はじめに
ひとつの国のなかに、複数の文化、宗教、言語、民族が共存している。 それを「問題」として同化させるのではなく、「豊かさ」として尊重する──。 この発想を、社会学・政策論のことばで多文化主義(multiculturalism)と呼びます。
20世紀後半、移民の増加とともに、世界中の国で議論されてきたテーマです。 カナダ、オーストラリア、オランダ、スウェーデン──。 そして近年、日本でも、外国にルーツを持つ住民の比率が高まるなかで、改めて切実なテーマになっています。
1. 多文化主義(多文化政策)とは何か
多文化政策は、ひとことでいえば、
社会の文化・宗教の多様性を尊重し、マイノリティに自由と平等を保障しつつ、彼らの社会・経済統合を促す政策。
を指します(吉岡のノートより)。
その思想的背景にあるのが、多文化主義です。
- 単一の文化(しばしばマジョリティの文化)を「標準」として、他者をそれに同化させる発想を批判する
- 複数の文化が、対等に共存する社会を目指す
これが多文化主義の核心です。
2. 多文化政策の具体例
多文化政策として、各国で実施されてきた具体的な施策には、次のようなものがあります(カナダの政治学者ウィル・キムリッカやBantingらの整理を参考に)。
ひとつ目:憲法・法律による多文化主義の確認。 憲法や議会の決議で、多文化主義を国の基本原則として位置づける。
ふたつ目:学校カリキュラムへの多文化主義の採用。 学校教育で、多様な文化・歴史を扱う。
三つ目:公共メディアでの少数民族への配慮。 公共放送やメディアの認可条件に、少数民族の描写や配慮を組み込む。
四つ目:制服規定や日曜休業法の適用除外。 宗教的に異なる慣行を持つ人々のための、規則の柔軟化。
五つ目:二重国籍の容認。 移民が母国の国籍を維持しながら、新しい国の国籍も持てるようにする。
六つ目:民族団体への資金援助。 マイノリティ・コミュニティが、自分たちの文化的活動を維持できるよう、資金面でサポート。
七つ目:多言語教育・母国語教育への資金援助。 英語や現地語だけでなく、移民の母国語の継承も支援する。
八つ目:不利な立場にある移民集団のためのアファーマティブアクション。 教育、雇用などで、移民集団の不利を是正する積極的施策。
これらの政策は、カナダ、オーストラリアなどの多文化主義国家で、長年実践されてきました。
3. 多文化主義の3つの伝統
多文化主義には、おおむね3つの理論的伝統があります。
ひとつ目:自由主義的多文化主義(liberal multiculturalism)。 個人の自由と権利を出発点に、文化的所属の権利も保障する。 ウィル・キムリッカが代表的な論客。
ふたつ目:コミュニタリアン的多文化主義(communitarian multiculturalism)。 個人は文化のなかで形作られる、という前提から、文化集団そのものを尊重する。 チャールズ・テイラーが代表的(→ #42 コミュニタリズム)。
三つ目:ポストコロニアル多文化主義。 旧植民地・被支配の経験を踏まえて、マジョリティ文化の特権を批判的に問い直す。
これらの立場は、共通点と違いを持ちながら、20世紀後半の多文化社会論を作ってきました。
4. 同化主義との対比
多文化主義の対概念は、同化主義(assimilationism)です。 これは、
- マイノリティが、マジョリティの文化に溶け込むことを期待する
- 移民は、現地の言語、習慣、価値観を身につけるべきだ
- 文化的な差異は、徐々に消えていくべきだ
──という立場です。 20世紀前半までのアメリカの「メルティングポット」(るつぼ)の発想は、これに近いものでした。
多文化主義は、この同化主義に対するアンチテーゼとして立ち上がりました。
- 「メルティングポット」ではなく「サラダボウル」「モザイク」
- 文化の違いを保ったまま、共存する
──というイメージです。
5. 多文化主義への批判と「失敗」議論
ところが、2000年代以降、多文化主義は強い批判を受けるようになりました。
特に、
- オランダのピム・フォルタイン事件、テオ・ファン・ゴッホ事件
