はじめに

「みんなはどう思っているんだろう」──。 私たちは日常的に、漠然と「みんな」のことを考えます。

ですが、この「みんな」が指している像は、人によって違います。 コンビニのレジで偶然並んでいる人たち? ニュースを見ている世帯主たち? SNSの投稿者たち? それとも、議論し合意を作っていく主体としての市民たち?

社会学はこの「みんな」を、いくつかの異なる概念で精密に区別してきました。 今回取り上げるのは、その代表的な対概念──大衆(mass)と公衆(public)です。

1. 公衆とは何か

公衆は、ひとことでいえば、

近代市民社会において、社会的な争点を討議し世論を形成する主体として想定された理念的な概念。

を指します(吉岡のノートより)。

ポイントは「理念的」という言葉です。 公衆は、現実にそのままの形で存在しているというより、近代民主主義が想定している主体のイメージです。

教養と財産を持ち、新聞や本を読み、世の中のことに関心を持ち、議論に参加し、世論を形成していく──。 この能動的な存在を、公衆と呼びます。

2. タルドの公衆 ──「広大な地域にばら撒かれた読者たち」

公衆の概念をはっきり整理したのが、フランスの社会学者ガブリエル・タルド(Gabriel Tarde)です。 1901年の著作『世論と群集』のなかで、彼は公衆と群集を明確に区別しました。

タルドの言う公衆は、

教養と財産を持つ新聞の読者。広大な地域にばら撒かれ、めいめいの家で同じ新聞を読みながら座っている人。

──物理的に同じ場所にいなくても、新聞という媒体を通じて同じ問題を考えている人々。 これがタルドの公衆像でした。

これに対して、群集(crowd)は物理的に同じ場所に集まって熱気で動く人々。 公衆は、空間的に分散しながらも、メディアで結ばれている、より抽象的で理性的な存在として描かれました。

3. ハーバーマスと公共圏

20世紀後半、ドイツの社会学者ユルゲン・ハーバーマスは、1962年の『公共性の構造転換』のなかで、この公衆という存在を公共圏(public sphere/→ #18)の議論に接続しました。

ハーバーマスによれば、18世紀のヨーロッパでは、コーヒーハウスやサロンに集まった市民たちが、合理的な議論を通じて世論を作り出していた。 これが「市民的公共性」であり、その主体が公衆です。

ところが20世紀になると、市民的公共性は徐々に崩れていく。 公衆は、能動的に議論する人々から、メディアに動員される受動的な大衆へと変質していった、というのがハーバーマスの診断です。

4. 大衆とは何か

では、大衆とは何でしょうか。

ハーバーマスやボードリヤールの議論を整理すると、おおむねこう描けます。

公衆は、コミュニティのことまで考え、世論形成に参加していく能動性を持った存在。 大衆は、自分の生活で精一杯で、メディアや消費に受動的に流される存在。

もちろん、これは理念型(*1)です。 現実の人々は、ある場面では公衆として振る舞い、別の場面では大衆として振る舞います。 ですが、社会全体としてどちらの比重が高くなっているかは、その時代の民主主義の質を映し出す鏡になります。

(*1) 理念型:マックス・ウェーバーが用いた、現実を分析するための純粋化された概念モデル

5. 知識人と公衆 ──ハーバーマスの問題意識

ハーバーマスはこの議論のなかで、知識人の役割についても触れています。

知識人は、本来、公衆に入り込み、議論を活性化させる存在であるべきだ、と。 ですが、現代の研究者の多くは、査読論文を書いてポストに就くだけの知識労働者になってしまっている──そんな批判です。

研究者は、学界の内側だけで議論するのではなく、社会に開かれた公衆の議論にもコミットすべきだ。 これがハーバーマスの問題提起でした。

TSIR が、研究の知見を学術誌だけでなく、note、講演、ウェブサイトを通じて社会に開いていこうとしているのも、この問題意識と地続きにあります。

6. インタビュー研究と、大衆/公衆

TSIR がインタビューを通して聴く語りのなかにも、語り手が「みんな」をどう想像しているかは、しばしば顔を出します。

ひとりの語り手のなかにも、両方の「みんな」像が同居していることが多い。 そして、その人が自分自身をどちらに位置づけているかが、語りの底に流れています。

私たちは、自分を公衆だと思いたい。 ですが、ニュースに流され、SNSの空気に動かされ、自分の生活に追われる場面もある。 その揺れを丁寧に聴くことが、現代社会の手応えを掴むことにつながります。

結び

「みんな」と言うとき、その「みんな」が大衆なのか公衆なのかを意識すること。 これは、ニュースを読むときにも、自分の発言を組み立てるときにも、効いてくる補助線です。

タルドからハーバーマスへと受け継がれてきたこの議論は、SNS時代の今こそ、もう一度向き合うべきテーマだと思います。

参考資料

【執筆:吉岡詩織 / 編集:qbc(栗林康弘)】

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