はじめに
「お母さんなんだから」 「長男なんだから」 「会社員なんだから」
──私たちは日常のなかで、こんな言い回しで誰かを促したり、自分を縛ったりすることがあります。 そのとき、私たちが暗黙のうちに使っている社会学的な仕組みがあります。
それが、今回取り上げる役割期待(role expectation)です。
1. 役割期待とは何か
役割期待は、ひとことでいえば、
集団や社会のある地位を占める個人が、それを遂行するよう他者によって期待される行為のパターン。
を指します(吉岡のノートより)。
たとえば「教師」という地位を占めている人には、生徒や保護者や同僚から、特定の振る舞い方が期待されます。「親」「会社員」「学生」「町内会長」──どの地位にも、それに付随する期待が貼り付いています。
私たちは、そういう「地位に適合する行為様式」を、生まれてからのさまざまな経験のなかで学習しています。 それによって、自己にふさわしい行為を認識すると同時に、他者の行為を予測することが可能になる。 これが役割期待です。
2. 提唱者の系譜
役割期待をめぐる議論は、複数の社会学者の仕事を経て体系化されました。
- ラルフ・リントン:社会構造からの役割期待と、その社会化や機能に注目し、地位と役割という基本概念を提示
- タルコット・パーソンズ:役割期待は相互的に補完しあう(期待の相補性)と指摘
- アーヴィング・ゴフマン:役割理論の全般的な体系化を進め、日常生活を演劇のメタファーで解読
それぞれ角度は違いますが、共通するのは、社会のなかの「地位」と、それに伴って期待される「振る舞い」がセットになっている、という見方です。
3. サンクション:期待が強制力をもつ仕組み
役割期待が、ただの「ふんわりした空気」ではなく、実際に私たちを縛る力をもつのはなぜか。 ここに登場するのが、サンクション(sanction、制裁)という概念です。
私たちが何かをしたとき、他者から返ってくる反応──称賛・受容・非難・拒絶など──は、人間の達成感や成功感、充足感に強く作用します。 言い換えると、社会のなかの相互作用のなかで、役割期待は、サンクションを伴いながら伝達されることで初めて強制力をもつ、ということです。
「お母さんなんだから」という言葉は、それ自体が承認・非難のサンクションを含んでいます。 役割期待は規範に浸透し、社会統制の重要な部分を担っている、というのが古典的な見立てです。
4. インタビュー研究と、役割期待
Tapi在野研究ネットワークが聴いてきた語りのなかには、役割期待の話題が、いろいろな形で顔を出します。
- 「親としての役目を果たさないと」
- 「長男だから継がないといけない」
- 「男だから強くいないと」
- 「会社員としてはそういうことを言うべきじゃない」
これらは、すべて「地位×期待」のセットです。 語り手は、これらの期待に従ったり、抗ったり、ずらしたり、新しく書き直したりしながら、自分の人生を編んでいます。
社会学的にインタビューするとき、私たちは語り手の言葉を、
- どの地位に基づく期待を引き受けているのか
- その期待にどう応えようとしているのか
- 応えきれない部分をどう抱えているのか
という補助線で読むことができます。役割期待は、その読み解きの道具です。
5. 役割期待の窮屈さと、変えていく可能性
役割期待は、ふだんの社会を成り立たせている重要な仕組みです。 ですが、それが強すぎるとき、人を息苦しくもする。 向山さんへのインタビューで触れた「夢は変わってもいい」というメッセージも、子どもに対する役割期待を緩める言葉のひとつでした。
社会的な役割期待は、不変ではありません。時代とともに、地域によって、世代によって、緩やかに書き換わっていきます。 インタビュー研究は、その書き換えのプロセスを、ひとりひとりの語りのなかから読み取る作業でもあります。
結び
役割期待は、私たちが「いつのまにか引き受けている」社会との接点の言葉です。
その期待を、引き受けるのか、ずらすのか、書き換えるのか。 それは個人の心の問題であると同時に、社会のあり方の問題でもあります。
Tapi在野研究ネットワークがインタビューを通じて見ようとしているのは、まさにそのあいだの動きです。
参考資料
- ラルフ・リントン、タルコット・パーソンズ、アーヴィング・ゴフマンによる役割論の諸著作
- 吉岡詩織の社会学用語ノート「役割期待」
- コトバンク「役割期待」
【執筆:吉岡詩織 / 編集:qbc(栗林康弘)】