はじめに
シリーズ100本目の節目を迎えました。 TSIRの方法論を支える社会学のことばを、ひとつずつ整理してきました。 100本目に取り上げるのは、統計学のもっとも基本的な概念のひとつ──分散(variance)です。
統計学の入口のことばですが、ここを丁寧に押さえることが、社会調査全体の理解の土台になります。
1. 分散とは何か
分散は、ひとことでいえば、
データの散らばりの度合いを表す値。
を指します(吉岡のノートより)。
データには、「中心」と「広がり」のふたつの性質があります。
- 中心を表す代表的な数値:平均値、中央値、最頻値
- 広がりを表す代表的な数値:分散、標準偏差、範囲
分散は、データが平均値からどれくらいばらついているかを、ひとつの数字で表した指標です。
2. 分散の計算
分散の計算手順は、次のようになります。
ひとつ目に、各データ点と平均値の差(偏差)を計算する。
ふたつ目に、偏差を二乗する。
三つ目に、二乗した偏差の平均をとる。
数式で書くと、
σ² = (1/n) × Σ(xᵢ − x̄)²
ここで、
- σ²:分散
- n:データの数
- xᵢ:各データ点
- x̄:データの平均値
──です。
ポイントは、偏差を二乗するところです。 偏差をそのまま足すと、プラスとマイナスが打ち消し合ってゼロになってしまう。 だから、二乗することでプラスに揃えてから、平均をとる。
3. なぜ「分散」が必要なのか
「データのばらつき」を知ることは、社会調査にとって決定的に大事です。 平均値だけでは、データの本質を見落とすことがあります。
たとえば、2つの会社A・Bがあり、両方とも社員の平均年収が500万円だったとします。
- 会社A:社員全員がほぼ500万円。ばらつきが小さい
- 会社B:一部の社員は1500万円、多くの社員は300万円。ばらつきが大きい
平均値だけ見ると同じですが、社員の生活実感はまったく違うはずです。 このとき、分散を計算すると、
- 会社A:分散は小さい
- 会社B:分散は大きい
──と、はっきり違いが出てきます。 平均値と分散をセットで見ることで、データの本当の姿が見えてきます。
4. 標準偏差との関係
分散の正の平方根を取ったものが、標準偏差(standard deviation, σ)です。
σ = √σ² = √[(1/n) × Σ(xᵢ − x̄)²]
分散は、偏差を二乗したものの平均なので、単位が元のデータの二乗になります。 たとえば、データが「身長 [cm]」なら、分散の単位は「cm²」になってしまう。これでは直感的に分かりにくい。
そこで、平方根をとって元の単位に戻したものが、標準偏差です。 身長の標準偏差は「cm」になるので、解釈しやすくなります。
実際の分析では、分散よりも標準偏差のほうが、よく使われます。
5. 「ばらつき」の意味するもの
分散・標準偏差が示す「ばらつき」は、たんなる数学的な指標ではありません。 社会調査の文脈では、それ自体が重要な情報を持ちます。
- 所得の分散が大きい社会:所得格差が大きい
- 学力の分散が大きい学校:学力格差が大きい
- 健康状態の分散が大きい地域:健康格差が大きい
- ジェンダー意識の分散が大きい職場:意見の対立が深い
ばらつきは、たんなる「散らばり」ではなく、社会の多様性や不平等を映す指標になります。 平均値だけを見て満足するのではなく、ばらつきも丁寧に見ることが、社会の実態を捉えるうえで大事です。
6. グループ間分散と、グループ内分散
分散は、データを集団に分けて分析するときに、さらに精密になります。
- グループ間分散(between-group variance):グループ同士の平均値の違いから来るばらつき
- グループ内分散(within-group variance):各グループ内のばらつき
たとえば、複数の学校の生徒の成績データを分析する場合、
- グループ間分散:学校ごとの平均成績の違い
- グループ内分散:同じ学校内の生徒の成績のばらつき
このふたつを分離して扱うのが、分散分析(ANOVA)です。 そして、級内相関係数(→ #102)の計算にも、このグループ間/グループ内の分散の比が使われます。
7. 不偏分散
「分散を計算するとき、n で割るのか、n−1 で割るのか」という問題があります。 教科書によって書き方が違うので、混乱しやすいところです。
- 標本分散:n で割る。手元のデータの分散をそのまま示す
- 不偏分散:n−1 で割る。母集団の分散を推定する場合に使う
この違いは、自由度(→ #97)の考え方と関係しています。 標本平均を計算する段階で、すでに「合計」という制約が1つ使われている。 だから、母分散を推定するときは、自由度が n−1 になる。
詳しくは #97 を参照してください。
8. 社会調査における分散の重要性
社会調査では、ほとんどすべての分析で、分散・標準偏差が登場します。
- 平均値の信頼区間:標準誤差(標準偏差を√nで割ったもの)で計算
- 相関係数:分散と共分散から計算
- 回帰分析:残差の分散を最小化する
- 統計的検定(→ #50):分散の比較が判断の基礎
- 多変量解析:分散の構造分析
つまり、分散を理解することは、統計分析全体を理解することの第一歩です。
9. インタビュー研究と、分散の発想
TSIR のインタビュー研究は、分散を計算するわけではありません。 ですが、「ばらつきに目を向ける」発想は、質的研究にも生きます。
ある集団の特徴を語るとき、
- 集団全体の「典型」だけを描くと、平均値だけを見るのと同じになる
- 集団内の「多様性」や「揺らぎ」も描かないと、その集団の本当の姿は見えない
ひとりの語り手の経験のなかにも、
- 安定して語られていること
- 揺らいでいること、矛盾していること
──の両方があります。 そのどちらも、ひとりの人間の真実です。 ばらつきを切り捨てない聴き方が、質的研究の作法のひとつです。
結び
分散は、統計学のいちばん基本的な道具のひとつです。 「データのばらつき」を、ひとつの数字で捉える。
平均値だけ見ても、社会は分かりません。 ばらつきの大きさが、社会の多様性や不平等を映している。
シリーズ100本目を迎えるにあたって、こうした「基本に立ち返る」一本を選びました。 ニュースで「平均」「中央値」「ばらつき」「格差」といった言葉に出会ったとき、その背後にある分散の発想を、少し思い出してもらえたらと思います。
参考資料
- 吉岡詩織の社会学用語ノート「分散」
- 統計学の入門書一般
- 関連:自由度(#97)、統計的検定(#50)、多変量解析(#58)
【執筆:吉岡詩織 / 編集:qbc(栗林康弘)】