インタビューの要約
- インタビュイーは曹洞宗のお寺の住職、シャロ坊さん。妻と2人の子(人工授精で授かった)と暮らす
- 結婚や子作りを「したい/したくない」ではなく、社会の制度に合わせて「せざるを得ないもの」として語る
- 一方で、結婚と子作りを「普遍的な勇気」と呼ぶ独自の世界観を持つ
- 学歴が祖父→父→自分と「降下」していく家系で育った経験が、語りの根に流れている
- ひとりの語りに、デュルケムが言う社会的事実がほぼ純度100%で折り込まれている
1. 「したくない/したい」ではなく、「せざるを得ない」
シャロ坊さんは曹洞宗のお寺の住職をされている方です。お寺を継ぐべき後継として育ち、現在はマッチングアプリで出会った奥様と、お二人のお子さん(2歳と0歳)を人工授精で授かって暮らしています。
このインタビューで、序盤から繰り返し語られていたのは、「結婚や子作りは、したいかしたくないかで選べるものではない」という社会観でした。
結婚してなかったり子どもを持っていない人間というのはまともな大人や社会人としては認められない風潮が根強く残っています。
(シャロ坊さんの言葉、note記事より)
家族を前提に組み上げられた社会インフラ(病院の張り紙の例が印象的でした)の中で、結婚や子作りは「制度通りの動きをするか、しないか」の選択であり、しないなら自死に近づく──という、二択の感覚として語られている。
これは、デュルケムが社会的事実と呼んだもの──個人の外にあって、個人の行動を拘束する社会の側の様式──の、ほとんど純度100%の語られ方でした。
2. 学歴の「降下」と、その重みのこと
もうひとつ、強く残ったのが、シャロ坊さんの家系の学歴の話です。
おじいちゃんは帝国大学を出てるし、父親は曹洞宗の駒澤大学だったんだけど、早稲田大学と大阪大学とかにも受かってて。で、僕は富山大学でしょ。学歴がどんどん世代を経るごとに下がっているのって、世の中を見ても結構珍しいんですよね。
世代を経るごとに学歴が「上がっていく」のが多くの家庭での経験だとすれば、シャロ坊さんの家庭はその逆をいく。そのうえで、お父様、お祖母様から「一番になれ」「父や叔父はしっかりできているのに、なんでお前は」と圧をかけられて育った、という。
この語りを編集者として読みながら、私は「個人の自己評価」と「家系の中での相対的位置」が、こんなにくっきり地続きに語られることがあるのか、と少し驚きました。個人のコンプレックスとして語られているけれど、その輪郭は、家系という小さな社会のなかで決められている。
ここでも、社会的事実が、ひとりの語りに折り込まれている、と感じました。
3. 結婚と子作りは「普遍的な勇気」
私がいちばん長く考えさせられたのは、シャロ坊さんが結婚と子作りを「普遍的な勇気」と呼んだ場面です。
結婚しなかったり、同性愛者だったり、機会に恵まれなかったり。そういう中でも結婚をする、子どもを作るという意思を持つことは私は普遍的な勇気だと思っています。
我儘や自己卑下でそのような選択を取るのは僕はやっぱり違うのかなあって。
この一節は、現代の言説のなかではあまり聞かない強さの言葉だと思います。吉岡さんもこのあと、「子なし夫婦という選択肢を取る友人もいる」「責任を持てないという葛藤がある」と、別の角度の話を投げかけています。ここで吉岡さんと、シャロ坊さんの世界観のすれ違いが、はっきり浮かんでくる。
無名人インタビューを6年やってきて、私はたくさんの「子を持たない/持つ」の語りを聞いてきました。そのなかで、シャロ坊さんの「結婚と子作りを普遍的な勇気と呼ぶ」という構えは、めずらしく強い、輪郭のはっきりした立場でした。これは記録として残すに値する立場だ、と私は思いました。
4. 同じ問いに、人はこんなに違う答えを出す
このインタビューを編集として読み返して、強く感じたのは、
「子どもを持つ理由・持たない理由」というたった一つの問いに、人はこんなにも違う答えを返してくる
ということでした。
シャロ坊さんは、結婚も子作りも「制度上、せざるを得ないから」と語りつつ、同時にそれを「普遍的な勇気」とも呼ぶ。吉岡さんは、そこに葛藤や責任という別の語彙を重ねていく。
この「同じ問いへの異なる応答」を集めて重ねていくこと──そこに、TSIR がやっている社会学的なインタビュー研究の意味があるのだと思います。
ひとりの語りは、その人だけのもの。でも、ひとりひとりの語りを集めて重ねたとき、社会の輪郭が浮かび上がってくる。これが、ミルズの言う社会学的想像力で、デュルケムが社会的事実と呼んだものを描き出す方法でもあります。
5. 編集として、最後に
このインタビューには、ところどころ、吉岡さんとシャロ坊さんのあいだに、すれ違いや言葉の衝突が記録されています。シャロ坊さんは、吉岡さんが事前にお送りいただいた小説を読み込めていなかったことに、率直なお気持ちを伝えてくださっている場面もあります。
そういう揺れも含めて、ひとつのインタビューとして公開しています。インタビューは、研究者の側が一方的に「データを採取する」場ではなく、聞き手と語り手が、同じ時間の中でぶつかったり、すれ違ったりしながら、語りを共同で立ち上げていく場でもあるからです。
シャロ坊さん、長い時間、ご自身の言葉を重ねてくださって、ありがとうございました。書き続けてください。届いています。
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このコラムについて
シャロ坊さんへのインタビュー(2026年4月7日公開/聞き手:吉岡詩織)を、編集・制作を担当した私(栗林/qbc)が読み返して書いたコラムです。「無名人インタビュー」を6年やってきた人間として、編集の側で読んで何が残ったかを書きました。
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社会学的想像力(C・ライト・ミルズ)/社会的事実(エミール・デュルケム)/ライフヒストリー法
【編集・制作:qbc / 無名人インタビュー】