インタビューの要約
- インタビュイーはデジタルイラスト・アニメーション制作をするらぐすけさん。元アニメーターで、現在はB型事業所に通いながら制作している
- タイトなスケジュールと低単価でアニメーターを挫折し、うつ病と自閉症スペクトラムの診断を受けた
- 創作の原点は、小学校の図工で何気なく描いた蝶の絵が美術館に展示された記憶
- いまはAfter Effectsでうつをテーマにしたアニメーションを制作中。冒頭に視聴をやめる自由を明記している
- 作品で届けたいのは、「障害を持っていても、自分自身を大切にしながらでも生きていくことができる」ということ
1. アニメーターの挫折から、自分に合う場所探しへ
らぐすけさんは20代前半でアニメーターになりました。しかし何度修正しても1枚分の単価しか出ない仕事と、あまりにタイトなスケジュールに心身が耐えられなくなり、挫折。受けた診断はうつ病と自閉症スペクトラムでした。その後の就労移行支援は「2年以内に就職」というプレッシャーが合わず、最初のB型事業所の作業内容も「私にはいまいち」。そこで終わらないのが、らぐすけさんの語りの芯です。
私なりに自分に合う事業所って何だろうなって考えて探してた時に、デジタルイラストや動画編集やLive2Dが学べる事業所が開設したという情報が入ってきて、これは私向きかもしれないって思って。
(らぐすけさんの言葉、note記事より)
与えられた選択肢に合わせるのではなく、自分に合う場所を探して移る。その結果、かつて自分を壊した技術(絵とアニメーション)と、壊されない条件で再会している。この経路は、支援制度を「使いこなした」記録としても読めます。
2. 蝶の絵の記憶
創作の原点として語られたのが、小学校の図工の授業で何気なく描いた蝶の絵が、美術館に展示されて賞をもらった記憶です。母と見に行って、子ども心に嬉しかった。ただ、らぐすけさんはその記憶を美談で終わらせません。
そもそも蝶の絵だって賞を取るために描いていたかってなると、答えは全然違うなって感じ始めて、何も考えずに楽しくやっていたなって振り返ってみると。それで、その楽しさっていうのを少しばかり思い出して。
いまも障害者アートの展示に参加し、来場者の評判で賞をもらうことがある。「私も最初から賞を取りたくて描いていたわけでもないので、こうしてみると、根本ちょっと変わらないのかなって」。賞は結果として来ることがある、ただし動機は最初から楽しさの側にある──この整理は、松江さんの「その人自身が満足すれば、もうその時点でいい」とも響き合います。
3. うつのアニメと、「視聴をやめる自由」
らぐすけさんはいま、After Effectsでうつをテーマにしたアニメーションを作っています。いちばん辛かった時期の気持ちを振り返る機会になっているそうです。そして、制作者としての判断に、私は編集の手が止まりました。参考にしたうつ関連書籍の冒頭に「今『底』にいる人は文字を読むだけで疲れるので、この本を今すぐ閉じてください」という注意書きがあったことに倣い、自作のアニメにも、いまどん底にいる人は視聴をやめることを勧める注意を入れている、というのです。
自分の作品を「見ないでいい」と最初に言う。届けたい気持ちと、受け手の状態への想像力を両立させた、作り手の倫理だと思います。当事者だからこそ書ける注意書きです。
4. 「大切にしながらでも、生きていける」
今は障害を持っていても、自分自身を大切にしながらでも生きていくことができますよっていうことを人に届けたいですね。
展示は体調と距離の問題で在廊できないことも多く、名刺を1枚でも受け取ってもらえたら嬉しい、という規模感で語られる活動です。けれど、届けたいものの輪郭はこの上なくはっきりしている。インタビュー全体は、聞き手の吉岡さんとらぐすけさんが、診断や回復や「怖い動画ばかり見てしまう時期」の話を対等に交換し合う、静かな共鳴の記録にもなっています。らぐすけさん、土曜の朝から、まっすぐな言葉をありがとうございました。熊本の展示、無事に届きますように。
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このコラムについて
らぐすけさんへのインタビュー(2026年05月10日公開/聞き手:吉岡詩織)を、編集・制作を担当した私(栗林/qbc)が読み返して書いたコラムです。「無名人インタビュー」を6年やってきた人間として、編集の側で読んで何が残ったかを書きました。
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