インタビューの要約
- インタビュイーは、東京都の公立小中学校・高校を巡回する心理士、つるたまさん。子どもとは直接ほぼ話さず、観察と検査データから「この子にとって世界はこう見えている」を先生の言葉に翻訳する
- 具体的な技術のひとつが「名前を呼んでから、もう一度言ってあげてください」。一斉指示に、その子への指示を足す
- 「暴れる子には先生が総出で向き合う。静かに困っている子には、誰も気づかない」──透明人間のように過ごす子が見過ごされていく構造
- PTA活動からのスカウト、公認心理師の国家資格化という偶然を乗り継いで、いまの仕事にたどり着いた
- 「どの人の中にもスペクトラムはある」。年齢とともに現れた自分の中の特性に、自分で驚きながら向き合っている
1. 「見えている世界」を翻訳する仕事
つるたまさんは月に数回、学校を巡回します。子どもたちからは「たまにうろうろしてる人」。教室の後ろから観察し、検査データを読み、先生にこう伝えます。「多分この子にとって、世界はこういうふうに見えているから、指示の出し方はこうした方がいいですよ」。
これは、社会学でいう「状況の定義」の実務版だと私は思いました。同じ教室にいても、見えている世界は一人ひとり違う。「怠けている」という先生側の定義を、「耳からの情報が断片的にしかキャッチできない」という子ども側の現実に置き換える。定義が変われば、対応が変わる。「名前を呼んでから、もう一度」という具体的な処方は、その翻訳の成果物です。
2. 静かに困っている子
暴れる子には先生たちが総出で対応するんですよ。「この子はこの先生の言うことしか聞かないな」って、先生同士で考えて対応してくれる。でも、静かに困っている子たちは、なかなか気づいてもらえない。
(つるたまさんの言葉、note記事より)
支援のリソースは、音の大きい困りごとに引き寄せられる。行事の練習の時だけ保健室にいる子、ノートを取っているふりをする子、張りつめた顔で登校してくる子。「何か一つでも『学校に通って楽しい』っていうものがある子なら、あまり心配しない」という判定基準の実践知と、「一番大変なのは中学校」という指摘(教科担任制になり、その子を総合的に見る大人が消える)は、保護者にも先生にも役に立つ整理だと思います。
3. 自分の中のスペクトラム
つるたまさんは、この仕事を続けるほど「自分の中のADHD的な部分やASD的な部分」に気づくといいます。年齢とともに現れた譲れなさ、流せなさに「何これ?」と自分で驚く。締め切りを先延ばしにする自分に「あ、これは中学生のみんなが課題の締め切りを超過するやつだ」と発見する。
「できない」って言っている子を見て、「分かる、分かる。そのモードの時、本当にできないよね」って身体で分かる。
支援する側とされる側を分ける線が、実は薄いこと。「どの人の中にもスペクトラムはある」という視点は、診断の有無で人を二分する世界の見方への、静かな対案です。
4. エピローグ──たぶ先生自身の話として
この記事の最後に、聞き手のたぶ先生自身の告白が置かれています。会社を辞めて独立を考えていること。「学校は行けたら行ったほうがいい。でも行けないんだったら、行かなくても生きていく道はちゃんとあります」と子どもたちに伝えてきた言葉が、あるとき自分に返ってきたこと。
このインタビューシリーズ(TABU-01)は、支援の現場を取材する企画であると同時に、たぶ先生自身が自分の働き方を問い直していく記録にもなっています。編集として、そこも含めて読んでいただきたい一本です。つるたまさんの仙台での相談室の話も含め、全文はnote本編でどうぞ。
全文をnoteで読む
このコラムについて
つるたまさんへのインタビュー(2026年03月21日公開/聞き手:たぶ先生)を、編集・制作を担当した私(栗林/qbc)が読み返して書いたコラムです。「無名人インタビュー」を6年やってきた人間として、編集の側で読んで何が残ったかを書きました。
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【編集・制作:qbc / 無名人インタビュー】