はじめに
「人によって、ものの見方が違うのは当たり前」 「立場が違えば、考え方も違うのは仕方ない」
私たちは、こうしたことばを日常的に使います。 これは、社会学・思想史のことばで言うと、相対主義(relativism)に近い発想です。
ですが、すべての考えが「立場による」と言ってしまうと、議論は成り立たなくなる。 真実とは、結局のところ「人それぞれ」になってしまう。
この問題に正面から向き合った思想家がいます。 カール・マンハイム(Karl Mannheim)。 彼が提示したのが、相対主義に対抗する相関主義(relationism)でした。
今回取り上げるのは、この相対主義 vs 相関主義の対立軸です。
1. 相対主義とは何か
相対主義は、ひとことでいえば、
唯一絶対の視点や価値観から何ごとかを主張するのではなく、もろもろの視点や価値観の併立・共存を認め、それぞれの視点・価値観に立って複数の主張ができることを容認する立場。
を指します(吉岡のノートより)。
複数主義(pluralism)、多元主義に近く、絶対主義(absolutism)や普遍主義(universalism)に対立する立場です。
相対主義の良いところは、
- 自分の視点が絶対だと押し付けない
- 他者の見方を尊重する
- 異文化や少数派の声を、否定せずに受け取れる
ところが、相対主義をどこまでも徹底すると、
- すべての主張が「立場による」ことになって、議論ができなくなる
- 真理とは「結局のところ多数派」「結局のところ強い側」のものになりやすい
- 何を信じていいか分からなくなる
──といった問題が出てきます。 これが、相対主義の難しさです。
2. マンハイムの問題意識 ── 存在拘束性をどう扱うか
#15で扱った存在拘束性を思い出してください。 マンハイムは、知識やイデオロギーが、その人のおかれた社会的位置(階級、世代、職業、ジェンダー、地域、時代…)に拘束されていることを論じました。
ここで彼が直面したのは、ひとつの難問でした。
すべての知識が存在に拘束されているなら、誰も真理を語れないのではないか?
これは、相対主義の罠です。 「すべては立場による」と言ってしまうと、マルクス主義の主張も、自由主義の主張も、宗教の主張も、すべて「ある立場の見方」にすぎないことになる。 そうすると、知識社会学そのものが、自分の足場を失ってしまう。
マンハイムは、この罠から抜け出すために、相対主義ではなく相関主義(relationism)を提示しました。
3. 相関主義とは何か
相関主義の特徴を、吉岡のノートでは2つに整理しています。
ひとつ目:
あらゆる思想が、特定の歴史的・社会的条件に根ざしたものであるということを、積極的に評価する。
ふたつ目:
いくつもある部分的な真理を、全体的な観点から相互に関連・総合させていく。
相関主義は、
- 「すべての知識が立場に縛られている」という認識を、否定するのではない(ここまでは相対主義と同じ)
- ですが、そこで終わらず、部分的な真理を相互に関連づけ、より広い見取り図を描こうとする
- 階級制約的な知を、新たに全体社会に位置づけることによって、知の新たなモザイクを形成する
- 全体像を描き出すこと、立場も大事であること
これが、相対主義との決定的な違いです。 相対主義が「立場が違うから、それぞれの真理がある」で終わるのに対して、相関主義は「立場が違うからこそ、突き合わせて、より全体的な理解を作っていける」と進みます。
4. ウェーバーの理解社会学と、マンハイムの知識社会学
吉岡のノートでは、ウェーバーとマンハイムを対比して整理しています。
ウェーバーの理解社会学:
それぞれ立場があることなので、価値自由(フェミニストの立場か、共産主義の立場か)だが、インチキはしない。調査はしっかり行うこと。これがウェーバーの客観性論文(→ #30 価値自由)の趣旨。 「これが大事!」という価値判断は主観的。研究の中身自体は、関心のない人にも、理解してもらうような、インチキのないきちんとした分析である必要がある。