- イギリスのロンドン同時爆破事件(2005)
- ドイツ・メルケル首相の「多文化主義は失敗した」発言(2010)
- フランスのテロ事件、シャルリー・エブド事件
──こうした事件のなかで、「多文化主義は社会の分断を深めた」という主張が広がりました。
吉岡のノートにも、こう書かれています。
理想像に近いインクルーシブな多文化主義システムを作り上げたオランダだったが、現実には、移民の社会統合は進まず、オランダ人との間にできた溝は埋まらなかった。
1999〜2004年の平均で、生産年齢人口の移民の就業率は58%弱、オランダ人の就業率より2割以上低い。 不景気のたびに移民の失業率は跳ね上がり、特に2世の若者層の失業は高いレベルで推移した。
移民の多くは、エスニック地区で育ったため、オランダ語が話せず、国の文化やしきたりにも疎く、低学歴・低スキルというハンディキャップを負っている。
「多様性(ダイバーシティ)を尊重するあまり、マイノリティの融合をないがしろにしてきた」──こうした批判が、各国で広がりました。
6. 「インターカルチュラリズム」へ
こうした批判のなかで、新しい立場として「インターカルチュラリズム」(interculturalism)が提唱されるようになりました。
これは、
- 多様な文化を尊重しつつ
- 同時に、文化を超えた対話と統合を重視する
──というアプローチです。 カナダのケベック州や、ヨーロッパのいくつかの地域で、多文化主義に代わる新しい指針として議論されています。
7. 日本の多文化共生
日本でも、多文化主義に近い議論は進んでいます。 日本では「多文化共生」という言葉が、行政・自治体レベルで使われることが多いです。
- 外国人住民の増加
- 在日コリアン、ニューカマー、技能実習生、留学生
- 多言語サービス、多言語教育の整備
- 地域の国際交流活動
ですが、日本の多文化共生政策には、
- 移民政策そのものが整っていない(移民の正面からの受け入れの議論が遅れている)
- 「ホスト」と「ゲスト」の不平等な関係が、暗黙の前提になっている
- マイノリティの政治的な代表が極めて少ない
──といった課題があります。 これは、ヨーロッパ・北米の多文化主義論の経験から学びつつ、日本独自の文脈で答えを作っていかなければならない領域です。
8. インタビュー研究と、多文化主義
TSIR がインタビューを通して聴く語りのなかにも、多文化的な経験は、しばしば登場します。
- 「ハーフとして育って、どちらの文化にも完全には属せなかった」
- 「在日3世として、自分のアイデンティティをずっと考えてきた」
- 「外国人住民が増えるなかで、地域の人間関係が変わった」
- 「子どもの学校に、いろんな国の家庭がいる」
これらの語りは、多文化主義の理念と、生活のリアリティのあいだのずれを映しています。 多文化主義の補助線を持っていると、こうした経験を「個人の悩み」ではなく、社会の多元化の構造的な課題として読みほぐすことができます。
結び
多文化主義は、20世紀後半の世界が選び取った、ひとつの大きな方向性でした。
ですが、その実装は、想像以上に難しい。 理念は美しくても、教育、雇用、住宅、安全、コミュニティの統合──実際の暮らしのなかで、多くの摩擦が生まれます。
それでも、グローバル化が止まらないこの時代、私たちは「多様性とどう生きるか」という問いから逃れることはできません。 多文化主義の経験と批判の両方を学びながら、日本社会も、自分のかたちを探していかなければならない。
多文化主義の議論は、私たちひとりひとりが「他者とどう生きるか」を考えるための、いまも開かれている入口です。
参考資料
- ウィル・キムリッカ『多文化主義のシティズンシップ』(1995)
- Bantingらの多文化政策研究(2006)
- 各国の多文化主義の失敗をめぐる議論
- 吉岡詩織の社会学用語ノート「多文化政策」
- 関連:コミュニタリズム(#42)、リベラリズム(#41)、社会的包摂と排除(#13)、人口移動(#91)
【執筆:吉岡詩織 / 編集:qbc(栗林康弘)】