はじめに
ヒップホップ、アイドル文化、サブカル、ファッション誌、SNSのミーム──。 私たちの周りに溢れる「文化」は、ただの娯楽でしょうか。 それとも、もっと深く、社会の力学を反映するものでしょうか。
この問いに、徹底して向き合ってきた研究領域が、カルチュラルスタディーズ(cultural studies)です。
1. カルチュラルスタディーズとは何か
カルチュラルスタディーズは、ひとことでいえば、
旧来のマルクス主義のアプローチを乗り越えるべく、フランス構造主義やグラムシの政治理論などを批判的に摂取して、現代の社会文化の横断的な分析を志向する研究・文化行動。
を指します(吉岡のノートより)。
ひとつの「学問分野」というよりは、文化を政治・経済・歴史の文脈のなかで読み直そうとする、運動的な研究姿勢です。
2. 1960〜70年代イギリスで生まれた背景
カルチュラルスタディーズは、1960〜70年代のイギリスで生まれました。 その背景には、当時のイギリス社会が直面していた三つの大きな変化があります。
ひとつ目は、産業構造の変化。 重工業中心の経済から、サービス業や情報産業へと、産業の重心が動いていく。 労働者階級の生活と意識が、大きく揺れ動いた時代でした。
ふたつ目は、それに対応した移民の増加。 旧植民地からの移民が増え、イギリス社会の文化的構成が多様になっていく。 人種、エスニシティ、文化の重層が、社会の表面に浮かび上がってきました。
三つ目は、消費社会化に伴う、労働者階級の意識の変化。 労働者は、生産者であるだけでなく、消費者でもある。 テレビ、雑誌、ファッション、音楽──こうした文化を通じて、労働者階級の意識は変わっていきました。
こうした変化を背景に、文化を「ただの作品解釈や批評」に留めず、政治的文脈・経済的文脈と関連づけながら、文化の生産・消費過程全体を分析するアプローチが立ち上がっていきます。
3. 主要な人物たち
カルチュラルスタディーズの先駆的な研究者として、よく挙げられるのは次の人々です。
- レイモンド・ウィリアムズ(Raymond Williams):『文化と社会』(1958)、『文化とは』(1981)。労働者階級の文化を真剣な研究対象に据えた
- リチャード・ホガート(Richard Hoggart):『読み書き能力の効用』(1958)。労働者階級のなかの「読むこと」「書くこと」を丁寧に記述
- スチュアート・ホール(Stuart Hall):バーミンガム大学現代文化研究所(CCCS)の中心人物。サブカルチャーやエスニシティ、メディアの研究を主導
特にスチュアート・ホールが率いたバーミンガム学派(CCCS)が、カルチュラルスタディーズを国際的に広めていく原動力になりました。
4. 何を、どう分析するのか
カルチュラルスタディーズの研究対象は、極めて幅広い。
- ポピュラー音楽、テレビ番組、映画、漫画
- 雑誌、広告、ファッション
- 移民やマイノリティの文化
- サブカルチャー(パンク、ロック、ヒップホップ)
- 大衆文化全般
- メディアと権力
これらを、たんなる「文化批評」として論じるのではなく、
- どんな社会的文脈のなかで生み出されているか(生産の側)
- どんな社会層に、どう消費されているか(消費の側)
- そこに、どんな権力関係・支配構造・対抗関係が現れているか
──といった文脈で分析する。 グラムシのヘゲモニー論や、フランス構造主義の記号分析を取り入れながら、「文化」と「政治」を切り離さずに考える姿勢が、カルチュラルスタディーズの核です。
5. 80年代以降のグローバル展開
1980年代以降、カルチュラルスタディーズはイギリスを越えて、アメリカ、オーストラリア、アジア各国へと広がっていきます。
- グローバリゼーション
- ポストコロニアル状況
- ジェンダー、セクシュアリティ
- デジタルメディア、SNS
──こうした新しいテーマを取り込みながら、複雑化した現代の文化経験と、アイデンティティの変容を扱う研究領域へと展開していきました。
日本でも、上野俊哉、毛利嘉孝などのカルチュラルスタディーズ研究者がいて、日本のポピュラー文化やサブカルチャーを政治経済の文脈で読み直す試みが続いています。
6. インタビュー研究と、カルチュラルスタディーズ
TNN がインタビューを通して聴く語りのなかにも、カルチュラルスタディーズ的な視点が役立つ瞬間があります。
- 「あの時代に流行っていたものに、いま思うと自分は強く影響されていた」
- 「特定のジャンルの音楽が、自分の世代の友人関係を形作っていた」
- 「外国の文化を消費することで、地元では言えなかった自分を発見した」
- 「SNSで流通している言葉が、いつのまにか自分の語彙になっていた」
これらの語りは、文化が個人の経験を通り抜けていくものではなく、個人の人生を形作るものであることを示しています。 カルチュラルスタディーズの補助線を持っていると、「単なる趣味の話」として聴いてしまうところを、社会・経済・歴史の文脈と結びつけて読むことができます。
結び
カルチュラルスタディーズは、文化を「高尚なもの」と「下らないもの」に分ける旧来の文化批評を乗り越えて、すべての文化を社会のなかで読み直そうとする運動でした。
私たちが日々消費している音楽、映像、SNSのコンテンツも、たんなる娯楽ではなく、社会の力学を反映し、また形作っているものでもあります。 そのことを意識する習慣をつけると、文化との付き合い方が、少し違ってきます。
参考資料
- レイモンド・ウィリアムズ『文化と社会』(1958)
- リチャード・ホガート『読み書き能力の効用』(1958)
- スチュアート・ホール(バーミンガム学派の諸論文)
- 吉岡詩織の社会学用語ノート「カルチュラルスタディーズ」
- 関連:送り手・受け手研究(#44)
【執筆:吉岡詩織 / 編集:qbc(栗林康弘)】