はじめに
「もし、あのとき就職せずに大学院に行っていたら」 「もし、結婚せずに別の道を選んでいたら」 「もし、震災のときに別の場所にいたら」
私たちは時々、自分の人生を「もし別の選択をしていたら」という仮定で振り返ります。 こうした振り返りには、自分の人生が社会的なものに方向づけられているという感覚が、漠然と含まれています。
社会学はこの感覚を、ライフコース(life course)という言葉で精密に扱ってきました。
1. ライフコースとは何か
ライフコースは、ひとことでいえば、
個人が年齢別の役割や出来事を経つつ辿る行路。
を指します(吉岡のノートより)。
もう少し広く言うなら、誕生から死に至るまで、人がさまざまな社会的経験を重ねていく、その一連の、社会的に構造化された過程のことです。
ポイントは「社会的に構造化された」というところ。 人生は、ばらばらの出来事の連なりではなく、ある程度、社会の制度や規範によって枠づけられた経路として進んでいきます。 就学、就職、結婚、出産、転職、退職、看取り──。これらの標準的なタイミング自体が、社会的に決まっています。
2. ライフサイクル論との違い
ライフコース論によく似たことばに、ライフサイクル(life cycle)があります。 このふたつは、似ているようで、視座が違います。
ライフサイクルは、生物学的な加齢に注目した概念です。 言語の習得、第二次性徴、更年期、老化──。 これら生物学的に規定された変化のうえに、家族形成、育児などの規則的な変化を重ねていく。 こうした、誰にとっても比較的共通する人生段階を扱うのが、ライフサイクル論です。
一方、ライフコース論は、もう少し広い視野を取ります。 ライフサイクルが想定する「平均的な人生」だけではなく、ひとりひとりの個別性や、歴史的な変化を取り込もうとする。 社会的なパターンと個人の生活を結びつけて説明しようとする、より柔らかい枠組みです。
3. ライフコース分析の二つの視点
ライフコース分析には、よく使われるふたつの補助線があります。
ひとつ目は、コーホート効果。 コーホートとは、同じ年に生まれた人たちのグループ。たとえば「団塊の世代」「就職氷河期世代」「Z世代」など。 同じコーホートに属する人々は、ある歴史的事件や社会状況を同じ年齢で経験しているので、人生の軌跡に共通する特徴を持ちやすい。 このコーホートの違いに注目することで、世代を超えた共通性と差異が見えてきます。
ふたつ目は、歴史効果。 バブル崩壊、リーマンショック、東日本大震災、コロナ禍──。 これらの大きな出来事が、その時に何歳だったかによって、人生に与える影響の質が違ってきます。 就職活動の最中だったか、子育て中だったか、引退後だったかで、同じ出来事の重みはまったく違う。
ライフコース分析は、こうした家族・職業・健康など、相互依存する複数のキャリアの集合として個人の人生を捉えていきます。
4. ライフコース研究の方法
ライフコース研究は、長期にわたるデータを必要とします。
- 縦断調査(パネル調査):同じ人を長期間にわたって追跡する
- 回顧的調査:高齢者などに、これまでの人生を振り返ってもらう
- ライフヒストリー法:ひとりの語りを通じて、生涯にわたる経験を聴き取る(→ #03 ライフヒストリー法)
Tapi在野研究ネットワークが大切にしているライフヒストリーのインタビューは、このうち三つ目に位置づけられます。 ひとりの人生の流れのなかに、家族、仕事、地域、時代がどう絡み合っているかを聴く。 このプロセスは、まさにライフコース論の問題関心と重なります。
5. インタビュー研究と、ライフコース
Tapi在野研究ネットワークがインタビューを通じて聴く語りのなかには、ライフコース的な視点で読み直すと、より深く理解できる部分がたくさんあります。
- 「あの就職氷河期に社会に出たので」(コーホート効果)
- 「子どもが小さい時期に夫が転勤になって」(複数キャリアの相互依存)
- 「震災で人生観が変わった」(歴史効果)
- 「介護と仕事の両立が始まったのが、思ったより早かった」(タイミングのずれ)
これらの語りは、たんなる個人の出来事の列挙ではなく、社会と時代に編み込まれた人生の軌跡として読むことができます。 ライフコースの補助線があると、ひとりの語りが、ぐっと立体的に立ち上がってきます。
結び
「人生」は、個人のものでありながら、同時に社会的に構造化されたものでもあります。
ライフコースの視点は、この二つの側面を同時に見るための補助線です。 自分の人生を振り返るときも、誰かの人生を聴くときも、「あの時の社会のなかで、その人がどんな位置にいたか」を一緒に考えると、見えてくるものが大きく変わります。
Tapi在野研究ネットワーク のインタビューが目指しているのは、こうした立体的な聴き方そのものだと、私は思っています。
参考資料
- ライフコース論(Glen H. Elder Jr.以降の蓄積)
- 吉岡詩織の社会学用語ノート「ライフコース」
- 関連:ライフヒストリー法(#03)、存在拘束性(#15)
【執筆:吉岡詩織 / 編集:qbc(栗林康弘)】