インタビューの要約
- インタビュイーは社会福祉法人で働くことこさん。既婚で、子どもはできなかった。いまは保護犬と暮らしている
- 「結婚したら子どもができるもの」という前提が崩れたとき、「じゃあ、できない私って何だろう」という問いが残った
- 独身のおば、結婚したが子のいないおば、祖母の養子だった母──多様な家族モデルの中で育ったのに、「結婚=子ども」を内面化していた
- 一時期の「子どもが欲しい」という気持ちの中身を、本心か、親の期待や「当たり前」かとほどいていく
- 「子どもを育てる=次世代につなぐ=社会貢献」の役割を、福祉の仕事と保護犬に見出し直している
1. 「結婚したら、できるものだと思っていた」
ことこさんは、学生時代から長く付き合った人と結婚しました。子どもを強く望んでいたわけではありません。それでも、結婚したらできるものだよね、と自然に思っていた。
できなかったとき、残ったのは、悲しみというより「位置のわからなさ」だったようです。
やっぱり自分も子どもができるものだと思っていて、やっぱり周りも、友達もそうですし、職場とかでも、結婚したらみんな子どもができていくのって、ああ、やっぱりそうだよねみたいなところはあって、でも、じゃあできない私って何だろうとかいうのはあったりしました。
(ことこさんの言葉、note記事より)
欲しかったのに、いない。そうではないのです。当たり前だと思っていたことが、自分には起きなかった。望みの強さよりも、みんなと同じでないことのほうが、重かった。
職場で「次は子どもだね」と言われるたびに、その「当たり前」は強くなっていったといいます。
2. モデルは周りにあったのに
ことこさんの親族には、いろいろな家族の形がありました。
独身で自由に暮らすおばさんがいた。結婚したけれど、子どものいないおばさんもいた。お祖母さんは子どもを持てない体で、ことこさんのお母さんを養子に迎えた。つまり、お母さん自身が養子なのです。
いろんな人が多分周りにはいたので、私自身もそこまで子どもが絶対いなければいけないとかは思ってなかったはずなんですけど、でも実際自分が結婚をしてみたら、(中略)じゃあやっぱり子どもができるものだって勝手に思っていたり。
ここが、このインタビューでいちばん考えさせられたところでした。
いろんな家族がある、と知っていること。その「当たり前」から自由でいられること。このふたつは、別なのです。当たり前というのは、レシピを読むことと、味を覚えていることの違いに似ています。頭で知っていても、体はいつもの味に手が伸びる。ことこさんの語りは、それをはっきり示しています。
3. 「欲しい」の中身をほどく
一時期すごく子どもが欲しいとかって思ったところには、私の本心というよりも、やっぱり、色々社会的なところとか、親の期待とか、当たり前とか、そういうところがあったのかなとは思っていて。
自分の「欲しい」のうち、どこまでが自分のもので、どこからが借り物なのか。
簡単に答えの出る問いではありません。ことこさんも断定しません。「あったのかなとは思っていて」という保留のまま、語っています。
いまは「結果的に、子どもがいなくて良かったな」という実感と、「本当の本当は、いなくてもいいと思っていたと思う」という推定を、両方持って暮らしている。曖昧なものを、曖昧なまま引き受ける。誠実さの、ひとつの形だと思います。
4. 役割を、別の場所で果たす
ことこさんは子どもの頃から正義感が強くて、人のために何かしたい、と社会福祉の仕事を選びました。いまは、保護犬と暮らしています。
子どもを育てる役割ができなかったみたいなところを、やっぱり犬は、保護なんですけど、やっぱりそこもちょっと社会貢献というか入ってるのかなとは思います。
次の世代につなぐ、という役割を、血のつながりの外で果たし直す。福祉の仕事で。保護犬を迎えることで。
役割に苦しんだ人が、役割そのものを捨てるのではなく、果たし方を自分で設計し直しています。きれいごとではなくて、ことこさんが実際に暮らしている形です。
本編の終盤では、吉岡さんが次に温めている「ペットを飼う理由・飼わない理由」の話に、ことこさんの保護犬の話が自然につながっていきます。続きは、ぜひ本編で。
ことこさん、気持ちの層を一枚ずつ、丁寧に言葉にしてくださって、ありがとうございました。
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このコラムについて
ことこさんへのインタビュー(2026年05月22日公開/聞き手:吉岡詩織)を、編集・制作を担当した私(栗林/qbc)が読み返して書いたコラムです。「無名人インタビュー」を6年やってきた人間として、編集の側で読んで何が残ったかを書きました。
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無名人インタビュー主宰 栗林康弘/qbc
