tapiさんの絵。真ん中の縦線の左に三日月と猫、右に太陽と家

ペットを飼っていた話、というと、可愛かったという話を思い浮かべます。

でも、そうじゃない人がいます。

tapiさんのことです。私はtapiさんと、月に一度、オンラインで一時間ほど打合せをしています。社会学の研究者で、会社員で、一児の母。前回の観察日記では、結婚生活について書きました。上の絵は、この人が描いたものです。

先日、ペットをテーマに二時間ほど話を聞きました。インタビューのあとも話が続き、動物との関わりから、研究や仕事、創作の話になりました。インタビュー本編は別の記事にまとめるので、ここではその雑談について書きます。

tapiさんは子どものころから三度、合わせて四羽のインコを飼っていたそうです。そのうち三羽は飛んでいったまま、戻ってきませんでした。

「罪のない命を四羽、自分の人生で確実に振り回した」

離婚でも恋愛でも資本主義でも、たいていのことは捉え方を変えれば肯定的に考えられる。でも、この四羽のことだけは、どう考えてもそうは思えないと話していました。

話を聞いているあいだ、この人からは、「しょうがないですよね」という言葉は一度も出ませんでした。

私なら、そう言ってしまうと思います。私は実家で、たくさんの保護猫を飼っていました。うちのまわりでは毎年、猫が二、三匹、夏を越せずに死んでいきます。数が多いこともあり、生存競争だから仕方がないと考えてしまう。以前、tapiさんは、街頭に立って訴えるには自分にも後ろめたいところがある、という話をしていました。後ろめたいということを、あまりにハキハキと、爽やかに語っていました。一方で今回は、飼っていたインコへの責任を曖昧にすることはありませんでした。

二羽目のオカメインコには、家族の誰も話題にしない振る舞いがあったそうです。気になっていても口にできず、タブーになり、親にも言えなかったと言います。

今も、釣りが好きな友人に魚の痛覚の話をすることはなく、義理の実家がブリーダーから犬を迎えたと聞いたときも、何も言わなかったそうです。相手の楽しみに水を差すようで、言いづらいと話していました。

一方で、身近な人との関係については、こう話します。

「せめて身近な人、なんなら自分がこれから作る家族の中では、線引きが一緒の人がいい」

周囲の人に自分の考えを伝えることにはためらいがある。それでも、一緒に暮らす相手とは、動物との関わり方について考えを共有していたいようです。

動物について今のように考えるようになったきっかけを聞くと、もともとの感性に加えて、出産の経験が大きかったといいます。

哺乳類の出産はきついし痛いし大変だ。そのメスの哺乳類の生殖能力を商品にしているのが食肉産業で、牛乳もそうだ。妊娠と育児の期間でなければ牛は乳を出さないのだから。

生殖もペットも食肉も、この人の中では一つの話です。命に値段がつく、という話。

同じころから、こうした問題を子どもにどう伝えるかも悩むようになったそうです。時間や体力の余裕もなくなり、査読論文の執筆や学会発表を続けることが難しくなりました。現在はAI関連のスタートアップで働いていますが、AIによる電力や水の消費も気になっているといいます。子どもに聞かれたらどう答えるかを考えてしまい、「自分の仕事のモチベーションに水を差す思考ですよね」と笑っていました。

研究の話にも、暮らしの中で感じた疑問がたびたび出てきます。動物をどう扱うか、何を食べるか、どんな仕事をするか。tapiさんにとって、研究の問いは自分の生活と切り離せないもののようです。

自分の内側で起きていることを、社会学に書かせようとしていたのだと思います。論文は、自分の外にある窓でした。借りた窓から、自分の内側を見ようとしていた。うまくいきませんでした。論文の窓は、外を見るための窓です。この人は逆で、生活のほうを問いに合わせて動かしてしまう。

前回、私は「あなた自身が研究対象になってきていますね」と言いました。問いについて考えるうちに、自分の暮らし方も変わっていく。その変化自体にも、聞いてみたいことがあります。

「最初に連絡した頃は、査読論文だとか学会発表だとかに固執してた。最近はその辺も取れてきて、非常に精神的に健康な感じではあります」

私は、当時の職場が合わなかったことも、論文にこだわる理由の一つだったのではないかと伝えました。仕事で満たされないものを、研究で補おうとしていたのかもしれない。そう話すと、「おっしゃるとおりです」と返ってきました。

