はじめに

「障害がある」というとき、私たちが想像するのは、誰の何でしょうか。 その人の身体や心の特性? それとも、その人が生きている社会の側のあり方?

この問いに、はっきりした補助線を入れたのが、今回取り上げる障害の社会モデル(social model of disability)と、その対概念である個人モデル(individual model)です。

Tapi在野研究ネットワークの TABU-01「発達障害に関するインタビュー」プロジェクトを進めるうえでも、押さえておきたい言葉です。

1. 個人モデル ── 「困難はその人の中にある」という見方

個人モデルは、ひとことでいえば、

障害者が困難に直面するのは「その人に障害があるから」であり、それを克服するのはその人(と家族)の責任だとする考え方。

を指します(吉岡のノートより)。

長いあいだ、これが日本社会のなかでも支配的な見方でした。 「あの人は障害があるから、できなくて仕方ない」「障害を乗り越えるために、本人と家族が頑張る」──こうした言い回しは、いまも私たちの周囲に残っています。

個人モデルでは、障害の所在は、個人の身体や心のなかにあると見なされます。

2. 社会モデル ── 「社会が障壁を作っている」という見方

これに対して、社会モデルは、

社会こそが「障害(障壁)」を作っており、それを取り除くのは社会の責務だ、という考え方。

を指します(吉岡のノートより)。

英国の障害者運動のなかから発展した考え方で、20世紀後半から国際的に大きな影響をもつようになりました。

具体的にはこうです。 車椅子の人が階段の前で動けないとき、問題は「歩けないこと」にあるのではなく、「階段しか用意されていない社会のあり方」にある。 発達特性のある子どもが学校でしんどい思いをするとき、問題は「特性そのもの」ではなく、「画一的な教室や指示の出し方しか用意されていない学校のあり方」にある。

社会モデルでは、障害の所在は、個人の中ではなく、社会の側に組み込まれた障壁にあると見なされます。

3. ふたつのモデルの違いが、生活を変える

個人モデルと社会モデルの違いは、抽象的な哲学の話ではなく、現実の生活や政策の選択に直結するものです。

近年は、日本でも障害者差別解消法や合理的配慮の議論を通じて、社会モデルの発想が政策のなかにも組み込まれるようになってきました。 ですが、私たちの日常感覚としては、いまも個人モデル的な発想が根強く残っています。 「本人が頑張ればいい」「親がしっかりすれば」という言い回しは、いまでも多くの場面で耳にします。

4. インタビュー研究と、社会モデル

Tapi在野研究ネットワークの TABU-01 プロジェクトは、療育や発達支援の現場で働く方々や、当事者・ご家族の声を聴くものです。 このとき、私たちは「障害をどう捉えるか」のモデルそのものを、語りのなかから読み解く作業もしています。

たとえば、ある親御さんが「うちの子はこういう特性があるから、こちらが工夫して」と語るとき。 そこには、本人を変えようとする向きと、環境のほうを動かそうとする向きが、両方折り込まれていることがあります。

語り手の言葉のなかで、「障害」がどこに置かれているか──個人の中なのか、社会の中なのか、両方なのか──を読みほぐすこと。 これは社会モデル/個人モデルの議論を補助線にもつことで、ぐっとやりやすくなります。

5. 「どちらが正しいか」ではない

最後にひとつ、注意点を書いておきたいです。

社会モデルは強力な視点ですが、「すべて社会のせいだ、本人の特性は関係ない」と単純化されると、これも極端です。 実際の生活には、身体的・神経的なリアリティがあり、それを否定するわけにはいきません。

社会モデルが提案しているのは、

です。 このバランスを丁寧に保ちながら、Tapi在野研究ネットワークの研究を進めていきたいと思っています。

結び

「障害」という言葉が、いつも個人の中にだけある何かではなく、その人と社会のあいだに作られているものでもある。 このシンプルな視座の転換が、社会モデルがもたらした、最大の遺産です。

TABU-01 プロジェクトで聴く語りのなかから、その作られかたを、ひとつひとつたどっていきたいと思います。

参考資料

【執筆:吉岡詩織 / 編集:qbc(栗林康弘)】

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