はじめに
公海の魚が減っていく。 熱帯雨林が伐採されていく。 大気がCO2で汚染されていく。 地下水が枯れていく。
これらの「共有のもの」が、なぜどんどん失われていくのか。 そこには、ひとつのシンプルだけれど力強い社会学的・経済学的なメカニズムが働いています。
それが、今回取り上げる共有地の悲劇(tragedy of commons)です。 アメリカの生態学者ギャレット・ハーディン(Garrett Hardin)が、1968年に有名な論文で提示した概念で、いまも環境社会学・公共政策論の中心テーマです。
1. 共有地の悲劇とは何か
共有地の悲劇は、ひとことでいえば、
オープンアクセスな共有資源の管理がうまくいかないと、資源が過剰に使われ、回復できないダメージを負う現象。
を指します(吉岡のノートより)。
ハーディンが1968年にサイエンス誌に発表した論文「The Tragedy of the Commons」が、この概念の出発点です。
2. 「共有の牧草地」の思考実験
ハーディンは、シンプルな思考実験でこのメカニズムを説明しました。
ある共有の牧草地(コモンズ)があり、複数の牧畜業者が、そこに自分の牛を放牧している、と仮定します。
それぞれの牧畜業者は、こう考えます。
- 自分が牛をもう1頭増やせば、自分の利益は1頭分増える
- 牧草地への負担は、全員で分け合うので、自分にとっての追加の負担は小さい
- だから、合理的に考えれば、牛を増やしたほうがいい
そして、全員が同じことを考えて、牛を増やしていく。 結果として、牧草地は過剰に使われ、ついには枯渇する。 全員が「合理的」に行動した結果、共有地は破壊される──。 これが共有地の悲劇です。
3. 共有地の悲劇が起きる条件
吉岡のノートでは、共有地の悲劇が起きる条件として、
ひとつ目:共有資源がオープンアクセスであること ふたつ目:資源が希少で、枯渇すると尽きること
──の2点が挙げられています。
「オープンアクセス」というのは、誰もが自由に資源を使える状態のこと。 所有権が明確に設定されていない、または管理が緩い状態です。
「希少で枯渇する」というのは、無限ではない、ということ。 無限にあるなら、使いすぎても問題は起きません。 ですが、現実の天然資源、環境、地下水、漁業資源──これらはすべて、限りがあります。
この2条件が揃ったとき、共有地の悲劇が起きやすくなります。
4. 現代の共有地の悲劇
ハーディンが想定した牧草地の例は、わかりやすい比喩です。 ですが、現代社会には、共有地の悲劇のパターンがあちこちにあります。
- 漁業資源:公海での乱獲
- 大気:CO2排出による気候変動
- 水資源:地下水の汲み上げすぎ
- 森林:熱帯林の乱伐
- 生物多様性:種の絶滅
- オープンスペース:公園や広場の荒廃
これらはすべて、「誰のものでもないからこそ、誰も守らない」というメカニズムで、劣化していきます。
5. 解決策その1:所有権の設定
共有地の悲劇への、伝統的な解決策のひとつが、所有権の明確化です。
行政が、利害関係者に対して、
- 有償で所有権を与える
- あるいは独占権を与える
──ことで、資源を管理しやすくする。
漁業の場合、漁業権を特定の漁協に与えることで、乱獲を防ぐ。 牧草地の場合、土地を分割して私有化することで、それぞれが自分の土地を大切に使うようになる。 これは、市場原理を活用した解決策です。
6. 解決策その2:規制と排出権取引
ですが、所有権の設定が難しい場合(特に大気や水のような、私有化できないもの)には、別のアプローチが必要です。
その代表が、
- 規制的手法:法律で排出や使用に上限を設ける(排出規制、漁獲制限など)
- 市場原理の活用:排出権取引、CO2税、課徴金
──など。 これらは、外部不経済(自分の行動が他者にコストを押し付ける現象)への対応として、現代の環境政策で広く使われています。
7. オストロムによる第三の道
ハーディンの議論には、しばしば「民営化か、政府規制か」の二択しかない、という批判がありました。 これに対して、アメリカの政治経済学者エリノア・オストロム(Elinor Ostrom)は、第三の道を提示しました。
オストロムは、世界中の共有資源管理の実例(漁業組合、灌漑、共有林)を調査し、
地域コミュニティが自主的にルールを作り、コモンズを管理する
──という、民営化でも国家管理でもない第三のアプローチが、しばしば極めて有効に機能していることを示しました。
この業績で、彼女は2009年にノーベル経済学賞を受賞しました(女性初)。 オストロムの議論は、ミュニシパリズム(→ #80)や相互扶助(→ #63)の議論とも、深く重なります。
8. ホッブズ問題・社会的ジレンマとの接続
共有地の悲劇は、社会学の他の概念とも、強くつながっています。
- ホッブズ問題(→ #19):個々人が利益を追求すると、社会全体が崩壊するのではないかという問題
- 社会的ジレンマ(→ #35):個人の合理性が、全体の不合理に繋がる構造
- 囚人のジレンマ(→ #127):2人版のゲーム理論モデル
これらは、いずれも「合理的な個人 vs 合理的な集団」のあいだの矛盾を扱う概念です。 共有地の悲劇は、その多人数版として位置づけることができます。
9. インタビュー研究と、共有地の悲劇
TSIR がインタビューを通して聴く語りのなかにも、共有地の悲劇的な経験は、しばしば登場します。
- 「地域の山や川が、誰も管理しなくなって荒れていった」
- 「自治会の役員のなり手がいなくて、共有部分の管理が回らない」
- 「自分ひとりが気をつけても、地域全体は変わらない気がする」
- 「みんなが少しずつやれば変わるのに、誰もが他人事になっている」
これらの語りは、共有地の悲劇が「遠い環境問題」だけでなく、身近な地域や組織のなかでも起きていることを示しています。 共有地の悲劇の補助線を持っていると、こうした語りを、たんなる「住民の意識不足」ではなく、構造的な問題として読み直すことができます。
結び
「みんなのもの」を守るのは、簡単ではありません。 個人の合理的な選択の積み重ねが、共有のものを壊していく──。 ハーディンが60年近く前に名指したこの問題は、いまの私たちにとっても切実なテーマです。
ですが、共有地は、運命として破壊されるわけではありません。 所有権の設定、規制、コミュニティの自主管理──。 それぞれの状況に応じて、解決の道はあります。
そして、その解決を選び取る主体は、私たち市民です。 共有地の悲劇の議論は、自分の暮らしと、社会の共有財産との関係を、もういちど問い直すレンズです。
参考資料
- Garrett Hardin "The Tragedy of the Commons" (1968)
- Elinor Ostrom『Governing the Commons』(1990)
- 吉岡詩織の社会学用語ノート「共有地の悲劇」
- 関連:囚人のジレンマ(#127)、社会的ジレンマ(#35)、ホッブズ問題(#19)、ミュニシパリズム(#80)
【執筆:吉岡詩織 / 編集:qbc(栗林康弘)】