今、tapiさんが取り組んでいるのは、おもにインタビューです。誰に何を聞くか、どこを記事にするか、どの順番で出すか。論文とは違う形で、自分で決めながら進められます。

私は無名人インタビューを六年続けています。原稿やサムネイルを作り、投稿の間隔を決めるのも私です。たいていの人はこちらの枠に合わせてくれます。この人はそうなりませんでした。

一年前、この人が私のところに応募してきたときのことを、本人が振り返っていました。あのころはバランスが取れていなかった、とのことです。実存的うつ、という言葉があるらしいんですけど、と前置きしていました。診断名ではないと思います。世界(のある側面)は、残酷すぎる、そこに絶望して気が狂ってしまう、という状態だったそうです。

もし、あのまま調子を崩していたら、今とは違う暮らしをしていたかもしれないとも話していました。精神科に入院しながら制作を続ける作家や、生活保護を受けながら書く人たちに親近感があるそうです。制度の支えを受けながら制作や活動を続けることも、自分にとって遠い話ではなかったといいます。去年が分かれ目だった、そのルートも全然開いていた、と言いました。

気持ちを持ち直すきっかけの一つは、雑談の終わりのほうに出てきました。

昨年公開したインタビュー記事を、映画を撮っている友人が読んでくれていたそうです。その友人から、週に一、二回は料理に豆を使うようになったことや、ヴィーガニズムをテーマに自主制作映画を撮りたいと思っていることを聞きました。

「培養肉を調べることでは得られない充足感が得られました」

在野で研究をやっていこうと思えたのは、その話があったからです、とも言っていました。

前回は、自分の記事が残ることに迷いもありました。子どもが大人になって読んだらどう思うだろう、と話していたのを覚えています。今回は、偶然でもいいから誰かに届いて、読んでもらいたいと言っていました。

研究者、会社員、母親という立場の話に加えて、tapiさんとの会話では、音楽や映画、絵の話もよく出てきます。コロナ禍にターンテーブルを買ったこと、子どもが小学校に入ったらDJをやりたいこと。社会運動をするなら、水族館の入口で一人でハウスミュージックをかけていた人のような形がいい、とも話していました。持ち直す入口も、映画を撮る友人でした。そして上の絵も、この人のものです。

前回、私はこう書きました。「子どもを持つ理由・持たない理由」の次が「仕事・育児をしながら創作をする理由」になったのは順当な流れだ、と。

いま見ると、順当というより、戻ろうとしているように見えます。先に創作があって、外れて、研究が来て、インタビューが来た。窓を自分で作れるようになったなら、もう借りた窓はいらないはずです。

絵をもう一度見てください。真ん中に縦の線があって、左は三日月と眠っている猫、右は太陽と家です。木も地面も線をまたいで続いているので、別々の風景ではありません。私はこの絵は回っているのだと思いました。夜は猫が上に来て、昼は家が上に来る。

一周すると、同じ位置に戻ります。同じ位置ですが、一周したぶんは違うはずです。

「幸せになりたいだけなのだが......」

この日、tapiさんはそう言っていました。絵はまだ回っている途中です。

ヴィーガンインタビューの参加者を募集します

この日の打合せで、次はヴィーガンをテーマにインタビューをすることが決まりました。

実践している必要はありません。興味がある、というくらいで十分です。実際にやるのは大変なので、その大変さについて話せる人のほうが、この人は聞きたいはずです。私自身は、しょうがない、と言う側の人間です。それでもこの企画をやります。あなたの食べ方も、食べないという選び方も、否定されません。

肉を減らしたいと思いながらできていない人。家族と食卓が合わなくて困っている人。動物のことを考えると暗くなるので、考えないようにしている人。ヴィーガンという存在を知りながらも、肉という食べ物が好きな人。理由を聞かせてほしいのは、あなたです。

tapiさんは大学に所属せず、会社員をしながら研究を続けています。こういう立場を「在野研究」と呼びます。これまでのインタビューは、noteのマガジンにまとまっています。

考えがまとまっていなくても、うまく説明できなくても大丈夫です。日々感じていることを、会話しながら聞かせてもらえればと思います。

無名人インタビュー主宰 栗林康弘/qbc

書いた人

栗林 康弘(qbc)

「無名人インタビュー」主宰。名もなき人々の声を記録するインタビュープロジェクトを運営。

tapiさんのこれまでのインタビューは、noteのマガジン「Tapi's nora Research」で読めます。