インタビューの要約

1. 30年かけて、「本来の自分」へ

遊星さんは30歳の看護師さんです。1年前にフルタイムを離れ、いまは週3日の非常勤で働きながら、創作の道を模索されています。語りの入口は、お母様との関係でした。好きなものを否定される、目的を持ってやった行動を茶化される。そういう「かみ合わなさ」の中で育ち、大人になってからも生きること自体がしんどい時期が続いたといいます。

本当にもうこの一年とかぐらいで、すっごい生きているのが楽になったんですよね。(中略)本来の自分で生きるのに約30年ぐらいかかったっていうのが、個人的にそういうのを実感したというか。
(遊星さんの言葉、note記事より)

無名人インタビューを6年やってきて、「親との関係をほどく」語りには何度も出会ってきました。遊星さんの語りで特徴的だと感じたのは、そのほどきの作業が終わったあとに、子どもの話が置かれている順番です。「母親に育てられた自分」ではなく「本来の自分」として、子どもをどう考えるか。前提の整地から始まっているのです。

2. 「いつまでに」という考え方への抵抗

子どもを持ちたいか、持ちたくないか。遊星さんの答えは「まだわからない」でした。ただ、その「わからない」は迷いというより、明確な構えでした。

いつまでに産まないといけないとか、こうしないとこうならないんじゃないかみたいな考え方をしてるの自体ちょっと不健全だなって。(中略)個人的には流れに身を任せていたいんですよね。

妊娠・出産は、いまの社会では年齢とスケジュールの言葉で語られがちです。妊活、ライフプラン、タイムリミット。遊星さんはその「計画」の枠組みそのものを降りる、と言っている。標準的な人生の時刻表──社会学でいうライフコース──から意識的に降車する語りとして、私は読みました。

3. 子どもは「他人」である

私がこのインタビューでいちばん長く考えたのは、この一節です。

私は、子供だとしても、他人というか、別の生き物だっていう風に認識してるので。自分だけではないけど、自分だけの判断で、それを他人に負わすのってすごい責任感が多いなっていうのはすごい思いまして。

子どもを「授かる」でも「作る」でもなく、「他人を発生させる」ことの責任として語る。この語彙の選び方に、遊星さんが30年かけて母親と自分を「別の生き物」として切り分けてきた作業が、そのまま反映されているように見えます。自分がされて苦しかったこと──他人の判断を負わされること──を、次の他人にしたくない、という筋の通し方です。念のための補足ですが、これは第三者である私の推測にすぎません。ただ、語りの中でこの二つが同じ言葉(「別の生き物」)で語られていることは、記録として指摘しておきたいと思います。

4. 種の絶滅すら「そういうもの」──引いた視線

後半、生殖技術や少子化の話題では、遊星さんの視線がすっと引きます。社会システムが生殖に「ブレーキをかけている」のは興味深い、と言い、こう続けます。

まあそれによっていつの間にか絶滅してもそういうもんなんだろうなって思いきりって感じです。

個人の「流れに身を任せる」と、種としての人間への「そういうもの」が、同じ距離感で並んでいる。一方で、子ども時代の地域の記憶──「全然知らんおじさんから大根育ててや」と言われるような横のつながり──を、自分は困っていないが子どもにとっては豊かだっただろう、と丁寧に拾ってもいます。自分の人生と、社会の構造とを行き来しながら話せる方でした。この往復運動は、ミルズが社会学的想像力と呼んだものに、かなり近いと思います。

遊星さん、接続トラブルにも根気強くお付き合いいただきながら、ここまで率直に言葉を重ねてくださって、ありがとうございました。創作の道、応援しています。

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note · 無名人インタビュー 遊星さん|子どもを持つ理由・持たない理由インタビュー

このコラムについて

遊星さんへのインタビュー(2026年07月05日公開/聞き手:吉岡詩織)を、編集・制作を担当した私(栗林/qbc)が読み返して書いたコラムです。「無名人インタビュー」を6年やってきた人間として、編集の側で読んで何が残ったかを書きました。

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【編集・制作:qbc / 無名人インタビュー】

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