インタビューの要約
- インタビュイーは、不登校の子どもたちが集まる朝の支援教室を担当するなつ湖先生
- 週3日、午前中の3時間。5人の子どもたちと、個人学習・長めの休み時間・近況報告で過ごす
- 体育の先生なのに、教室で運動を強要しない。人生ゲームを延々と続ける日もある
- 「不登校の子をクラスに戻すことが、ゴールじゃない。その子自身が幸せなら、何でもいい」
- ご自身も、幼稚園で母の手を離せなかった人見知りの子どもだった
1. ゴールを置き換える
不登校の子をクラスに戻すことが、ゴールじゃないんですよ。その子自身が幸せなら、何でもいいなぁって。
(なつ湖先生の言葉、note記事より)
支援の成果を「復帰率」で測るなら、なつ湖先生の教室は測れません。ゴールを「クラス復帰」から「その子の幸せ」に置き換えるというのは、感傷ではなく、評価指標の変更です。指標が変われば、正しい手段も変わる。復帰がゴールなら、教室は仮の宿で、そこでの時間は「戻るための準備」に格下げされます。幸せがゴールなら、朝の3時間そのものが本番になる。同じ部屋で同じことをしていても、意味づけがまったく違ってきます。
そしてこの置き換えは、記事のタイトルどおり『その子自身が幸せなら、それでいい』と言い切る覚悟を要求します。世間の物差し──学校に行けているか──を手放して、その子固有の物差しに付き合うという覚悟です。
2. 「体育、体育してない」体育の先生
なつ湖先生は、サッカーとラクロスをやってきた体育の先生です。たぶ先生は当初、運動の力で子どもたちを元気にしたい先生なのだろうと予想して、外れます。教室で運動は強要しない。運動が嫌いな子も多いから、無理にはやらない。たまに「今日は卓球やるか」となる程度で、人生ゲームを延々と続ける日もある。
自分のいちばん得意な道具を、目の前の子のために使わない判断ができる。これは簡単なことではないと思います。支援の現場に限らず、人は自分の成功体験を他人に処方したくなるものです。運動で世界が広がった人ほど、「まず体を動かそう」と言いたくなる。その誘惑を退けて、卓球と人生ゲームの緩さの中に、個人学習と近況報告という骨格だけを通す。「何もさせない時間」が、実は設計されている教室です。
その骨格の中で、私が注目したのは「最後に近況報告」が毎回必ずあることです。緩い時間の終わりに、自分の言葉で近況を話す枠が定期的に用意されている。行かなくてもいいし、話さなくてもいい場所で、それでも語る枠だけは毎回ある。私たちがインタビューという営みで見てきたのは、語る場所が定期的にあるだけで人は少しずつ動き出す、ということでした。この教室の設計は、それと同じ原理で動いているように見えます。
3. 一言では言えない働き方の中の「一番好き」
なつ湖先生の肩書は、中高一貫校の支援教室担当、公立小中学校の体育講師、日本語教師、ラクロスのコーチ。一言では言えない働き方です。その中で「一番好きで楽しい」と即答するのが、母校のなかで立ち上がったこの支援教室の仕事だといいます。
そして、その原点として語られるのが、ご自身の来歴です。幼稚園ではお母さんの手を離せず、小学校では前に立って発表できなかった。「人見知りじゃなかったら、今の好きな自分にはなれていなかったかもしれない」。小学3年生でサッカーを始めて少しずつ世界が広がった人が、いま、クラスに通えない子どもたちの隣に座っている。かつての自分に似た子の隣に、かつて自分を広げてくれた道具(運動)を押しつけずに座る。この抑制の効いた距離感こそが、なつ湖先生の専門性なのだと思います。
週3日・午前3時間という時間の中で子どもたちが「自分のペースで動きだしていく」具体的な様子は、15年間発達障害児のマンツーマン教育に携わってきたたぶ先生が、1時間半かけて聞き出しています。ロングインタビューの本編を、たぶ先生のnoteでお読みください。
全文をnoteで読む
このコラムについて
なつ湖先生へのインタビュー(2026年05月26日公開/聞き手:たぶ先生)を、編集・制作を担当した私(栗林/qbc)が読み返して書いたコラムです。「無名人インタビュー」を6年やってきた人間として、編集の側で読んで何が残ったかを書きました。
関連する社会学概念
不登校支援/目標の再定義
【編集・制作:qbc / 無名人インタビュー】