をふたつに整理しました。

そしてアメリカの社会学者ロバート・キング・マートン(Robert K. Merton)が、この概念を発展させ、規範型比較型という有名な二分類を提示しました。

3. 規範型と比較型

マートンの二分類は、いまでもよく使われる便利な補助線です。

たとえば、就職活動中の学生にとって、

になることが多い。 同じ集団が、文脈によって規範型にも比較型にもなることがあります。

4. 所属していない集団も、準拠集団になりうる

ここが面白いところですが、準拠集団は、自分が所属している集団だけではありません。 所属していない集団も、準拠集団になりえます。

たとえば、

これらは、自分がそこに属していなくても、「あの集団ならどう考えるだろう」と参照することで、自分の判断に影響を及ぼします。 さらに、年齢・性別・既婚者など、「集団」とまでは言えない社会的カテゴリーも、準拠集団として機能することがあります。

5. 日本における準拠集団 ──「世間」と「恥」

日本の社会学者・作田啓一は、準拠集団をの概念と結びつけて論じました。

日本語の「世間」に近いこの概念。 個人は、準拠集団に逆らうような行為を行った際にを感じる、というのが作田の議論です。

「世間に顔向けできない」「世間体が悪い」──。 この感覚は、自分の内面の罪悪感(西洋的な「罪の文化」)とは違って、外側の集団の視線を内面化した恥(「恥の文化」)の現れだ、ということになります。

ベネディクトの『菊と刀』以来、日本社会論ではよく出てくるテーマですが、準拠集団の補助線で見直すと、より精密に分析できます。

6. インタビュー研究と、準拠集団

Tapi在野研究ネットワークがインタビューを通して聴く語りのなかにも、準拠集団は登場します。

語り手がどんな準拠集団を意識して語っているかを丁寧に観察すると、その人がどんな社会的な視線の網のなかで生きているかが見えてきます。 そして、ひとりの人にとって準拠集団はひとつとは限らない。 仕事の場面、家庭の場面、趣味の場面で、それぞれ異なる準拠集団が立ち上がってきます。

結び

「自分の意見」と私たちが思っているものの多くは、じつは誰かの目を介して形作られています。

準拠集団という補助線を持っていると、「なぜ自分はこう判断したのか」「なぜあの人はそう感じるのか」を、ぐっと立体的に考えられるようになります。

自分の準拠集団を意識化すること。 それは、群れに飲み込まれることなく、しかし孤立もしないで、社会のなかで自分の判断を磨いていくための、大事な作業だと思います。

参考資料

【執筆:吉岡詩織 / 編集:qbc(栗林康弘)】

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