研究している人、というと、大学の先生を思い浮かべます。

でも、そうじゃない人たちがいます。会社で働きながら、子どもを育てながら、それでも研究をしている人。したい人。そういう人たちを、野良研究者と呼ぶことにしました。野良の草と同じで、誰も水をやらないのに、生えてくるのです。

その野良研究者たちの集まりを、このあいだ始めました。名前は「Tapi's Nora Research」、略してTnR。Tapiというのは、社会学の研究をしている吉岡詩織さんの活動名です。

nだけ小文字なのは、野良猫のTNRと区別するためです。TNRとは、飼い主のいない猫を捕獲(Trap)し、不妊・去勢手術(Neuter)を施し、元の場所に戻す(Return)活動のこと。手術済みの猫には、印として耳先に小さなV字の切り込みを入れます。その形が桜の花びらに似ているので、さくら耳と呼ばれます。これ以上不幸な命を増やさず、地域で一代限りの命を全うさせるための取り組みです。野良どうし、まぎらわしいので、こちらはnを小さくしました。

7月のある平日の夜、Zoomで最初の顔合わせをしました。

集まったのは4人です。

社会学の研究者で、会社員で、一児の母の吉岡さん。児童福祉の現場で働きながら、発達障害のインタビューをnoteで発信しているたぶ先生。現役の学生のNさん。学生さんなので、名前や所属は伏せておきます。それから私。無名人インタビューという活動をしている栗林という者で、今年48になります。ほとんど50です。

最初に画面に現れたのは、Nさんでした。元々顔合わせを予定していた日には授業が長引いて、そのあとの読書会がもっと長引いて、夜まで本を読んでいたのだそうです。顔合わせをリスケしてもらったことを謝りながら、「一番暇なはずの学生の私が」と、本人が言っていました。

全然、暇じゃないのでした。

次に入ってきた吉岡さんの画面には、お子さんが映っていました。さっきまでお菓子をくれくれと言っていたらしい。会が始まったら、静かになりました。長い付き合いですが、Zoomの前にお子さんが現れたのは、初めて見ました。

授業が押す。子どもが画面に現れる。働きながら研究するというのは、たぶん、そういうことと一緒に進めるということなのです。

この4人が、初対面もいるのに、1時間半、ほぼ途切れずにしゃべりました。

たぶ先生の話がよかったです。会社員になったら、リーマンショックでリストラに遭った。「若手はリストラされへんから俺らの分まで頑張れよ」と先輩に言われた矢先だったそうです。若手正社員=無期限雇用でもリストラされる。それなら、やりたいことをやろう。自分が本当にやりたいことって何だろう? そう考えて、大学院に行きました。哲学者のハーバーマスで修士論文を書いて、博士課程まで進んだけど、研究者としては「芽が出なかった」と本人は言います。

いまは、発達障害のある子どもたちと出会って、児童福祉の現場で働いています。通勤電車では、ドイツ語の論文をAI翻訳で読んでいる。インタビューもしている。

「勉強しながら働いてたらこんな感じになりました」と、たぶ先生は言いました。

芽が出なかったのかどうか、私にはもう、わかりません。

吉岡さんは、大学院で統計を使った修士論文を書いた人です。でも、卒論も修論も「若干不完全燃焼だった」らしい。修士を終える頃にお子さんが生まれて、数字よりも、血の通った話が聞きたくなった。それがいまのインタビュー研究になっています。

Nさんは、研究の道に進むか、外に出るか、二択でさんざん悩んできた学生さんです。「二択で選ぶのがものすごく苦手で、いつも第三の道を探してしまう」と言っていました。この日いちばん、印象に残った言葉です。

白状すると、この日の私は、ほとんど仕事をしていません。ふだんは、場をつくって、問いを立てて、話を深くするのが私の役目です。この日は、放っておいても、話が勝手に深くなっていきました。

吉岡さんが「過去の自分がこんな難しい文章を書いてたことが信じられへん」と言うと、たぶ先生が「頭の中が『バブー』とか『ダー』ばっかりになるじゃないですか」と返す。赤ちゃんを育てていると、頭の中まで赤ちゃん語になって、難しい本が読めなくなる。二人は完全に通じ合っていて、私は横で笑っていました。

でも、たぶ先生はこうも言っていました。大学院時代に辞書にかじりついて翻訳したから、いまAI翻訳を使っても、おかしいところに何となく自分で気づける。「あの感覚はなくなってないなって思いますね」。

一度ぎゅっと集中して身につけたものは、ブランクがあっても、消えないらしいのです。子育て中の吉岡さんには、いい話だったんじゃないでしょうか。

TnRでこれから何をするかも、話しました。まずは、メンバー同士で30分くらいのミニインタビューを回してみます。テーマはなんでもいい。雑談になってもいい。

論文には、研究の結果しか載りません。でも、その周りには余白がたくさんあります。どうやって調査相手と知り合ったのか。研究とお金と生活を、どうやりくりしているのか。この夜、私がいちばん聞き入っていたのは、そういう話でした。そして、そういう話は、どこにも書かれていないのです。

Nさんが言っていました。進路で悩んでいたとき、ネットでいろんな人の経験談を読んだ。たった一人の経験談でも、「あるってことは、そうできるってことだ」と思えた。それが、踏み出す勇気になった、と。

この夜の三人の話も、ぜんぶ、たった一人ずつの経験談です。経験談は、標本に似ています。たとえ一匹でも、その虫が実在することの証明になる。リストラから大学院に行った人がいる。子どもが生まれて、聞きたいことが変わった人がいる。二択の外を探している学生がいる。

あるってことは、そうできるってことだ。

会の終わりに、私は「非常に楽しかったです」と言いました。

TnRは、分野を問わず、働きながら、暮らしながら、それでも研究的なことをやっている人、やりたい人に、ゆるく開いていくつもりです。気になった人は、続報を待っていてください。

無名人インタビュー主宰 栗林康弘/qbc

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