はじめに

「努力した人が報われるのが、公平な社会だ」 「血筋やコネではなく、能力で評価されるべきだ」 「学歴は、自分の頑張りの証だ」

これらは、現代社会でほとんど自明とされている考え方です。 そして、社会学のことばでは、こうした考え方が支配的な社会をメリトクラシー(meritocracy)と呼びます。

メリトクラシーは、近代社会の根幹を支える理念のひとつです。 ですが、その理念のなかには、深い問題も潜んでいます。 近年、マイケル・サンデルの『実力も運のうち』(2020)でも、改めて問い直されているテーマです。

1. メリトクラシーとは何か

メリトクラシーは、ひとことでいえば、

個人の持っている能力によってその地位が決まり、能力の高い者が統治する社会。

を指します(吉岡のノートより)。

語源は、

を組み合わせた造語です。

この言葉を最初に使ったのは、イギリスの社会学者マイケル・ヤング(Michael Young)でした。 彼の1958年の著書『Rise of the Meritocracy』(メリトクラシーの台頭)が、この概念の初出です。

2. ヤングが描いた「能力主義のディストピア」

意外なことに、ヤングがメリトクラシーという言葉を作ったのは、それを称賛するためではなく、警告するためでした。

彼の本は、未来の架空のイギリス社会を描いたSF的な批判書です。 そこでは、

──という、ディストピア的な社会が描かれます。 ヤングは、メリトクラシーが極端に推し進められると、こうした冷たい社会が生まれることを警告したのです。

ところが、ヤングの意図に反して、「メリトクラシー」は世界中でポジティブな言葉として使われるようになりました。 能力主義は、近代社会の理想として、広く受け入れられていきます。

3. メリトクラシーが生まれた歴史的背景

メリトクラシーの台頭には、歴史的な背景があります。

多くの前近代社会では、社会的地位は、能力よりも出自や血縁によって決まっていました。

これに対して、近代化のなかで、

人はみな平等であり、人間の地位は生まれによってではなく、その人の持つ能力によって決まるべき

という観念が広がっていきます。 この考え方が支配的な社会が、メリトクラシーです。

これには、19世紀から20世紀前半まで欧米に広がった社会ダーウィニズム(→ #74)などの影響もあります。

4. 「能力で決まる」社会の前近代

注意しておきたいのは、メリトクラシー的な発想自体は、近代の発明ではないことです。 前近代の社会のなかにも、メリトクラシー的な仕組みは存在しました。

たとえば、

つまり、「能力で人を評価する」という発想は、必ずしも近代特有のものではありません。 ですが、近代社会で、それが社会全体の標準的な理念になった、というのが大きな変化です。

5. メリトクラシーの問題点

メリトクラシーは、近代社会の進歩を支えてきた理念ですが、深い問題も含んでいます。

ひとつ目:「能力」の測り方の偏り

「能力」とは、誰がどう定義したのか? 学校のテストで測れる能力、知能テストで測れる能力──。 これらは、特定の基準で人を評価しているにすぎません。

そして、その基準は、しばしば文化資本(→ #110)を多く持つ家庭の子どもに有利に作られています。 ブルデューが指摘したように、学校は「公平な競争」を装いながら、実際には家庭の文化資本の差を測っている部分があります。

ふたつ目:「努力」の社会的条件

「努力した者が報われる」という発想は、努力ができる条件が平等であることを前提にしています。 ですが、現実には、安心して努力できる家庭環境、健康、経済的余裕、心理的安定──これらの条件は、人によって大きく違います。 不利な状況にある人に「努力が足りない」と言うのは、すり替えになりかねません。

三つ目:「敗者」への冷たさ

メリトクラシーが徹底されると、競争に勝てなかった人が、**「自業自得」**として扱われます。 かつての貴族制では、「ノブレス・オブリージュ」(高貴なる者の義務)として、エリートにはある種の責任意識がありました。 ですが、メリトクラシーでは、エリートは「自分の能力で勝ち取った」と思うため、敗者への共感や責任を持ちにくくなる。 ヤングが警告したのは、まさにこの冷たさです。

6. サンデルの再評価

20世紀末から、メリトクラシーへの批判が、改めて強まっています。 特に大きな影響を与えたのが、ハーバード大学の政治哲学者マイケル・サンデル(→ #42 コミュニタリズム)でした。 彼の『実力も運のうち:能力主義は正義か?』(The Tyranny of Merit、2020)は、世界中でベストセラーになりました。

サンデルは、メリトクラシーが、

──と論じました。 そして、能力主義の論理を超えて、共通善・連帯・尊厳に基づく社会の可能性を提起しました。

7. ウィリス『ハマータウンの野郎ども』

メリトクラシーへの批判的研究として、もうひとつ重要なのが、イギリスの社会学者ポール・ウィリス(Paul Willis)の『ハマータウンの野郎ども』(Learning to Labour、1977)です。

ウィリスは、イギリスの労働者階級の少年たちを観察し、彼らがなぜ学校で成功しようとせず、結果的に労働者階級の仕事に就いていくのかを、フィールドワークで描きました。

彼らは、「学校の競争に乗らない」という選択を、自分たちなりの抵抗の文化として作り上げていました。 ですが、その抵抗が、結果として彼らを労働者階級にとどめてしまう──。 これは、メリトクラシー社会の中での階層の再生産を、ミクロに描いた古典的研究です。

8. インタビュー研究と、メリトクラシー

TSIR がインタビューを通して聴く語りのなかにも、メリトクラシーの手応えは、しばしば登場します。

これらの語りは、メリトクラシーの理念が、個人の生き方にどう作用しているかを示しています。 ある人にとっては誇りの源泉になり、別の人にとっては自責の根になる──。 このアンビバレンスを丁寧に聴くことが、現代社会の手触りを掴むひとつの方法です。

結び

「能力で決まる社会」は、前近代の血筋による支配と比べれば、確かに進歩でした。 ですが、その進歩のなかに、新しい問題が潜んでいます。

ヤングが60年以上前に警告し、サンデルがいま改めて問い直しているのは、

「能力で決まる」という理念は、本当に公平なのか? その理念は、誰を傷つけ、誰を傲慢にしているのか?

という、極めて根本的な問いです。

メリトクラシーを完全に否定するのは、難しい。 ですが、その理念の盲点を意識して、共同体としての連帯を保つ視点を持つこと。 これが、これからの社会の設計に欠かせない作法です。

参考資料

【執筆:吉岡詩織 / 編集:qbc(栗林康弘)】

お問い合わせCONTACT