吉岡詩織という人を紹介したい。
社会学の研究者で、会社員で、一児の母。「子どもを持つ理由・持たない理由」というテーマで何十人もの人にインタビューをしてきた人で、今は「仕事・育児をしながら創作をする理由」という次のテーマでも動き出している。
私は無名人インタビューという活動をやっていて、吉岡さんのプロジェクトに協力する形で一緒にやっている。定例ミーティングで話を聞いたり、インタビューの文字起こしを全部読んだりしている。その立場から、吉岡さんのことを書く。
ただし、吉岡さんと私の付き合いはそこまで長くはない。だからこれは「吉岡さんの変化を追ったドキュメンタリー」ではなく、プロジェクトを一緒にやっている人間から見た横顔のスケッチだ。これから吉岡さんのインタビューに参加しようかなと思っている人に、この人はこういう人ですよ、というのが伝わったらいいと思って書いている。
そばにインタビューがある生き方
吉岡さんは忙しい。
会社員としての仕事がある。子育てがある。研究がある。インタビュー活動がある。全部やっている。全部やっているから、常に時間が足りない。
定例ミーティングで、吉岡さんは会社での会話について話してくれたことがある。仕事上の会話は表面的で、想像力を働かせるスイッチがあまり入らないし、むしろ入れない方がいいと考えている。子どもがいて時間もないから、仕事はドライに進める。対客先との会話では、「この人はどういう人なんだろう」という興味があえてわかないようにしている、と。
一方で、インタビューの場では別のスイッチが入る。
吉岡さんはそれを「大人との会話の中で質問をする筋肉」と表現した。インタビューの機会が減ると、自分が内向的になってしまう恐れがある、とも。
これは私にもよくわかる感覚だ。
私の場合はインタビューが仕事そのものになってしまったから、ちょっと事情が違う。でも、別にメインでやることがあって、そのそばにインタビューがあるという生き方には、独特の効果があると思っている。自分の世界を、小さくアップデートしてくれる効果。
会社で、同じ業務、同じ事業の中で頭を使っていると、頭の中が同じモードで動き続ける。それ自体は悪いことではない。でもずっとそのモードでいると、世界の見え方が固まってくる、気がする。インタビューは、そのスイッチを切り替えてくれる。
友達と久しぶりに話す機会にもなる。知的好奇心をくすぐってくれる。温泉に一人で行くのと似たような、日常のモードから離れて自分をリフレッシュする機能がある。ストレス解消というほど大げさではないけれど、頭の中の風通しがよくなる。
吉岡さんにとって、インタビュー活動はそういう場所になっているように見える。仕事で使わない部分の知性を動かす場所。即興で問いを立てたり、相手の話に映像が浮かんでくるような聞き方をしたり。そういう力は、会社の業務では出番がない。出番がないまま放っておくと、鈍る。
本業のかたわらでインタビューを続けることは、吉岡さんが吉岡さんのまま居続けるための場所になっている——と言ったら、大げさだろうか。でも、そんなに外れてはいないと思う。
インタビュー記事に載らないもの
私がこの「吉岡観察日記」を書いているのには理由がある。
活動のアウトプットがインタビュー記事だけだと、人間の温度が伝わらない。
記事は優れたコンテンツだ。一人ひとりの声にはそれぞれ重みがあるし、読んだ人の心を動かす。でも記事だけでは、インタビュアーがどんな生活をしていて、何に困っていて、何を考えながらこの活動を続けているのかが見えない。
たとえば、吉岡さんは以前こう言っていた。「会社員を続けても、息子にこの仕事をしてるんだよって話してる絵が浮かばない」と。教育費を稼ぐために会社員を続けているという被害者感情みたいなものが出てくると、子どもに対して失礼だ、と。
この感覚は、たぶん多くの親が持っているものだと思う。でもほとんどの人は口に出さない。口に出さないまま、なんとなく折り合いをつけて生きている。
吉岡さんは口に出す人だ。口に出すだけでなく、その問いを何十人にも聞きに行く人だ。あなたは何のために働いていますか。何のために子どもを持ちましたか、あるいは持ちませんでしたか。
