インタビューの要約
- インタビュイーはデンマーク在住の日本人看護師、今ここにさん。息子さんは8歳で自閉症スペクトラムの診断を受け、不登校に
- 13歳までに在籍した学校は4つ。5年間、母子はほぼ毎日、家の中で2人きりで過ごした
- 2024年夏、息子さんは13歳で親元を離れ、自閉症の住居施設へ。その際の言葉が「お母ちゃんはもう、できることは全部僕にしてくれた。だから僕は施設に行くよ」
- デンマークには親をひとりにしない仕組み(週2回のコンサルタント訪問、半年ごとの会議、親向けのコンサルタント)がある
- 今ここにさん自身も、息子の巣立ちを機に社会福祉支援員(SSA)の学校に通い始めた
1. 13歳の言葉の重さ
たぶ先生は、この言葉を画面越しに聞いて「しばらく、次の質問が出てきませんでした」と書いています。編集としてこの記事を読んだ私も、同じ場所で止まりました。5年間、家の中で母と2人きりで過ごしてきた13歳が、自分の巣立ちを、母の献身への承認とセットで言葉にする。「できることは全部してくれた。だから」の「だから」に、この親子が過ごした時間の密度が全部入っています。
数字も記録しておきたいと思います。8歳での診断。13歳までに在籍した学校は4つ。住居施設への引っ越しは、5回目の転校としてやってきた。「学校を替える」という選択肢を4回使い切ったうえでの5回目です。合う場所を探し続けることと、抱え込むことは違う。この家族は、探すことをやめていません。
2. 手放すことと、諦めないことは両立する
あのまま私が家に一緒にいたら見れなかった息子の笑顔と成長が、今すごく見れてると思います。
(今ここにさんの言葉、note記事より)
罪悪感は「もちろんありました」と語られています。「自分が面倒を見きれなかったから誰かに預けるみたいな」。その上での、この言葉です。日本では、家族が抱え込むことがしばしば愛の証明として扱われます。施設に預けることには、いまだに「見放した」という視線がついて回る。しかしこのインタビューが示すのは、手放すことが放棄ではなく、むしろ関係を回復させる場合がある、ということです。
それを可能にしているのが、デンマークの「親をひとりにしないシステム」です。週2回家に来るコンサルタント、半年に1回のステータスミーティング、2ヶ月に1回親のもとへ通うペアレンツコンサルタント。「プロが周りにいてくれるから、純粋なママの顔で息子さんと接することが出来る」。この一文が核心だと思います。ケアの全工程を親が担うと、親は支援者・教師・監督者を兼ねることになり、「親の顔」でいられる時間が消えていく。ケアを社会で分担することは、親子の情を薄めるのではなく、親が親に戻るための条件になっている。
3. 支えられた人が、支える側に回る
もうひとつ記録しておきたいのは、息子さんの巣立ちをきっかけに、今ここにさん自身が社会福祉支援員(SSA)の学校に通い始めた、という展開です。制度に支えられた人が、その制度の担い手側に回っていく。私たちのネットワークでも、インタビューを受けた人が聞き手や運営に回っていく循環を大事にしていますが、それと同じ形の循環が、デンマークの福祉の中で起きている。「家だけで抱え込まない。社会に手をあげ続ける。そして、決して諦めない」という記事中の言葉は、この循環全体の要約になっています。
4. PROJECT 01の夜と、この記事
私はこの記事を、PROJECT 01のめいさんのインタビュー(育児鬱のさなか、養子縁組を「出す側」で調べた夜の話)と並べて読みました。追い詰められた親が「手放す」ことを考える夜は、日本にもデンマークにもある。違うのは、その夜の先に用意されている選択肢と、伴走する制度の厚みです。めいさんの夜には、検索結果と、幸運にも「それは鬱の方だから」と言ってくれる夫がいた。今ここにさんの前には、住居施設という選択肢と、それを「見放し」にしない支援の網がありました。個人の愛情の問題に見えるものが、制度の問題でもあるということを、この2本は合わせ鏡のように示しています。
今ここにさんはnoteで「海外自閉症子育て」の連載とエッセイを書かれています。インタビューの全文とあわせて、たぶ先生のnote本編からたどってみてください。
全文をnoteで読む
このコラムについて
今ここにさんへのインタビュー(2026年07月02日公開/聞き手:たぶ先生)を、編集・制作を担当した私(栗林/qbc)が読み返して書いたコラムです。「無名人インタビュー」を6年やってきた人間として、編集の側で読んで何が残ったかを書きました。
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【編集・制作:qbc / 無名人インタビュー】