インタビューの要約

1. 「親に対する答え」としての子ども

子どもを持った理由を聞かれて、ポンプさんはこう答えています。

一旦自分の子供がいる意味っていうのは、すごい子供には申し訳ないのかもしれないですけど、僕の親に対するお礼というか。僕がいるっていう存在意義というか、そういうシンボルに子供っていうのがなっているのが、僕がざっくり感じている子供に対する僕の考え方。
(ポンプさんの言葉、note記事より)

子どもを持つ理由が、未来(子ども自身)ではなく、過去(親)に向いています。もらったものを、次の存在で返す。

親に恩返しとして孫を、という発想そのものは、めずらしくないのかもしれません。でも、それを「子どもには申し訳ないのかもしれないですけど」という留保つきで、ここまで正面から言葉にする人には、6年インタビューの現場にいても、なかなか会えません。

2. 死生観が固まらないまま、持つ

死ぬっていうことに対する覚悟も、まだ僕はちゃんとできていないような気がするので、そんな状態で子供を持つっていうのってあまりに無責任だろって言われたら、僕はそう思いますし。

準備ができてから持つべきだ、という考えを、誰よりも先に、自分で自分に向けています。その上で、持った。そして「これから残った時間で、子供に対して表現というか説明できればいい」と引き受けています。

答えが出てから動くのではなく、動いてから答えを育てる。そういう順番の生き方です。

いま、上のお子さんには死への怖さが生まれていて、「たまに、今死なないかどうかを確かめに来る」のだといいます。ポンプさんは「そのうち死ぬけど今は死なない」では納得してもらえず、「とりあえず死なない」と言っている。親の死生観が問われる現場が、もう始まっているのです。

3. 後悔について──「それがないと生き生きしない」

子どもを持った選択が後悔につながる可能性を考えることはあるか。定番の質問への答えが、このインタビューでいちばん意表を突かれたところでした。

あるんじゃないですかね。それがないと生き生きしない気もしますね。

後悔の可能性を、否定するのでも、怖がるのでもなく、生活の張りの一部として置いてしまう。無名人インタビューで後悔について何百回と聞いてきましたが、この置き方をする人は少数派です。

独身だったら「もうちょっと僕は自分の死生観に対して探求する時間が多かっただろう」とも語っています。選ばなかった人生を消さずに、横に置いたまま、いまの人生を生きている感じがします。

4. 包丁の記憶と、死後の六人

ポンプさんの育った家は、祖父母・両親・妹の六人家族でした。祖父と祖母、祖父と母の仲が悪く、喧嘩のあいだに入るのは子どもたち。祖母が包丁を持ち出した夜、泣きながら止めたのは、その場に一人でいたポンプさんだったといいます。

それでも、と言うべきか、だからこそ、と言うべきか。ポンプさんは家族について「僕はものすごい好きで」と言います。子どもの頃は、死後の世界を「ずっと六人の家族でずっと暮らすイメージ」で思い描いていたそうです。

いびつさと愛着が、同じ家の記憶の中に同居している。ポンプさんの死生観の源は、このあたりにあるのではないかと感じました。ただ、これは第三者の推測にすぎません。幼くして祖父母の死を看取った怖さの記憶と、この「死後の六人」のイメージが、同じ語りの中に並んでいたこと。それだけは、記録しておきたいと思います。

ポンプさん、帰省先から長時間、哲学の雑談まで含めてお付き合いくださって、ありがとうございました。

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note · 無名人インタビュー ポンプさん|子どもを持つ理由・持たない理由インタビュー

このコラムについて

ポンプさんへのインタビュー(2026年07月03日公開/聞き手:吉岡詩織)を、編集・制作を担当した私(栗林/qbc)が読み返して書いたコラムです。「無名人インタビュー」を6年やってきた人間として、編集の側で読んで何が残ったかを書きました。

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無名人インタビュー主宰 栗林康弘/qbc

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