インタビューの要約
- インタビュイーは30歳の田中さん。妻と暮らし、コピーライターとして働きながら音楽活動も
- 放任主義の家庭で育ち、子を持つことについて家族から言われたことがない
- 子どもを持つ判断は60:40で「持つ」寄り、ただし表現活動を続けたい気持ちとのバランスを取っている
- 聞き手・吉岡から聞いた「祈り」の話に強く共感、自分の育児観として受け取り直している
- 「グレーゾーンを残したい」という、過剰な言語化への違和感を語る
1. 「できることは、祈ることだ」
田中さんの語りで、私が何度も読み返したのは、聞き手の吉岡さんから共有された「祈り」の話を、田中さんが自分のものとして受け取り直す場面でした。
子どもを持つとか育てるとか、この子が幸せに育っていけるかどうか考えても、できることってきっと限られてて、そこにはただ祈りしかないんじゃないかというふうに、俺は勝手に解釈したんですよ。 (中略) もし子どもが生まれたとしたら、祈りの気持ちは大事なマインドとして持っておこうって、腑に落ちたんですよ。
育児にできることは限られている。それでも、できることがあるとすれば、祈ることだ。
田中さんはこれを、自分の親への疑問に対する「私は祈ることをするのだ」という決意として受け取っています。インタビューが、ある人の人生観に直接影響していく瞬間が、ここに残っているのです。
2. 60:40 で、子どもを持つ寄り
持つか、持たないか。聞かれた田中さんは、揺れを正直に語ります。
もし持っていなかったら俺はもっと素晴らしい取り組みをして、自己実現的な文脈でよかったんじゃないかみたいなことを思う瞬間もあるんだろうなって思う一方で、でもそうでもないかなあ。 (中略) 天秤にかけると60:40ぐらいで子どもがいた方が、みたいな感覚が自分の中にあるかな。
表現活動を続けたい気持ちと、子を持つ未来。どちらかを消さないで、両方を抱えたまま、いまは60:40で持つ寄り。
判断を急がない。自分を観察する手つきが丁寧で、それが田中さんの語りの基調になっています。
3. 「なんちゃって社会学」への違和感
面白かったのが、大きな話への田中さんの距離の取り方です。人間は動物として子孫を残すべきだ、というような議論に、田中さんはこう反応します。
子どもを育てるってパン屑を毎日掃除しなきゃいけないとか、そういう話なわけじゃん。それを「種の存続」みたいな大きな話と繋ぐ論法って、Xとかですごくよく見るけど、なんちゃって社会学みたいな、大学一年生のレポートを見てるみたいな気持ちになる。 (中略) 生活の話だから。
巨大な抽象論と、ひとりの生活の現場が、安易につながれてしまうことへの違和感です。
研究の議論は、ちゃんと生活に届いているか。パン屑の掃除の話として語れているか。Tapiの在野研究がインタビュー研究を進めるうえでも、自戒として聞いておきたい指摘でした。
4. 「グレーゾーンを残したい」
もうひとつ印象に残ったのは、社会の変化について田中さんが感じている生きづらさです。
解像度が上がってしまった感じがあるというか。さっきのグレーの部分がないみたいな話で、グレーゾーンがパキッと言語化の対象になっていってる感じが。 (中略) 生きにくさの一因として、「言語化なんてするんじゃねえよ」っていう気持ちがあったりするから。
あらゆることが言葉にされて、ジャンル分けされて、名前を貼られていく。それが生きづらさを増やしているのではないか、という観察です。
インタビューは、言葉にすることを仕事にしています。だからこそ、この指摘は刺さります。なんでも言葉にしないこと。グレーをグレーのまま置いておくこと。そこにも値打ちがある、ということです。
5. 編集として、最後に
田中さんは、自分の判断保留と、人への共感を、丁寧に区別して語る人でした。「俺はまだわからない」と言いながら、聞き手の話を大事に受け取って、自分のものとして使い直す。
そういう聴き方ができる人だから、本当はインタビュアー側に向いているのかもしれない、と編集の私は思いました。
田中さん、お話を聴かせてくださって、ありがとうございました。
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このコラムについて
田中さんへのインタビュー(2026年3月28日公開/聞き手:吉岡詩織)を、編集・制作を担当した私(栗林/qbc)が読み返して書いたコラムです。「無名人インタビュー」を6年やってきた人間として、編集の側で読んで何が残ったかを書きました。
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ナラティヴ・アイデンティティ/生活世界/ライフヒストリー法
無名人インタビュー主宰 栗林康弘/qbc
