インタビューの要約
- インタビュイーは、発達特性のある子どもたちのための個別指導塾を運営する幸地先生。ご自身も発達障害の子の母親
- 一人ひとりの眼球運動や思考のくせを分析し、オーダーメイドのカリキュラムを作る。漢字を「絵」として捉える子には、10回書かせるのではなく10秒見つめて模写する
- 市役所の隣に教室を構えて3年。黒字化したが、自分の給料はまだ出ない。行政からは「塾でしょ?」、福祉からは「学習は必要ない」と言われる
- 「特性があるからできない子ではない」。受験に挑んだ子は、今のところ全員合格している
1. 方法は、子どもの認知に合わせて変えられる
ピカチュウを正確に書きなさいって言うと、どうだったかなってなるじゃないですか。
(幸地先生の言葉、note記事より)
この例えの上手さに、立ち止まりました。
ピカチュウを何百回も見ている人でも、正確に描けと言われると手が止まります。「見て知っている」と「書ける」は、別の能力だからです。漢字を文字ではなく「絵」として見ている子にとって、漢字はすべてピカチュウなのです。だから10回書かせても定着しない。かわりに、10秒見つめて模写する方が効く。
できない理由が、能力の欠如ではなく、方法の不一致であるなら。変えるべきは子どもではなく、方法のほうです。幸地先生の塾は、この一点を、眼球運動の分析と個別カリキュラムという形で徹底しています。
「私たちは診断名で判断するんじゃなくて、その子を見て、こういう思考のくせがあるよね、文字はこう見えるよね」という言葉は、同じシリーズのつるたまさん(巡回心理士)の「一人ひとりの見えている世界」の話と、そのままつながります。診断名は入口にすぎず、見るべきは目の前の子の認知の形だ、という共通の構えです。そして「受験に挑んだ子は全員合格している」という実績が、この方法の答え合わせになっています。対象は年長から大学受験まで、診断の有無を問わない。給食を囲んで、異年齢で交流する。塾というより、小さな学校です。
2. 制度の境界に落ちる場所を、個人が埋めている
この実践が置かれている場所の描写が、重要な記録になっています。市役所の隣で3年。ようやく黒字化したけれど、自分の給料はまだ出ない。行政からは「塾でしょ?」と言われ、福祉の現場からは「学習は必要ない」と思われている。
教育の制度は「みんなと同じ方法で学べる子」を前提に作られ、福祉の制度は「生活の支援」を軸に作られています。そのあいだに、「特性のある子の学習」という領域が、すっぽり落ちている。落ちている場所には予算も制度もないので、値段がつきません。3年やって黒字でも運営者の給料が出ないのは、個人の経営の問題ではなく、この領域に社会がまだ値段をつけていないことの表れだと思います。市役所の「隣」という立地が、制度のすぐそばで、制度の外にある。この仕事の位置を、そのまま示しているようです。
制度の隙間は、いつも最初に、当事者に近い個人が、持ち出しで埋めます。値段がつくのは、その後です。幸地先生の3年間は、その「値段がつく前」の時間の記録として、同じように制度の外で場を作ろうとしている人に読まれてほしいと思います。私たちの在野研究ネットワークも、既存の制度の外に場を作る試みです。だからこの記事は、他人事ではありませんでした。
3. 「みんな、できない子ではない」の背景
その原動力として、公開部分では、4年前に亡くなられたご主人のことが語られています。ここで私が要約するべきものではないと思います。
ひとつだけ書くなら、「特性があるからできない子ではない」という言葉は、この経緯を通ってきた言葉だ、ということです。標準から外れることを恐れない。「みんなと同じ」を強制しない。その子が伸びていく方向を、一緒に見つける。
経緯の詳細は、15年間発達障害児のマンツーマン教育に携わってきたたぶ先生による、1時間半のロングインタビューの本編を、noteでお読みください。
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このコラムについて
幸地先生へのインタビュー(2026年02月13日公開/聞き手:たぶ先生)を、編集・制作を担当した私(栗林/qbc)が読み返して書いたコラムです。「無名人インタビュー」を6年やってきた人間として、編集の側で読んで何が残ったかを書きました。
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無名人インタビュー主宰 栗林康弘/qbc