吉岡さんの行動は速い。やりたいと思ったことに対する欲望がはっきりしていて、動き出すまでが速い。私が吉岡さんを面白いと思っているのは、そこだ。
もうひとつ、吉岡さんのインタビューを聞いていて気づいたことがある。
私は自分のインタビューでは、答えは相手の中にあると思って聞いている。相手の目の前5センチくらいのところに、あるいは脳の中にもやもやと言葉にならない状態で漂っているものがあって、そこにたどり着くのがインタビューのゴールだと思っている。だから私のインタビューでは、自分の意見はあまり言わない。相手の没入感を高めるように聞く。
吉岡さんのインタビューは違う。
こちらからも意見がポンポン出る。本人は意見が出ることを、インタビュアーとしての自分の欠点だと言っていたが、相手の話に反応して、自分の経験も重ねること。これは「おしゃべり」と呼べるかもしれない。実際、私は最初にそう感じた。悪い意味ではなく、お茶を飲みながらそのまま自然に会話しているような、おしゃべりだな、と。
でも、聞いているうちに思った。吉岡さんのインタビューでは、答えは相手の中ではなく、二人の間にある。もっと言えば、一緒に過ごした時間そのものが答えになっている。言葉をぶつけ合い、打ち合うこと自体が重要で、内容は——もちろん大事なのだけれど——それ以上に、そこで交わされた時間の質が、インタビューの成果になっている。
これは良い悪いの話ではなく、スタイルの話だ。そして、このスタイルだからこそ話せる人が、きっといる。研究者に一方的に聞かれるのではなく、一緒に考えてくれる人がいる場で話したい人。そういう人にとって、吉岡さんのインタビューは居心地のいい場所になるだろう。
もっと難しいテーマへ
プロジェクトは次のフェーズに入っている。
「子どもを持つ理由・持たない理由」に続く第二のテーマは、「仕事・育児をしながら創作をする理由」。
率直に言って、これは前のテーマより難しい。
「子どもを持つ・持たない」は、生殖という人間の生き物としてのテーマだった。誰もが何かしらの立場を持っている話題で、聞けば言葉が出てくる。性の話、家族の話、トラウマの話。公の場では口にしないけれど、インタビューという場では出てくる言葉がたくさんあった。
創作はそうではない。
なぜ書くのか。なぜ描くのか。なぜ仕事があって子どもがいて時間がないのに、それでも作るのか。この問いに対して、多くの人は「好きだから」「楽しいから」で止まる。その先にある言葉を持っていない。というより、まだ言葉の形をしていない。
吉岡さんは最初のいくつかの創作インタビューを終えて、それを実感していた。深掘りの角度が難しい、と。前のテーマとは手応えが違う。「おしゃべり」にはなるが、もう一段深いところにいけない瞬間がある、と。
でも私は、吉岡さんのスタイルはこのテーマにこそ向いているんじゃないかと思っている。
答えが相手の中にはっきりある場合は、引き出す技術が要る。でも答えがまだ言葉の形をしていない場合は、一緒にその言葉を探す時間が要る。二人の間に答えが生まれるのを待つ時間。吉岡さんがやっているのは、まさにそれだ。
当初は「労働からの抵抗としての創作」「生き延びるための創作」という見立てがあった。でもインタビューを重ねるうちに、コミュニティや人間関係がモチベーションになっているケースに出会った。創作を「埋まらないものを埋めるための行為」と抽象化すれば根は同じかもしれないが、枝の伸び方は人によって全然違う。
その枝の一本一本を、吉岡さんは一緒に見ようとしている。
これから吉岡さんのインタビューに参加しようかと思っている人に、ひとつだけ伝えておきたいことがある。
吉岡さんは聞く人であると同時に、反応する人だ。あなたの話を黙って聞くだけではなく、自分の言葉も返してくる。それを「研究のためのインタビュー」と構えて臨むと、ちょっと面食らうかもしれない。でも、話しているうちに、自分でも思っていなかった言葉が出てくる瞬間がある——と、何人かのインタビュー参加者が語っていた。
その瞬間は、一人では作れない。吉岡さんがそこにいて、言葉を打ち合っているから生まれる。
気になったら、気軽に参加してほしい。
【企画・制作:qbc / 無名人インタビュー】