はじめに
「コーポレートガバナンス」「気候変動ガバナンス」「地球規模のガバナンス」「データガバナンス」──。 近年、「ガバナンス」という言葉は、ビジネスから国際政治まで、あらゆる場面で耳にします。
ですが、ガバナンスって、結局のところ何のことなのでしょうか。 統治? 管理? 経営? 答えは、文脈によって変わります。今回は、この多義的だが重要な言葉を整理します。
1. ガバナンスとは何か
ガバナンスは、ひとことでいえば、
日本語では「統治・支配・管理」と訳される。対象が何であるかによって、その意味合いは変わってくる。
を指します(吉岡のノートより)。
語源は、英語の "govern"(統治する、運営する)。 ですが、伝統的な「政府」(government)と違い、ガバナンスはより広い意味で使われます。
イギリスの社会学者ポール・ハースト(Paul Hirst)が、1990年代からこの概念を提唱しました。 そして、ガバナンスは少なくとも5つのバージョンを持つ、と整理されています。
2. ガバナンスの5つの意味
ハーストの整理によると、ガバナンスには、文脈に応じて次の5つの意味があります。
ひとつ目:開発経済学的な意味。 世界銀行が提唱する「よいガバナンス」のように、途上国の政治的民主化を通じて、公正な開発援助を推進すべき、という文脈。
ふたつ目:国際政策的な意味。 地球環境問題のように、単一の国家や政府だけでは対処できない問題に対して、国際的に、また民間部門とも協力しあって対処すべき、という文脈。
三つ目:コーポレートガバナンス。 企業の公正かつ効率的な運営を目指す経営学的な意味。
四つ目:公共政策の戦略としてのガバナンス。 民営化のリスクを適切にコントロールするための、国家レベルあるいは地球レベルにおける公共政策の戦略という意味。
五つ目:草の根からの自発的アクション。 中央集権的な政策決定の限界を越えようとする、ネットワーク、パートナーシップ、フォーラムといった、草の根からの自発的な政策提言的アクション。
このように、ガバナンスは「国家による上からの統治」から「草の根の自発的な協働」まで、極めて幅広い意味を持ちます。
3. なぜ「ガバナンス」が必要になったのか
ガバナンスという言葉が、1990年代以降、急速に広がった背景には、いくつかの構造的な変化があります。
ひとつ目は、グローバル化。 気候変動、感染症、金融危機、テロ──。これらは、一国だけでは対処できません。 複数の国家、国際機関、企業、NGOが協力する必要がある。
ふたつ目は、国家の限界。 新自由主義の時代に、国家の役割が縮小し、民間や市民社会の役割が増えた。 すべてを国家が決めるのではなく、多元的なアクターが意思決定に関わるようになった。
三つ目は、複雑性の増大。 専門知識、データ、利害関係者が多様化するなかで、トップダウンの統治では対応しきれない。
四つ目は、民主主義の課題。 代議制民主主義だけでは、市民の声を十分に反映できない、という不満。 直接参加、討議、市民参加の仕組みが求められるようになった。
これらが組み合わさって、「統治(government)から、ガバナンスへ」というスローガンが、世界中で広がりました。
4. コーポレートガバナンスの具体例
ビジネスの文脈でのコーポレートガバナンスは、特に重要です。 これは、健全な企業経営を行うために求められる管理体制の構築・内部統治を指します。
具体的には、
- 取締役と執行役の分離
- 社外取締役の設置
- 内部統制やリスクマネジメントに特化した専門部署の設置
- 役割と指示系統を明確にする新たな仕組みづくり
──など。 企業とステークホルダー(利害関係者)との信頼関係を築くために、コーポレートガバナンスの強化が、いまの企業経営の柱になっています。
なぜ近年、コーポレートガバナンスの必要性が増しているのか。 理由は3つです。
ひとつ目:情報の価値が向上。 情報漏洩のリスクが大きく、管理の徹底が必要。
ふたつ目:社内情報が発覚しやすい。 SNS時代に、社内の問題はすぐ外に出る。
三つ目:企業価値の向上につながる。 優良企業として認められれば、生産性も企業価値も上がる。
5. 地球温暖化に対するガバナンス
国際的な意味でのガバナンスの典型例が、地球温暖化対策です。
気候変動枠組条約と京都議定書、そしてパリ協定──。 これらは、国連を中心とした、地球環境問題に対するガバナンスの一環として位置づけられています。
ですが、地球温暖化への対応は、簡単ではありません。
- どの国が、どれだけ削減するか
- 先進国と途上国の責任の違いをどう扱うか
- 企業の責任をどう設計するか
- 市民、自治体、企業がどう協働するか
──こうした複雑な問題を、単一の権威ではなく、複数のアクターのネットワークで意思決定していく。 これが、現代の環境ガバナンスの姿です。
6. 「よいガバナンス」と「悪いガバナンス」
ガバナンスという言葉は、ニュートラルに見えますが、規範的な含意を持つこともあります。
世界銀行などが言う「よいガバナンス」(good governance)は、
- 透明性
- 説明責任
- 法の支配
- 参加
- 効率性
- 公正
──といった原則を満たす意思決定のあり方を指します。 この「よいガバナンス」の達成度合いは、援助の条件にもなることがあります。
ですが、これに対しては、「西洋的な価値観を、途上国に押し付けている」という批判もあります。 ガバナンスの議論は、政治的にも文化的にも、デリケートな側面を持っています。
7. ガバナンスとミュニシパリズム
地域レベルでのガバナンスの議論は、ミュニシパリズム(→ #80)とも、深く重なります。
- 中央政府ではなく、自治体や地域コミュニティが、政策決定の主体になる
- 多元的なアクターが、フォーラムで議論し合意を作る
- 市民参加が、意思決定のルートに組み込まれる
これらは、ガバナンスの第五の意味──草の根からの自発的アクション──の具体例です。
8. インタビュー研究と、ガバナンス
TSIR がインタビューを通して聴く語りのなかにも、ガバナンスの問題は、しばしば登場します。
- 「会社のコンプライアンス研修が、形式的に感じる」
- 「地域の自治会で、誰が決めているのか分からなくなった」
- 「市民参加と言われても、結局は専門家が決めている気がする」
- 「グローバルな問題は、自分には遠い」
これらの語りは、ガバナンスのかたちが、人々の生活感覚にどう影響しているかを教えてくれます。 ガバナンスの補助線を持っていると、こうした経験を、たんなる「組織への不満」ではなく、意思決定の仕組みの問題として読み直すことができます。
結び
ガバナンスは、現代社会で意思決定のあり方を考えるための、最重要キーワードのひとつです。
「国家が決める」時代から、「複数のアクターが協働して決める」時代へ。 このシフトは、確かに進んでいます。
ですが、その新しいガバナンスのかたちが、
- 透明か、説明責任があるか
- 多様な声を反映しているか
- 既得権益の温存装置になっていないか
──を、私たち市民が問い続ける必要があります。
ガバナンスは、専門家やリーダーだけのものではありません。 私たち一人ひとりが、その担い手のひとりです。
参考資料
- Paul Hirst のガバナンス論
- 吉岡詩織の社会学用語ノート「ガバナンス」
- 関連:ミュニシパリズム(#80)、コーポラティズム(#79)、原子力ムラ(#76)、第三の道(#118)
【執筆:吉岡詩織 / 編集:qbc(栗林康弘)】