はじめに

19世紀前半、フランスから新興のアメリカ合衆国を訪れたひとりの若い貴族がいました。 彼は、フランスのアリストクラシー(貴族制)の名残のなかから来た目で、アメリカの民主主義を観察し、深い洞察を残しました。

その人物が、アレクシ・ド・トクヴィル(Alexis de Tocqueville)。 彼が1830年代に書いた『アメリカのデモクラシー』(De la démocratie en Amérique)は、いまも政治社会学・民主主義論の古典です。

今回取り上げるのは、トクヴィルが描いた共和制の議会制民主主義と、その光と影です。

1. なぜ、アメリカに注目したのか

トクヴィルが生きていた19世紀前半のフランスは、フランス革命を経たにもかかわらず、貴族制(アリストクラシー)の根を完全には断ち切れていませんでした。 革命と王政復古を繰り返し、社会のかたちが定まりきらない時代です。

そんなフランスから見たとき、独立後のアメリカは異質な存在でした。

トクヴィルは、「もしかしたら、これがヨーロッパの未来かもしれない」と直感しました。 そして、9ヵ月のアメリカ滞在のあいだに、徹底的にこの国の社会と政治を観察したのです。

2. アメリカ社会の「平等への執着」

トクヴィルが、アメリカで強い印象を持ったのは、平等であることへの強い執着でした。

吉岡のノートでも、

ここで言う「平等な社会」とは、無条件の不平等性がいかなる意味でも正当化されない社会という意味である。

と整理されています。

血統や家柄で人を区別することが、アメリカでは正当化されない。 ヨーロッパに残っていた身分のヒエラルキーが、アメリカでは原則として存在しない。 人々は基本的に「平等な市民」として扱われる。

これは、貴族制を完全に手放せていなかった当時のフランスとは、まったく違う風景でした。

3. 自発的結社の活発さ

トクヴィルが、もうひとつ驚いたのが、結社による社会活動の活発さでした。

ヨーロッパでは、「結社」は多くの場合、特権的な集団であり、自由な職業活動の敵でもありました。 ところが、アメリカでは、結社が逆の役割を果たしていた。

宗教団体、慈善団体、商工会、教育協会、改革運動──。 アメリカ社会のなかで、こうした自発的結社が無数に立ち上がり、社会を動かしていました。

トクヴィルは、これを民主主義を支える重要なインフラとして位置づけました。 中央政府の力に頼りすぎず、市民同士のつながりで社会を運営していく──。 この観察は、後の市民社会論ソーシャルキャピタル論(→ #11)の出発点にもなっていきます。

4. 政教分離と、宗教の役割

トクヴィルが注目したもう一つの特徴が、宗教に対する独特の感覚でした。

アメリカでは、

ヨーロッパ的な感覚では、政教分離を厳格にする社会は、宗教を政治から遠ざけようとするはずだ、と考えがちです。 ところが、アメリカでは、両者が逆説的に共存していた。 宗教は、市民の道徳と社会の連帯を支える源泉として、政治を底から支える役割を果たしていた──。これがトクヴィルの観察でした。

5. しかし、デモクラシーには影もある

トクヴィルは、アメリカのデモクラシーを礼賛しただけではありません。 むしろ、彼は同時に、デモクラシーが悪い方向に進む可能性にも、強い警告を発しました。

吉岡のノートにも、彼の指摘した次の3つの危険が整理されています。

ひとつ目は、世論による専制政治。 選挙と議論で動く政治は、世論に動かされる。世論が暴走すれば、それは別のかたちの独裁になりうる。

ふたつ目は、数の暴力(多数派による少数派の抑圧)。 多数派の意見が正当化されやすい民主主義のなかで、少数派の権利や声が踏みにじられるリスクがある。

三つ目は、知的自由の欠如。 平等であることへの執着が強すぎると、世論と違う意見を持つことが、社会的に許されにくくなる。 結果として、自由な思考や批判的議論が、しぼんでいくかもしれない。

トクヴィルは、デモクラシーが「自由を欠いた平等」へと堕落する危険を、繰り返し警告しました。 これは、現代のSNS時代の議論にも、生々しく響く洞察です。

6. 現代の視点から見たトクヴィル

トクヴィルの観察は、19世紀の知的成果として今でも価値を持っています。 ただし、現代の価値観から見ると、いくつかの大きな問題も浮かびます。

トクヴィルの観察は、当時のアメリカの「平等な市民」の風景を見事に描きました。 ですが、その**「平等な市民」から誰が排除されていたか**を、私たちは現代の視点から問い直さなければなりません。

それでも、彼が提示した

──これらは、いまも生きている問題提起です。

7. インタビュー研究と、トクヴィル

TSIR がインタビューを通して聴く語りのなかにも、トクヴィル的な洞察が役立つ瞬間があります。

これらの語りは、デモクラシーが現代社会のなかでどんな手応えを持っているかを、生身の感覚として教えてくれます。 トクヴィルの問題提起を補助線にすると、こうした語りを、たんなる「最近の世相」ではなく、民主主義の構造的な問いとして読み直すことができます。

結び

トクヴィルの『アメリカのデモクラシー』は、200年近く前の本ですが、いまも私たちが民主主義を考えるとき、最初に手に取りたい本のひとつです。

平等な市民、自発的結社、政教分離──。 そして、それと表裏一体にある、世論の専制、多数派の暴走、知的自由の欠如のリスク。

このふたつの面を同時に見続けることが、デモクラシーを大切にすることの意味だと、私は思っています。

参考資料

【執筆:吉岡詩織 / 編集:qbc(栗林康弘)】

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