はじめに
放射能、地球温暖化、コロナウイルス、有害物質、サイバー攻撃、AIの暴走──。 現代社会で私たちが向き合うリスクは、目に見えず、専門家でなければ理解できず、そして国境を超えて広がります。
このような時代の特徴を、社会学のことばでリスク社会(risk society)と呼びます。 ドイツの社会学者ウルリッヒ・ベック(Ulrich Beck)が、1986年の著作『危険社会』で提唱しました。 チェルノブイリ原発事故と同じ年に発表されたこの本は、世界中でベストセラーになり、20世紀後半の社会学にとって決定的な位置を占めています。
1. リスクとは何か
社会学的に整理されたリスクの定義は、
潜在的な危機の可能性、特に人間の活動によって生じる「つくり出されたリスク」を、回避したり和らげようとしたりする試み。
を指します(吉岡のノートより)。
ここで重要なのは、「つくり出されたリスク」(manufactured risk)という言葉です。 自然災害のような昔からの危険ではなく、近代社会の活動そのものが生み出している危険──これがリスク社会論の中核です。
2. リスク社会論が生まれた背景
ベックがリスク社会概念を発表した1986年は、世界史的に象徴的な年でした。
- ソ連で、チェルノブイリ原発事故が起きる
- 米ソ冷戦の構図に揺らぎが見え始める
- 戦後の物質的困窮は減少した一方で、科学技術や産業技術は急速に発展していた
物質的な豊かさが達成されたあとで、人類は新しいタイプの危機に直面し始めました。 そこに、放射能、化学物質、環境破壊、感染症──といった、これまでの社会理論では捉えきれない問題が出てきた。 ベックは、この時代を「リスク社会」と名づけ、社会学に新しい中心テーマを据えました。
3. リスク社会の3つの特徴
リスク社会には、いくつかの決定的な特徴があります。
ひとつ目は、リスクのグローバル化。 放射能、温暖化、感染症──これらの危険は、国境を越えて広がります。 ひとつの国が安全であっても、他の国の事故や活動の影響を受ける。 リスクは、もはやローカルな問題ではない。
ふたつ目は、専門知識への依存。 リスクの理解には、専門知識や科学技術の装備が必要になります。 ふつうの人には、放射線量も、CO2排出量も、ウイルスの感染力も、直接は見えない。 だから、私たちは専門家に頼るしかない。ですが、その専門家自身が、しばしば間違える。
三つ目は、個人化。 リスクのなかで、人は集団的な保護を失い、個人として直接リスクに晒されるようになります。 「自分の身は、自分で守れ」という社会のなかで、判断と責任が個人に押し付けられていく。
これらの特徴が組み合わさって、リスク社会は、産業社会とはまったく異なる質を持つ社会になっていきます。
4. 「富の分配」から「リスクの分配」へ
ベックの議論で、もっとも有名な対比のひとつが、
- 産業社会:富や財の分配が紛争の焦点
- リスク社会:リスクの分配が紛争の焦点
──というものです。
産業社会では、誰がより多くの富を手にするかが、社会の中心的な争点でした。 労働組合と経営者、富裕国と貧困国、都市と農村──。これらは、富の分配をめぐる対立でした。
ところが、リスク社会では、
- 誰が、どんな環境リスクを引き受けるのか
- 廃棄物処理場、原発、化学工場──どこに作るか
- 気候変動の被害を、誰がより大きく受けるのか
- 新しい技術のリスクを、誰が背負うのか
──こうした「リスクの不平等な分配」が、争点になります。 環境的公正(→ #54)や、原子力ムラ(→ #76)の議論は、まさにこの延長線上にあります。
5. 個人化と「再帰的近代化」
ベックは、リスク社会を、再帰的近代化(reflexive modernization)の時代として位置づけました。
近代化の最初の段階では、伝統社会を解体し、市場と国家と科学を作り上げることが課題でした。 ですが、近代化がある程度進むと、近代化の副産物(公害、リスク、環境破壊)が問題になってくる。 近代化が、近代化自身の作り出した問題と向き合わなければならなくなる──これが再帰的近代化です。
そして、リスク社会のなかで、個人は、
- 伝統的な共同体に守られず
- 集団的なアイデンティティを持ちにくく
- リスクと向き合う判断を、自分で下さなければならない
──という状況に置かれます。 「個人化」が、リスク社会の特徴とも結びついています。
6. ベックとギデンズ──「再帰的近代化」の同時提唱
「再帰的近代化」の議論は、ベックと、イギリスの社会学者アンソニー・ギデンズ(Anthony Giddens)が、ほぼ同時期に展開しました。 ふたりは1990年代に共著も出しています。
ベック:『危険社会』(1986)、『再帰的近代化』(1994、共著) ギデンズ:『近代とアイデンティティ』(1991)、『暴走する世界』(1999)
ふたりとも、
- 近代化の進展が、人々を伝統的な束縛から解放した
- しかし同時に、近代化が新しいリスクを作り出した
- 個人は、絶え間ない不確実性のなかで、自分の人生を作っていかなければならない
──という、共通の問題意識を持っていました。
7. 現代に生きるリスク社会論
ベックがこの本を書いた1986年から、すでに40年近くが経ちました。 ですが、リスク社会論は、まったく古びていません。 むしろ、より切実な意味を持つようになっています。
- 福島第一原発事故(2011年)
- 気候変動の深刻化
- COVID-19パンデミック(2020年〜)
- AIによる雇用・社会の変容
- サイバー攻撃、フェイクニュース
- ロシア・ウクライナ戦争、中東情勢
これらはすべて、ベックが論じたリスク社会の特徴を、はっきり示しています。 目に見えず、国境を超え、専門知識を必要とし、個人がそれに直接さらされるリスク──。
リスク社会論は、現代を理解するための、もっとも基本的なレンズのひとつです。
8. インタビュー研究と、リスク社会
TSIR がインタビューを通して聴く語りのなかにも、リスク社会の手応えは、しばしば登場します。
- 「原発事故のあと、自分の生活設計が一変した」
- 「コロナで、人生が完全に変わったと感じる」
- 「気候変動への不安が、将来の選択に影響している」
- 「自分の力ではどうにもならない大きなリスクと、毎日向き合っている」
これらの語りは、個人の人生が、グローバルなリスクと深く絡み合っていることを教えてくれます。 リスク社会論の補助線を持っていると、こうした経験を、社会の構造的な変化として読みほぐすことができます。
結び
ベックのリスク社会論は、20世紀後半の社会学が産んだ、もっとも重要な概念のひとつです。
「つくり出されたリスク」と向き合いながら、私たちはどう生きるのか。 集団的な保護を失った個人として、不確実性のなかで判断を続ける──。 これが、現代を生きる、ということの社会学的なかたちです。
このしんどさを、「個人の弱さ」に閉じ込めず、社会のかたちの問題として共有していくこと。 リスク社会論が、いまも私たちに投げかけている問いです。
参考資料
- ウルリッヒ・ベック『危険社会』(1986)
- ウルリッヒ・ベック、アンソニー・ギデンズ他『再帰的近代化』(1994)
- 吉岡詩織の社会学用語ノート「リスク」
- 関連:環境的公正(#54)、原子力ムラ(#76)、新しい社会的リスク(#56)
【執筆:吉岡詩織 / 編集:qbc(栗林康弘)】