ウェーバーは、価値判断と事実判断を区別する価値自由の方法で、相対主義に陥らずに社会科学を進めようとしました。
マンハイムの知識社会学:
マルクス主義が、<存在拘束性>の原理を、敵対者のイデオロギーを攻撃するためにのみ用いていることを批判。 この原理を、自分の立場も含めて普遍的に適用することを主張。→ 知識社会学の立場を確立。
マンハイムは、「相手の思想を『階級的な偏り』として批判するなら、自分の思想も同じ目線で見るべきだ」と論じました。 すべての思想に、自分自身を含めて、存在拘束性を適用する。 そして、そのことを認めた上で、相関主義によって部分的真理を統合する道を探りました。
5. 自由浮動的インテリゲンチアという処方箋
マンハイムが、相関主義を支える主体として想定したのが、自由浮動的インテリゲンチア(freischwebende Intelligenz)でした。 これは#15でも触れた概念です。
知識人は、特定の階級や利害から比較的自由な位置にいる。 だから、彼らはさまざまな立場のものの見方を引き寄せ、突き合わせ、より広い視野から知識やイデオロギーの真理性を見定めることができる──。 そう、マンハイムは主張しました。
この「自由浮動的インテリゲンチア」という発想自体には、批判もあります。 本当にそんな立場があり得るのか、という疑問。 ですが、その姿勢──できるだけ多くの立場の見え方を引き寄せて検討する──は、いまの社会学にも引き継がれています。
6. 「マルクス主義との決別」としての知識社会学
マンハイムが『イデオロギーとユートピア』を書いた背景には、ハンガリーの哲学者ルカーチとの決別がありました。
マルクス主義は、相手の思想を「ブルジョア的なイデオロギー」と批判するために、存在拘束性の原理を使ってきました。 ですが、その原理を**自分の思想(マルクス主義そのもの)**には適用しない。
マンハイムは、これに違和感を持ちました。 存在拘束性は、自分も含めて普遍的に適用しなければ、ただの政治的武器になってしまう。 だから、彼は自分のかつての立場(マルクス主義)と決別して、相関主義の立場から知識社会学を作り直そうとしました。
7. インタビュー研究と、相関主義
TSIR がインタビューを通して聴く語りのなかで、相対主義と相関主義の違いは、決定的に大切です。
「人それぞれですね」「立場が違うから仕方ないですね」と聞き流してしまうのは、相対主義的なアプローチです。 これは、研究としては不十分です。
私たちが目指すのは、
- 語り手の経験が、どんな社会的位置から発せられているかを丁寧に位置づける
- 異なる立場の語りを突き合わせて、より広い見取り図を作る
- 自分(聴き手)の立場も自覚し、その上で対話を作る
──という、相関主義的なアプローチです。 ひとりの語りを「その人の主観」として孤立させず、社会のなかで関連づけて読みほぐす。 これが、ライフヒストリー研究の作法と深く重なります。
結び
相対主義と相関主義。 似ているようで、決定的に違うこの対比は、社会学のなかでもっとも基本的な選択肢のひとつです。
「人それぞれだから」で終わる相対主義ではなく、「人それぞれの見方を突き合わせて、より広い理解を作る」相関主義。 マンハイムが100年近く前に提示したこの方向性は、いまも社会学が大切にしている姿勢です。
異なる立場の人と対話するとき、相対主義に滑り落ちず、相関主義の態度を保つこと──。 これは、研究の作法であり、現代社会を生きる作法でもあると、私は思っています。
参考資料
- カール・マンハイム『イデオロギーとユートピア』(1929)
- マックス・ウェーバー「客観性論文」(1904)
- 吉岡詩織の社会学用語ノート「相対主義 VS 相関主義」
- 関連:存在拘束性(#15)、価値自由(#30)、理念と利害(#46)
【執筆:吉岡詩織 / 編集:qbc(栗林康弘)】